京の寺に座る | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 初めての京都は、高校の修学旅行であった。以来、古都に魅了され、大学を京都に選んだ。北海道からの進学者のほとんどは、当たり前のように皆、東京へいった。そんな右へ倣(なら)えが、私には苦手だった。

 私が京都で過ごしたのは、一九七九年、十九歳から二十三歳までの四年間である。もう四十年以上も前のことになってしまった。過ぎ去った歳月の分厚さに、愕然(がくぜん)とする。

 一浪して、受験のために訪ねたのが二度目の京都だった。従兄の四畳半のアパートに、一か月ほど滞在した。従兄と一緒に銭湯へ向かう道すがら、東山にかかる月を見て心が震えた。平安の昔、貴族や女官たちが眺めていたのと同じ月だと思ったのだ。どうしてもこの街に住みたい、そんな思いを強くした。

 大学に入るとESS(英語研究部)に所属して、関西一円から時には名古屋、東京まで飛び回っていた。三回生では自分の大学より遥かに長い時間を、ほかの大学で過ごしていた。そんな日々の中、寸暇を惜しむように社寺仏閣を歩きまわった。

 様々な場所を見て歩いた。そのほとんどが、一人での行動だった。友達と一緒だったこともあったが、何にも束縛されることのない一人がよかった。一人になりたかった。長い年月を経た今、歩き回った当時の記憶は、遠い彼方に霞んでしまった。朧気(おぼろげ)に浮かび上がるのは、何もしないで静かに佇んだ寺での場面である。

 京都の人は清水寺のことを、親しみを込めて「清水さん」と呼ぶ。あの独特なイントネーションのはんなり言葉を耳にすると、ほっこりとした気持ちになる。閉門後の清水寺で、舞台に腰を下ろし、オレンジから赤、ブルーからダークブルー、そして漆黒の闇へと移ろう京都の空を眺めていた。当時の清水は、閉門後、いつまで留まっていても何も言われなかった。そんなおおらかな時代だった。

 昼間の清水は、観光客や夥(おびただ)しい数の修学旅行生で喧騒に満ちている。そんな清水が、本来の姿を取り戻して静まり返る。私は嵐山方向の西の空を眺めながら、将来に対する漠然とした不安を視ていた。自分は将来、どこでどうなっているのだろう、そんな茫漠(ぼうばく)とした思いがあった。

 西の空に沈む太陽を眺めながら、極楽浄土を観想(かんそう)することを日想観(にっそうかん)という。浄土宗の瞑想(めいそう)法である。自分の内面と向き合う方法の一つとして、静かな心で夕日を見つめることのようだ。私はただただ漠然と移ろう風景を眺めていた。そこに自分の不安を投影し、なにか答えへと導くものがないかと、ぼんやりと探していた。答えは見つけられなかった。だが、京都にいた自分の姿は、清水とともに鮮明に残っている。東山方面を歩いたときは、清水で締めくくることが多かった。

 南禅寺の境内を歩いていて、夕立に降り込められたことがあった。思わず、近くの塔頭(たっちゅう)に駆け込んだ。濡れ縁に座って雨が過ぎ去るのを待っていた。だが、その雨脚が次第に強まり、飛沫(ひまつ)が濡れ縁を濡らし始めた。奥の部屋から出てきた年配の女性が、

「あらあら、みなさん、どうぞあがっておくれやす」

 と私たちを畳の間に招じ入れてくれた。そこには、私のほかに三、四人の観光客らしき若者がいた。暑い盛りのころで、夕立がもたらす一陣の風が心地よかった。強い雨が音もなく庭の苔(こけ)に吸い込まれていく。生気を帯びた苔が鮮やかに浮かび上がっていた。そんな庭を眺めていると、先ほどの女性が熱い緑茶を持ってきてくれた。お茶請けに、小さな和菓子が添えられていた。そのお茶の味は、忘れがたいものとして、今も鮮明に残っている。

 大学を卒業後、東京の会社に就職したので、毎年のように京都を訪れていた。独身のころは、ちょっといってみるか、といった思いつきで出かけることもあった。新幹線だと、二時間ちょっとの距離である。その気になれば、京都は身近にあった。

 そんな東京からふらりと訪ねたのが、仁和寺(にんなじ)だった。二王門(におうもん)の石段に腰を下ろし、ぼんやりと京の街を眺めていた。人々が行き交い、車の往来も多かった。‶静〟の側から‶動〟を傍観するような、そんなひと時だった。ただボーッとして、無意味な時間だけが過ぎていく。そんな旅行は、ある意味、贅沢の極みだったのかもしれない。

 うたた寝をした龍安寺(りょうあんじ)。失恋の深手を負ってたどり着いた常寂光寺(じょうじゃっこうじ)。青蓮(しょうれん)院、智積(ちしゃく)院、等持(とうじ)院……。目をつぶれば、深い霧の中から当時の光景が立ち現れてくる。そんな寺で、私はいつも座っていた。

 

  2023年6月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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