海からの恩恵 ~ ふるさと様似の海 ~ | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 私は、中学を卒業する十五歳までふるさと様似(さまに)で過ごした。様似は、えりも岬にほど近い、北海道の太平洋に面した小さな町である。そんな町で海とともに暮らしてきた。

 柔らかな日差しが踊る春の海、吹く風はまだ冷たいが海面には光が溢(あふ)れている。生まれたばかりのような初々しい煌(きら)めきが踊る。私が通っていた中学校は、遠くに海を見下ろす小高い山の中腹にあった。窓から差し込む柔らかな日差しが、学生服の肩を温める。

「春の海 ひねもす のたり のたりかな」

「波は寄せ 波は返し 波は古びた石垣をなめ……」

 海を眺めながら、そんなフレーズを耳にした国語の授業を思い出す。

 海は、穏やかな日ばかりではなかった。

 鉛色の雲が垂れ込める冬の海、横殴りの雪が頬を叩(たた)く。波は凄まじい唸(うな)り声を上げながら防波堤を打ち砕(くだ)く。低気圧の接近に、海が怒り狂うのだ。逆鱗(げきりん)に触れたようなその怒気は、怒濤(どとう)となって押し寄せてくる。海面が真っ白に沸騰する。

「ねえ、おかあさん、海の水、家までこない?」

 地響きのような怒りの重低音に怯(おび)え、布団の中で震えた幼い日々があった。母の温かい太腿に冷たくなった足を挟んでもらいながら、安心して眠った。

 爆弾低気圧は、ときとして思いもかけぬ贈り物をもたらした。嵐が去った浜に、割れたホッキ貝が大量に打ち寄せる。どこからともなく大勢の町民が集まってきて、波打ち際でそれを拾(ひろ)う。あっという間にバケツがいっぱいになる。このホッキを塩・胡椒とバターで焼く。自分が獲ったものは、格別な味がした。ナマコが大量に打ち寄せたこともあった。その時もバケツから溢れた。季節によって、または時化(しけ)の状況によって、思いもかけぬ恩恵がもたらされた。

 様似周辺は、北海道の中でも海産物の豊富な地域である。だが、そんなことに疎(うと)い私は、いつの時期にどんなものが水揚げされるのか、ほとんど理解せずに過ごしてきた。日高昆布はふるさとの代表的な産物だが、その昆布を食べているガンゼ(バフンウニ)やノナ(ムラサキウニ)も豊富に獲れる。磯の縁(へり)に腕を入れると、それだけでバフンウニがいくらでも獲れた。それらを持ち帰るのは、当時から厳しく禁止されていた。だが、その場で食べる分には、寛大であった(今は密猟になる)。イモの葉につくテントウ虫を農家が嫌うように、昆布漁師にとってウニは、昆布の天敵であった。

 マツブ(真螺)といわれるエゾボラは、様似を代表する特産品の一つだ。大きいものでは二十センチほどになり、重量も一キロを超す。ホラ貝ほどではないが、かなりの大型のツブ貝である。むかしは、「つぼ焼き」というとこのマツブのつぼ焼きのことだった。だから、湘南海岸の江の島でサザエのつぼ焼きを目にしたときは、その小ささと値段の高さにのけ反った。マツブも今では高級食材になっている。

 私の父は様似の漁業協同組合に勤務していた。それゆえ、海産物の恩恵には大いに与(あずか)った。

「このおやんず(親爺)なら、ほんと世話焼げるもなァ」

 と言って、漁師のオジサンが木箱に入ったエビやツブなどをドサッと玄関に置いていく。時には、大人の背丈ほどもあるミズダコもあった。海産物をやるから、仕事帰りに立ち寄ってくれと声をかけられても、父はもらわずに帰ってきてしまうのだ。漁組に勤めている者の特権のように何でももらってくる、そういうことが父にはできなかった。漁師にしてみれば、手間のかかる面倒な職員だった。

 日曜日の朝などは、遅くまで寝ている我が家の玄関先に、毛ガニやバフンウニ、キンキなど、様々な海産物が届けられていた。

「あれ……、誰だべ」

 木箱に刻印された屋号から、「ヤマヨさんだわ」とか「カネシメだ」と判断していた。また、海産物の種類からも、誰がきたのかおおよその見当がついた。秋になると何本ものタラやシャケ、ミズダコの足が家の軒下にぶら下げられた。遠方の両親の兄弟や姉たち送って近所にも配り、それでもあまったものを吊(つ)るすのだ。それらは木の棒のようにカラカラになるまで干し、おやつ代わりに毟(むし)って食べた。魚介類は買ったことがない、そんなことを母が言っていた。

 海で暮らすということは、いいことばかりではない。海には容赦のない残酷な一面もある。小学一年か二年の夏休み中のこと。

「シンちゃん、バスに乗り遅れて(泣き)ベソかいてたから、オートバイに乗せてプールまで送ってやった」

 帰ってくるなり、父がそんなことを言った。慎一は、私の同級生である。前の年、漁に出た慎一の父親が海難事故に遭った。船が転覆したのか、海に投げ出されたのか、詳しいことはわからない。海難事故が起こると、漁師たちは漁をやめて懸命に捜索をする。だが、慎一の父親は見つからなかった。慎一は長男で、就学前の弟もいた。母親のお腹には、三人目の子も。私の父親は、そんな慎一をいつも気にかけていた。

 海水浴での事故もたびたびあった。

「ほれ、あの人……。また、きてるよ」

 町の人たちのそんな囁(ささや)きを耳にしたことがある。

 何年か前の夏、海で溺れた学生がいた。夏になると、海辺にたたずむ都会風の年配女性の姿を見るようになった。大学生の母親である。東京からきているとの噂(うわさ)だった。夕暮れの海辺を歩く母親の背中を、町の人々は遠巻きにそっと見守っていた。

 穏やかな海は、豊かな恩恵をもたらしてくれる。だが、時として非情な一面を覗(のぞ)かせる。だから、人々は畏敬(いけい)の念をもって感謝する。海を憎むことはあっても、いつまでも恨み続けることはない。

 

  2021年3月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

 付記

【様似で獲れる魚介類(思いつくままに)】(幼いころの記憶の羅列なので、もう獲れないものもあるかもしれない)

スケソウダラ、サケ、マス、ハタハタ、サバ、サンマ、キンキ、メヌケ、ホッケ、サメ、カレイ(真ガレイ、宗八、ババガレイ、オヒョウ、マツカワ、サメガレイ、オイランガレイ、黒ガレイ)、ヒラメ、カジカ、チカ、シシャモ、イワシ、ソイ、キンメダイ、ハッカク、カスベ、エイ、スルメイカ、ミズダコ、ヤナギダコ、ナマコ、ホヤ、エビ、毛ガニ、ウニ(バフウンウニ、ムラサキウニ)、ツブ(灯台ツブ、毛ツブ)、アサリ、白貝、ホッキ貝、ヒル貝(ムール貝)、フノリ、マツモ……

【様似で獲れないもの(若干の水揚げはあるが本格的ではないものを含む)】

ニシン、ブリ、マグロ、アンコウ、タイ、アジ、タラバガニ、花咲ガニ、ホタテ、アワビ、サザエ、カキ……

 

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