六十歳になってみて | こんけんどうのエッセイ

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  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 令和二年(二〇二〇)一月、私は六十歳になった。むかしから思っていたのだが、六十歳は年寄りである。その年寄りに自分がなった。覚悟はしていたが、にわかに突き付けられた現実に、改めて愕然(がくぜん)とする。

 近年の社会通念に照らすと、六十歳は「かなりの年寄り」ではない。だが、中年からは完全に脱皮している。私の場合、若作りしようと毛繕(けづくろ)いしたくても、肝心の毛がないので話にならない。何をどう取り繕っても馬脚が露呈する。腹が膨らみ尻が垂れ、陰毛の白髪も目立ってきた。顔にはシミが増え、頭はこれみよがしにハゲ上り、額が後頭部に達している。

 自分が歳を取ったなと感じさせられるのが、同じ年齢の人に出会ったときだ。たとえばスナックのママ。連れていかれて初めて入った店で、ずいぶんケバケバしい婆さんだなと思っていたら、そのママが同年齢だったりする。「ええっ!」と思わず声を出してしまうが、敵の驚きようも尋常ではない。粉が舞うほどの毛羽だった婆さんと毛のない爺さんの一騎打ちだ。「目クソ、鼻クソを笑う」で、周囲には滑稽な画と映る。

 私は北海道の小さな漁村、様似町(さまにちょう)で生まれ育っている。大半の者は幼稚園から高校までの一貫教育を受けて育っている。あいにく私は、高校からふるさとを離れてしまった。その後、京都と東京で過ごし、二〇一一年に三十二年ぶりに北海道に戻ってきている。そんなこともあり、ときおり幼なじみに会う機会がある。四十数年ぶりに再会した同級生の誰もが、私に懐疑の目を向ける。

「オレだよ、オレ! わからない?」

「えーっと……、誰だっけ?」

 そう言いながら、別の者に助けを求める。バトンを渡された者も首をひねりながら、当時の微弱な残像を私の中に探し求めようとする。だが、どんなキーワードを放り込んでも、私に結びつく糸口がみつけられないのだ。やむなく名を名乗ると、

「えッ? ケンかい? ねえ、ちょっとどうしたの、あんた……」

 まるでケガ人でも見るような目で、私の顔と頭に交互に視線を向ける。やがて笑いの渦に巻き込まれ、肩を抱きながら久闊(きゅうかつ)を叙(じょ)す。こんな構図を何度か繰り返してきた。そんな日は完全に飲み過ぎて、翌日は二日酔いでダウンというわかりやすい流れだ。

 

 人生の若い期間はほんのわずかである。あとの大半は老いの中で生きている。そんなことに気づいたのは、四十代も後半に差しかかったころである。「若い」という年齢は、せいぜい二十代くらいまでだろう。幼年期、少年期は別として、二十代も後半になると、折につけ若さの衰えを意識し始める。青年期といわれるのが、十五歳から三十歳である。人生で瑞々しいのは、せいぜいこの辺までだ。以降は、壮年期(三十一~四十四歳)、中年期(四十五~六十四歳)、そして高年期(六十五歳~)と、ひたすら人生の階段を上っていく。

 若いころは、歳を取った自分の姿をまったくイメージできなかった。自分が年寄りになったとき、なにをどう考えているのだろう。そんな疑問を常に持っていた。

 自分が六十歳になって、それが氷解した。私が頭の中で考えていることは、十代や二十代のころとさほど変わらないということだ。街できれいな女性とすれ違うと、思わず振り返っている。開いた胸元から覗く乳房のふくらみや短いスカートから延びる太腿を目にすると、ドキッとする。六十歳にもなると、そんな感覚もかなり鈍るのだろうと思っていた。だが、そうでもなさそうだ。

 私は五十歳で前妻と別れている。その後、五十七歳で新たな伴侶を得た。お互いに独立した子供がいる。二歳年下の彼女とは同居こそしていないが、夫婦然としてそれなりに楽しくやっている。

 若い夫婦と私たちの違いは、私たちにはもう子供ができないということだ。すでに彼女の方で生産が終了している。私の水鉄砲も水圧の低下により、撃ち込んだ弾も目標地点にまでは到達できそうにない。つまり私たちは繁殖期を終えた番(つがい)であり、年寄りなのだ。今さら子供を授かっても困るのだが。

 これから私たちはどんどん年を取っていく。そして死を迎える。それはそれほど遠くない未来に、必ず訪れる。万が一長生きしたとしても、お互いに何がなんだかわからなくなってしまっては、元も子もない。だから私たちは、今を楽しく生きなければならない。時間は限られている。それには「愛」だけではダメで、それなりの努力が必要になる。

 私には彼女に贅沢を楽しませてやるといった、潤沢(じゅんたく)な資力を持ち合わせていない。彼女には、慎ましい暮らしを強いることになる。それが心苦しく、情けない。せめて彼女には、悲しく辛い思いだけはさせまいと思っている。そして、私たちの子供たち兄弟姉妹たちも、災禍なくそれなりに暮らしていって欲しいと願っている。

 先日、六十歳の厄払いを受けながら、そんなことを考えていた。考えていることが、ひどく年寄りじみていることにハタと気づき、愕然(がくぜん)とした。

 

  2020年3月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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