ストーブが……壊れた | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 冬になると、北向きの窓に結露ができる。そして、いよいよ寒くなると、その結露が凍てつき、昭和の旧式冷蔵庫につく霜のような様相を呈してくる。結露は、寒冷地仕様の二重窓の内窓と外窓の間、外窓部分にできる。大家によると施工ミスだという。居間の蛍光灯をLEDに替えてから、その霜が銀河のような冴(さ)え冴えとした輝きを放つようになった。そんな霜を眺めながら、このマンション、それほど古くはないのに、どうしてこんなに寒いのだろう、そんなことをぼんやりと考えていた。

 今季(二〇二ニ年)の札幌は、前の年よりもずっと寒い。居間のFF式ストーブ(灯油)がフル回転している。だが、ストーブの室内気温表示は低いままだ。冷え込んでいる証拠である。加えて雪も多い。昨年(二〇二一年)十二月中旬には、二十四時間で五十五センチの記録的な雪が降った。年を越して一月中旬にも相当量の降雪をみた。このときはとても重い雪で、駐車場から車を出すことができず、二時間ほど遅刻して徒歩で出社した。

 会社までは三キロ弱の道程だが、深い雪に埋もれた歩道は、獣道と化す。そんな道を長靴で歩くのは難儀なことだった。会社に着いたときには、すっかり魂が抜けていた。出社できずにいる社員が何人もいた。帰りは耳がちぎれるような吹雪に見舞われた。北海道での生活を再開して十一年、こんな雪は初めてだ。二月上旬には再びドカ雪が降った。昨年末の積雪記録をあっさりと塗り替える六十センチだった。今季の札幌は、とにかく雪が多い。

 私が北海道で生活をしていたのは、十九歳までである。その後、四年間の大学生活を京都で、東京で就職して二十八年暮らした。この三十二年に及ぶ本州での生活は、私の冬の過ごし方を一変させた。関西も関東も、冬の室内は異様に寒い。暖房設備が脆弱(ぜいじゃく)なのだ。だから炬燵(こたつ)に入る。北海道民は、外気温が氷点下二桁の中、室内の気温を三十度近くにまで上げ、Tシャツ姿でアイスクリームを食べている。大袈裟なようだが、あながち間違いでもない。私も実家にいたころ、それに近いことをしていた。

 今の私は、部屋の温度を上げられない。罪悪感を覚えるのだ。だから、人一倍寒がりのくせに、上着を着込んで寒さに耐えている。バカじゃないのと言われるので、大っぴらにはしていない。そういう冬の過ごし方が、生活習慣として私の中に染み込んでしまったのだ。

 嵯峨野の龍安寺(りょうあんじ)だったろうか、底冷えの京都のお寺で、冷たい畳の間の真ん中に大火鉢が置かれていた。暖房は火鉢だけである。やむなく座布団に座って、その大火鉢に手を翳(かざ)してみた。ときには、火鉢を抱きしめるように抱え込んだりした。その温もりが、得も言えぬ心地のいいものだった。炭の温かさである。冬の暖の取り方で思い出すのは、決まってその時の温もり体験である。

 このところの室内の温度が十五、十六度止まりなのは、どう考えてもおかしい。さすがの私も変だなと思い始めていた。土曜日になり、えみ子がきて買い物をして自宅に戻る。えみ子に会うのは、週末だけである。居所が離れており、また、互いに仕事もある。ストーブのスイッチを入れてしばらくしたころ、

「これさ、暖かくないのはおかしいよな」

 呟(つぶや)くように訊いてみた。

「ストーブのことは、私もわからないわぁ……」

 と言って、えみ子が温風の吹き出し口に手を当てたとたん、

「これ、壊れてるよ。暖かい風、出てないじゃない。いつからなの?」

 そう言われ、初めて異変を認識した。古ぼけた取扱説明書を探し出したり、ネットで検索するなどした結果、素人では手に負えないことがわかった。ここに住み始めて十年になる。その間、一度も業者に分解清掃を依頼していない。そもそも、そういうことをすべきなのかどうかもよくわかっていなかった。私が北海道を不在にしている間に、ストーブが劇的な進化を遂げていた。それが煙突のないFF式ストーブだった。

 やむなく大家に電話を入れた。すると、待っていましたとばかり、二つ返事でストーブを入れ替えるという。まるで壊れるのを知っていたかのようだった。ただ、業者の手配がつくのは月曜日になるといわれた。代替えのストーブを持ってくるというので、丁寧に断った。大家は八十代に近い爺さんで、稀にみる話好きである。話し出したら最後、止まらないのだ。同じ話を何度も何度も繰り返し、その果てのなさに私は何度、気絶しそうになったことか。だから大家を見かけると、挨拶とともに小走りで通り過ぎるようになっていた。「いつもお忙しそうで、何よりです!」という言葉を背中に受け止めて。だから今回も、大家がくるくらいなら寒さに耐えた方がいい、そう思ったのだ。ストーブは寿命だったのである。

 えみ子と知り合って五年になる。以来、私の冬の苦痛が和らいでいる。私は極度の寒がりではあるが、えみ子がいるせいで、私の心持ちが寒さから逸(そ)らされてきた。しかし、五年も一緒にいると、以前のように寒さを覚える。そのことを少し残念に思っていた。

 だが、それは違っていた。ストーブの調子が徐々に悪くなり、ついには冷風しか出なくなっていたのだ。今季の札幌、雪は多いが、特別に寒いわけではない。すべては、ストーブのせいだった。一番起こってはいけない時期に、最もダメなことが出来(しゅったい)してしまったのだ。真冬にストーブが壊れる、それはあってはならないことだった。

 その夜はナベ料理で暖を取った。こういう時こそ炬燵が欲しいとつくづく思う。翌朝、ベッドの中でスマホを見ると、外気温が氷点下十三度とある。風が強いせいで、体感温度は氷点下十八度まで下がっていた。室内の温度は八度、冷蔵庫並みだ。これは、さすがにマズイ。慌てて非常用簡易ガスストーブを入手した。

 月曜日、大家の手配で、新品のストーブがやってきた。ホッとする温かさに包まれた。大家に設置完了を兼ねてお礼の電話を入れたところ、三十分も捕(つか)まってしまった。

 

(注)

※ FF式ストーブとは、強制給排気(Forced Draught Balanced Flue)ストーブのこと。燃焼に必要な空気を給排気筒により室外から強制的に給気し、燃焼後の燃焼ガスも給排気筒から室外に排気する方式のストーブ。そため、部屋の換気が不要なのである。灯油タンク(四九〇ℓ)も屋外設置なので、灯油の給油が必要ないなど、北国を中心に使用されているストーブである。

 

  2022年5月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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