あんぽんたんの木 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 私は二〇一一年三月からの二年間を室蘭市で過ごした。二十八年間住み慣れた東京を離れ、会社の異動で室蘭に移り住んだのだ。その後、札幌へと転勤になり、今に至っている。

 室蘭では、市役所の裏手、市立図書館(現在は移転)のすぐ隣にマンションがあった。そこから北へ九キロほどのところに知利別(ちりべつ)がある。「あんぽんたんの木」は、そこにあった。当時、私はその木の存在を知らなかった。

 

 (一)伐採計画の浮上

 札幌に暮らして四年半ほど経ったある日、フェイスブックであんぽんたんの木の伐採が話題になっているのを目にした。室蘭市の女性が、「伐らないで」と訴えていた。「この木は何かの理由が必ずあってここに佇んでいるはず」と。よくある話である。このたぐいの話は、多少心が動いてもどうすることもできないので、そのままスルーするのが常である。

 ところが、あんぽんたんの木は違っていた。その初めて耳にするけったいな呼び名の木が室蘭にあることに、まず興味を抱いた。なにより、写真に写るその立ち姿に魅了された。舗装道路のど真ん中に堂々と木が生えていた。まさに〝あんぽんたんの木〟という名称にふさわしい姿だった。それは、見上げるほどに太い松の大木で、その木肌からは経てきた年月を感じさせた。

 このあんぽんたんの木の伐採を最初に報じたのは、二〇一七年八月二十四日の地元紙、室蘭民報だった。このクロマツのある場所は、新日鐵住金㈱室蘭製鉄所(現日本製鉄㈱)の所有地に囲まれた敷地内の通路上である。ここは市の所有地なのだが、市道としては認定されていない道路だった。北海道道一〇七号室蘭環状線(以下道道という)に接道し、緩やかな坂道になっている。その坂道を上る途中に、同会社のゲストハウス、知利別会館(通称、知利別迎賓館)がある。とても閑静な場所であり、交通量のほとんどない道路である。ただ、周囲の宅地開発に伴い道路の拡幅整備が予定されており、今後交通量の増加が見込まれていた。そのため、市でも同通路の市道認定を検討していたことから、開発事業者らが市や地域住民と協議し、道路整備を機にこの木の伐採が決まったという。

 この伐採のニュースが、新聞・ラジオで報じられた。それを知った市民からの問い合わせが、室蘭市に数十件寄せられた。八月二十九日には伐採のためのお祓(はら)いが行われ、九月四日(月)の週に伐採される段取りが組まれた。それが判明し「なんとか残せないものか」「できれば残してほしい」そんな声が相次いで寄せられた。

 このあんぽんたんの木から道道沿いに八〇〇メートルほどのところに桜蘭中学校(旧蘭東中学校)がある。この学校の運動部は、走り込みに際し、長年この木を折り返し地点にしてきた。この木までの一往復を「一本松」、二往復を「二本松」と呼び、木にタッチして戻ってくる。そんな若き日の想い出が多くの人の心にあり、この木はそんな人々を長年眺めてきた。この木を目指して走った日々、夕暮れまでこの木の下で語らった日もあった。この地に生まれ、ここで育ち、暮らしてきた人々を見つめてきた木が、伐られようとしている。いても立ってもいられない思いが、人々を動かしたのである。

 そんな思いが汲(く)まれ、八月三十一日、室蘭市長はあんぽんたんの木の伐採について「クロマツは樹齢が分からない。木の健全性を診断したり、道路整備上の詳細な確認といった総合的な検討をした上で(伐採を)再度判断したい」(室蘭民報九月一日)との考えを示した。その後、ほどなくして伐採は見送られた。市長の英断である。

 

 (二)この木を見て思うこと

 クロマツの木が道路の真ん中に立っている。歩道ではなく、アスファルト舗装された車道のど真ん中である。しかもその木は見上げるほどの大木で、場違いな場所に正々堂々と立っている。この目を疑うような光景に、しばし釘付けになり、呆然(ぼうぜん)と見入ってしまう。

