カシン | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

「ケンさぁ、オレ、カネないんだけどさ、飲みにいかない?」

 イブの夕方、カシンから会社に電話があった。人懐っこい口調で話しかけてくるカシンの顔が浮かぶ。お金がないけど、飲もうぜと誘ってくるあたりが、カシンらしい。

「おっ、いいよ。どこで会おうか。また、新宿にするか?」

 二つ返事でOKを出す。私が二十五歳のときだから、一九八五年の十二月二十四日のことになる。カシンとは札幌での高校の寮からのつき合いである。

「アッタマ痛えな、チクショウ!」

 それがカシンの口癖だった。

「なんだよ、その頭痛えってのは。そんなに痛いなら病院、いけよ」

 そう言うと、決まって大丈夫だと返してよこした。カシンといると時間のたつのも忘れて楽しい酒が飲める、そんな友達だった。

 高校を卒業してからは、カシンは東京で、私は京都で学生生活を送った。二人が再会するようになったのは、就職して二年が過ぎたころだった。お互いサラリーマン生活にも落ち着きが出てきたあたりである。

 高校時代のカシンのイメージといえば、寝起き直後のようなモジャモジャの髪に、指紋だらけの曇ったメガネをかけ、身なりも常にヨレヨレだった。頬のホクロから二、三本の長い毛が生えており、前歯も虫歯に浸潤(しんじゅん)されて茶色に変色し、数本欠けていた。

 そんなカシンが、すっかり変貌を遂げていた。広告代理店に勤めていたカシンは、身なりもきれいになり、欠けていた前歯もきちんと揃(そろ)って、まるで別人のような都会の青年になっていた。だが、中身はカシンのままだった。私は今と同じ小さな石油販売会社にいた。

 時はバブル景気の真っただ中の時代である。クリスマスイブともなれば、カップルはこぞってホテルなどのシャレたレストランへ向かい、キャンドルのほの暗い光の中で彼女と向き合ってワインを傾ける。そんなトレンディーな恋人たちを尻目に、我々は新宿の路地裏のうらぶれた建物の二階でビリヤードに興じ、安い居酒屋で終電間際まで焼酎を飲んでいた。それが我々のスタイルだった。三年くらいそんなイブをカシンと過ごした。ビリヤードを教えてくれたのもカシンである。

 

「今日はオレのおごりだよ。カネ、ないんだろ」

「いいよ、割り勘で、出すってば」

 カシンは半ば強引に私の手におカネをねじ込む。じゃあなと別れた後で、ちょっと待てよと思い人混みに紛れ込んでいくカシンの背中を追いかける。

「オマエ、電車に乗るカネ、あるのかよ」

 と問いただすと、電車賃もないのだ。

「バカヤロー! どうやって帰るんだよ!」

 再びおカネを突き返す。何やってンだよ、カシンの頭を小突きながら、あらぬ方向を見て涙ぐむ。カシンと飲んで、そんなことが何度かあった。カシンの自宅は埼玉県久喜市のさらに先である。夜通し歩いてもたどり着ける距離ではない。そんなヤツだった、あいつは。

 その後、私は結婚してすぐに子供ができたこともあり、カシンともすっかり疎遠になっていた。でも、せっせと年賀状だけは出し続けた。

 二〇〇一年の夏の終わり、しわがれた女性の声で電話があった。長谷川嘉信(よしのぶ)の母ですが……、と言われピンとこなかった。カシン(嘉信)のカカ様だった。カシンは母親のことを「カカ様」と呼んでいた。カカ様は、カシンの死を告げ、電話口で泣き崩れた。

 私は呆然(ぼうぜん)とし、自失した。カカ様は私がカシンに出した年賀状を見つけ出し、電話してきたのだ。すでに四十九日も終わっていた。

「嘉信のことだから、年賀状なんか出していなかったんでしょう……、ゴメンなさいね」

 そう言いながら、嗚咽(おえつ)している。死因は大動脈瘤(だいどうみゃくりゅう)破裂。「頭痛えな、チクショウ!」は、その予兆だったのか……。

 四十二歳、男の大厄の年だった。しかもカシンは、新婚だった。いつの間にか結婚していたのだ。

 

 なあ、カシン、オマエとは、よく飲みにいったな。考えてみるとさ、オレたち十五歳の終わりから十八歳まで、それから二十五歳から二十八歳まで、そんな変則的なつき合いだったな。でもさ、なんだか楽しかったよな。

 そっちはどうだ。もう、ずいぶんと遠くへいってしまったんだろうな、オマエは。死んだらどうなるんだ? さっぱり見当もつかないよ。もう、頭は痛くないんだろ。

 オマエの嫁さんに会っておきたかったな。オマエのことだから、母性本能をくすぐったんだろう。それにしても死ぬの、早すぎだ! いきなり死にやがって……。トイレで踏ん張っているときに血管が破裂したんだってな、カカ様から聞いたよ。格好悪い死に方は、オマエらしくていいけどさ、嫁さんが不憫(ふびん)だな。それはオマエが一番気にしていることか、スマン。

 オマエのこと忘れないから。忘れても、時々思い出すよ。今までがそうだったから、これからもきっとそうだ。たまには連絡してこい。でも、不意打ちはダメだぞ。さすがのオレもビビッちゃうからよ。今度はちゃんとご馳走してやるから、ゴメンな。オマエのこと、忘れないよ。今年もまた、クリスマスがやってくる。会いたいな。

 

  2019年11月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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