二十八歳という呪縛 | こんけんどうのエッセイ

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  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 二十八歳を特別な年齢と意識しだしたのは、いつのころからだろう。この年齢を超えると本格的な成熟した大人の領域に入っていく。だからそれまでに自分を確立し、それなりの人間になっていなければならない、そんなふうに考えるようになっていた。自分で勝手に設定したそんな人生の到達点が、思わぬプレッシャーとなってオノレにのしかかってきた。天に向かって吐いたツバが、自らに降りかかってくるように。

 二十七歳で川崎にあった会社の独身寮を追い出された私は、アパートで独り暮らしを始めた。一九八七年、当時はバブル景気の真っただ中、自分の給料の許す範囲で住むことの可能なアパートを見つけることは至難の業だった。どんなに探しても「東京都」と名のつく所在の物件はなかった。ワンルームで六万円台の後半から七万円台、人をバカにしたような家賃のアパートしか見当たらない。山手線を何周したことだろう。結局、私が住めそうな場所は千葉や埼玉で、最寄り駅からそれなりの距離があり、会社のある日本橋までは一時間半前後の通勤を要するものばかりだった。そこで私はヤケクソになった。そして居直った。

 半年をかけて私が見つけ出したアパートは、四畳半風呂なし、トイレ共同という古い一軒家を改造したシェアハウスのようなところだった。自室の部屋のドアは襖にカギがついたもので、その気になれば簡単に蹴破ることができた。場所は杉並区和泉、山手線の内側ではないが、堂々たる東京都である。神田川が近くを流れる学生街だった。

 私の部屋は外階段を上がった二階にあった。そこには私のほかに三人の若者がいた。ミュージシャンを志して九州から出てきた二人と、同じく九州から上京してきた脚本家志望の青年だった。ミュージシャンは日曜日のたびに原宿の歩行者天国に繰り出し、路上ライブを行っていた。脚本家は毎朝、始発電車で築地市場に出かけていた。アルバイトで糊口(ここう)を凌ぎながら、脚本の勉強をしていた。

 そんなアパートで、私は二十八歳の誕生日を迎えた。昼近くに目覚めて、布団の中でじっと天井を見つめていた。私の誕生日は一月十五日で、当時は日付が固定された「成人の日」で祝日だった。

 天井の木目に雨漏りのようなシミの跡がある。そのシミをじっと眺めていた。寒くて布団から出られなかったのだ。そうしているとき、ふと奈良へいってみようか、という唐突な思いが浮かんだ。その年は、この日から三連休だった。なぜか京都ではなく奈良へいきたいと思った。

 布団から出た私は、三十分後にはアパートを飛び出していた。新幹線に飛び乗り、京都から奈良へ向かう電車に乗り換える。奈良を訪れるのは高校の修学旅行以来だった。土地勘はまったくない。学生時代を京都で過ごしていたのだが、奈良を訪ねたことは一度もなかった。昼過ぎに起き出すという怠惰な生活をしていたため、奈良へいくことができなかったのだ。

 JR奈良駅に着いたときには、すでにとっぷりと日が暮れ、土砂降りの雨が降り出していた。駅の観光案内で近くの安い宿を見つけ、なんとかそこへ潜(もぐ)り込んだ。その薄汚れたホテルには、カメラを手にしたオジサンの泊り客が大勢いた。その日は若草山の山焼きだったが、あいにくの雨で中止になっていた。

 そのころの私は、自分の誕生日が成人の日であることに嫌気がさしていた。派手に着飾った振袖姿の女の子たちが街に溢(あふ)れ返る。猫も杓子も「大人の仲間入り」だといって浮足立っている、そんなザワついた雰囲気が嫌だった。そういうものから逃避したい、そんな思いが私を奈良へと向かわせた。何より、「二十八歳」に耐えられなかった。

 二日間にわたって、奈良市内から明日香村にかけての寺社を精力的に訪ね歩いた。春日大社のほかはすべてお寺で、東大寺、法隆寺、興福寺、唐招提寺、長谷寺、薬師寺、新薬師寺、秋篠寺、中宮寺と、今でも思い出すことができる。ひたすら仏像の顔を見て歩いた。最後に飛鳥寺の飛鳥大仏に向き合ったとき、得もいえぬ懐かしさに身体が震えた。この仏像に初めて対面したのは高校二年の修学旅行、十六歳の冬だった。そういう意味での懐かしさと、それとはまた別の感慨があった。それがどういうものなのか、言葉では表しがたい思いだった。

 明日香村ではレンタサイクルを利用し、明日香路を走りに走った。そして最後に向かった先が、甘樫丘(あまかしのおか)だった。この丘の麓には、かつて蘇我蝦夷(そがのえみし)、入鹿(いるか)親子の邸宅があったとされる。大化の改新(六四五年)以前の話である。ここには、とてつもない時間の堆積があった。

 夕暮れが迫るなか、走るような勢いで甘樫丘に駆け上がった。眼前に広がる風景は、かつての日本の首都、藤原京である。その田園風景の中に往時の面影を探る。計りしれない想像力が試され、空想力と妄想力を総動員するが、国政の中心地であったというかつての映像には結びつかなかった。

 暮れなずむ大和三山を遠望しながら、しばし時間の堆積の中に身を浸す。当時の私は万葉歌に魅せられていたこともあり、甘樫丘に立って明日香風に吹かれていることに至福の喜びを覚えていた。

 これ以降、私は二十八歳で年齢を止めた。いつまでも二十八歳でいようと思ったのだ。だから年齢を訊かれると、まずは二十八歳と答えていた。そんな思いを失ったのは、五十歳を過ぎた当たりだろうか。気がつくと、フェイドアウトするように、二十八歳が霧の中に消失していた。

 

 私は大成した人間にはなれなかった。そして、いつの間にか二十八歳の呪縛から解き放たれていた。そんなことは、もうどうでもよくなっていたのだ。それはつまり、私が年をとったということを意味していた。時間は、容赦なく私の上を通り過ぎていく。

 

  2019年10月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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