 この木は明らかに通行の妨げになる。だが、そんなことにはお構いなしに立っている。簡単に伐採してはいけないたぐいの木であることは、その立ち姿からして明らかだ。この木の経てきた時間を視、そして思う。だから、伐採を断念した室蘭市の懐の深さ、許容量の大きさに心打たれ、敬意を表したい気持ちになった。

 あんぽんたんの木は、強烈なインパクトを放っている。室蘭市知利別町四‐五にあるこのクロマツは、いつのころからか「あんぽんたんの木」と呼ばれ、地域の人々から親しまれるようになったのだろう。

「どうしてこの木はこんなところに立っているのだ?」

「なぜ、これまで伐採されずにすんだ?」

「この木は、いつからここに立っている?」

「あんぽんたんの木という名は、どこから来ている?」

 この木を眺めていると、様々な疑問が湧いてくる。そして、この木が過ごしてきた「時間」を思う。

 かつて「ど根性〇〇」というフレーズがちょっとしたブームになった。アスファルトの隙間から顔を出したダイコンやスイカなどが「ど根性」を冠されて呼ばれた。このあんぽんたんの木こそ、まさにその代表選手ではないか。

 眺める人によって、この木の見方がずいぶんと違ったものになる。大いなる勇気をもらう人。「お前もガンバレ!」と励まされる人。ずっと自分を見守ってくれていたと感じている人。何年かぶりに帰郷して「お前はまだここに立っていたんだ」と懐かしい思いでそっと幹に触れる人。人々の思いがこの木には宿っている。

 

 (三)この木の樹齢とそこから見えてくるもの

 道路ができてからこのクロマツを植えたとは考えられない。クロマツのある場所にあとから道路ができたと考えるのが普通だろう。では、この道路はいつ造成されたものなのか。知利別会館の建設に伴い道路が整備されたのか。この点が、この木の樹齢を知る重要なカギとなる。

「この木は私の同級生のおじいさんが植えた」というコメントがフェイスブックにあった。クロマツを野原に植えたわけではないだろう。自宅の庭かその周辺に植えるのが自然だ。自宅ではなく、何かの施設の前だったのかもしれない。その場所が、後に道路になったのだ。

 家の前や何かの施設の周辺が道路になるということは、新たに道路を造成したものと考えられる。つまり、とりわけ大きな施設があるわけではないこの場所を考えると、知利別会館の建設に伴い道路が造成されたと考えるのが自然だろう。

 実際にこの場所に立ってみると、知利別会館が建設され、その時に正面玄関から道道に接続する道路を造成したものだろうということが容易に想像できる。あんぽんたんの木は、道道から数メートル引っ込んだところに立っている。つまり、かつては道道に面したこの位置に建造物があり、道路の造成とともに建物は取り壊されたのだが、クロマツだけが何らかの理由で残されたのだ。知利別会館が建設されたのは昭和十五年(一九四〇)であるから、自動車のほとんどない時代である。道路の真ん中にクロマツがあっても問題にはならなかったし、逆にクロマツが幹線道路から入ってくる車両などの「車止め」のような形になっていた。

 そのように仮定すると、クロマツの樹齢の推定は次のようになる。

 知利別会館が昭和十五年の建設である。この木はそれ以前からあったという証言が実際にある。昭和十五年は、今(二〇一七年時点)から七十七年前のこと。樹齢は、七十七年プラスアルファということになる。

 どうして道路を作るときにクロマツを伐採しなかったのか。当然、伐採されるべきものだが、伐採を阻害する特別な要因が出来(しゅったい)したのだ。

 真っ先に思いつくのは、伐採しようとしてよからぬことが起こったということだ(この話はフェイスブックやブログなどで読んだ)。それは一度ならぬ、二度、三度と(少なくとも二度以上)起こったために、伐ってはいけないという判断が下された。誰もがその判断に納得するほどの悪しきことだったに違いない。

