六十三歳になって | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 冬になると、よくナベをする。寒いからだ。野菜がしっかり摂れるということもある。野菜を摂取しなければ、という強迫観念にも似た思いが、私の頭にこびりついている。だが、一番の理由は、一度作ると、ほかのメニューを考える必要がないからだ。四、五日は楽ができる。大量に作るのだ。カレーを作ると、カレーだけを毎晩食べる。数年前から白米を食べるのを止めた。太るからだ。だが、それでも太る。結局、食べ過ぎているのだ。

 とにかく、月曜から金曜日までを乗り切ればそれでいい。えみ子なら〝味変〟をして違う料理に作り変えてしまう。料理のセンスがない私には、直球しか投げられない。冷蔵庫には何もないはずだが、えみ子はそれでもチャッチャと料理を作ってしまう。小麦粉と調味料さえあれば、何とかなるという。

 えみ子とは、まだ一緒に暮らしていない。会うのは、週に一度、土曜日だけである。通い婚生活を始めて六年が過ぎた。お互いの住居は八キロほど離れている。日曜日は、午後から母と妹が一緒に暮らすマンションに出かけ、ドライブがてらスーパーでの買い物に付き添う。母のもとに通い続けて十年になる。

 私は二〇一〇年、五十歳で離婚をしている。そのころは東京にいた。精神疾患を得て長患いをしていた妻が、自宅を出ていった。翌年三月、三十二年ぶりに北海道に戻った。田舎で一人暮らしをしていた母が脳梗塞になり、札幌にいる妹と住み始めた。その妹が病を得たのだ。やむなく転勤希望を出して戻ってきた。

 午後五時半に仕事を終え、自宅に戻る。スーパーを経由して食材を買ってくることもある。だいたい六時過ぎには自宅にいる。ヘトヘトに疲れているので、すぐには次の動作に移れない。食事にするか風呂に入るか。椅子に座ってボーッとニュースを観ている。しばらくは放心の体(てい)である。

 食事と風呂を済ませると、第二ラウンドが始まる。エッセイの活動に入るのだ。それは寝る直前まで続ける。

 私はエッセイの同人誌に所属している。百名ほどの会員のエッセイの添削を行っている。この九年間に五七〇本ほどの添削を行ってきた。会員の添削は、ほかの事務局スタッフに肩代わりをしてもらって、私の負担は大幅に軽減された。だが、新入会員については、半年ほど私が担当することになっている。

 三月と九月発刊の同人誌に掲載する作品の校閲作業では、百本を超える作品に目を通す。その作業は、発刊の四か月ほど前から始まる。さらに、年末に発表するエッセイ賞の選考が夏場からスタートする。こちらも百本程度に目を通し、最終選考まで行った後に選評を書く。十数名のスタッフが選考にかかわるのだが、神経をすり減らす作業になる。何をしていても選考のことが気にかかる。自分の判断が、間違ってはいなかったか、と。強迫観念のようにズッシリとのしかかってくる。そんな日々が秋から冬にかけて続く。

 このほかに不定期で、会員の自費出版本の校閲と「あとがき」の執筆がある。加えて二〇二一年から開始した自身のエッセイ集の校閲を行う。こちらは半年に一冊のペースでの発刊になっている。また、年に二度、地方新聞にエッセイの投稿をしている。この二月でちょうど二十作目だったので、十年続けたことになる。同人誌への自作の投稿も四十作を越えた。こういった作業が幾重にも重なって押し寄せてくる。その間隙(かんげき)を縫って、自身の創作活動を行う。好きでやっているのかと問われると、素直には肯(うなず)けない。気がついたら、いつの間にかそういうことになっていた。

 そもそもエッセイの添削がいけないのだ。添削を行うようになって、私のことを「先生」と呼ぶ人が出てくるようになった。指導する立場だからやむを得ないのだが、私はそのたびに「先生はやめてください」とお願いしてきた。「先生」と言われるたびに、錆びたクギを嘗(な)めるような、イヤな感覚を首筋に覚えるのだ。私は他人に〝範〟を示せるような人間ではないのだ。だが、そんなことをいちいち説明するのも面倒になってきた。次々に「先生」が現れ、手に負えなくなったのだ。座り心地の悪い思いを噛(か)み殺しながら、やむなく放置している。

 現在、私は六十三歳である。会社の方は二〇二〇年、六十歳で定年退職を迎えたのだが、引き続き嘱託員として再雇用されている。六十歳からは遊んで暮らす予定だったのだが、パートに毛の生えたような給料をもらいながら、細々と生きている。

 以前の私なら、こまめに動いて部屋の掃除も行き届いていた。それが六十歳あたりから動きが鈍化し始めた。動けずにボーッとしている時間が増えてきたのだ。その影響が顕著に現れ始めたのが、書類の整理である。整然と並べられていた書類が雑然とし出し、机の横で堆(うずたか)く積み上げられている。何がどこにあるのかわからない、そんな状態は避けたいのだが、どうにもならない。造山運動は活発化をみせ、土砂崩れを伴いながら山脈を形成し始めている。年をとるとはこういうことなのだ。

 六十代の自分の姿など、想像すらできなかった。だが、五十代が駆け足で終わると、当たり前のように六十代がやってきた。風景が変わったわけではない。それまでと何ら変わらない日常がある。だが、自分の中では徐々に浸食が始まっている。そのうち、あらゆることが億劫になり、変化を好まない〝老爺(ろうや)〟になってしまうのだろう。ああ、イヤだ、イヤだ。

 とにかく死なないように気をつけて、自分が目指す創作を行っていきたい。「生きていく傍らに書くことを置いてみる」、私が守り刀として大切に懐に秘めている言葉だ。書くことを人生の伴走者に、力尽きるまで表現者であり続けたい、それが私の理想形だ。

 年が明けて、連日氷点下二ケタの日々が続いている。低温生活の中では、ナベは欠かせない。

 

   2023年2月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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