 樹齢十年ほどの苗木なら、幹の直径が五センチ前後だろう。その程度のものなら手で引き抜くことも十分に可能であり、「伐採」という言葉は使われない。引き抜いたらそれでおしまいである。つまり、このクロマツは昭和十五年の時点で、伐採しなければ除去できないほどの大きさの木だったのだ。そう考えると、現在のこの木の樹齢は、九十年を優に超え、百年に近いもの、百年を超える可能性もある。

 また、道路の建設が知利別会館建設のしばらく後だったのではないかという推論については、この道路が知利別会館の正面玄関前の唯一の通路で、幹線道路に接道するためのものであることから、それはあり得ないと明言できる。

 二〇一九年二月二十一日、室蘭市在住の平井克彦氏がフェイスブックにて興味深い情報を寄せている。『茂呂瀾(モロラン) 室蘭地方史研究 五十二号』(室蘭地方史研究会発行)の中で、成田弘氏があんぽんたんの木について記している。それによると、この木は㈱栗林商会の創設者栗林五朔(ごさく)によって植えられたものではないかという。この一帯には、日本製鐵㈱(現日本製鉄㈱)の社宅があったのだが、それ以前は、栗林商会の牧場だった。明治三十九年(一九〇六)の栗林牧場造営の際に、傾斜地に植林が行われているというのだ。そうだとすると、あんぽんたんの木の樹齢は、一一五年プラスアルファ(二〇二一年現在)となる。プラスアルファ分は、植林時の苗木の樹齢である。

 また、二〇一六年八月の台風で知利別会館の庭のトドマツが倒れた際に、年輪が数えられている。それがほぼ百年だった、ということも平井氏は付け加えている。

 

 (四)あんぽんたんの木の今後について

 この地域の人々にとって大切なこのあんぽんたんの木、これからどうやって残していったらいいだろうか。すぐに思いつくことは、専用サイトがあってもいいのではないか、ということ。

 あんぽんたんの木の四季折々の表情をとらえた写真が見られるといい。昔の写真も見たい。スケッチや水彩画、油絵なども。あんぽんたんの木にまつわる思い出や、様々な思い、そんなものも読んでみたい。今回の伐採のエピソードを織り交ぜて、絵本なんかもいいじゃないか。そんなことが思い浮かぶ。

 この木を観光資源として使わない手はないだろう。こんなインパクトのある木は、日本全国探しても、そうザラにあるものではない。バッジを作ってもいい。様々なものにプリントしてもいいじゃないか。この木の松ぼっくりも何かに使えないか。私の貧弱な発想では、この程度しか想像が及ばない。

 ネーミング? もちろん「あんぽんたんの木」でいい。あんぽんたんな場所に生えていてそれを許容している、そんな室蘭市のおおらかさがいいじゃないか。この木は、単なるあんぽんたんの木ではない。立派なあんぽんたんである。

 

 あんぽんたんの木が、いつまでもこの地域のランドマークとして立ち続けていて欲しい、そう願ってやまない。この木は、ここで暮らす人々、ここで暮らしたことのある人々の心の拠(よ)りどころである。つまり街の財産だ。街の風景は歳月とともに変わっても、この木は変わらずに立ち続けていくだろう。これまでがそうであったように。そして、これからもずっとそうであるように。

 だから、年月を経た何十年か後に、「やっぱり、伐るわ」なんていうことになってもらっては困るのである。

 

 

付記

二〇一七年十月六日、室蘭市は知利別町の市有地管理通路上にあるクロマツの保存を決定

所在地 室蘭市知利別町四-五

樹 高 一三・五αメートル

幹周り 一八〇センチ

樹 齢 一一五年+α(植林時の樹齢)(二〇二一年時点)

 

  2017年9月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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