大きなお年玉 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 酒を飲んでも、酒に飲まれたことは一度もない。それが密やかな自負だった。実のところ、飲まれるほど酒に強くないのだが。その私が今回、痛恨の大失態を仕出かしてしまった。

 

 妻の伯母の通夜の帰り、したたかに酔った私は、JR大宮駅で財布を失くした。それは、券売機で切符を買ったときのことだった。コートのポケットに財布をしまった……つもりだった。が、財布はポケットに収まらず、抜け落ちていたのである。

 通夜の始まる前、退屈する幼い子供たちを前に、手品と称してコートの右のポケットに入れたミカンを左から出すというのをやって見せ、喝采を得ていた。私のコート、ポケットの内部に切れ目があって、コートの中で手を出せるようになっている。つまり、ポケットに穴があいている構造になっている。どんな有用性があり、そんな仕組みになっているのかはわからないが、それが裏目に出た。バーバリーのコートである。

 財布には、その日に限って大金が入っていた。十万円である。気づいたのは池袋駅に着いてからだった。茫然(ぼうぜん)自失、酔いが吹き飛んだ。中には、現金のほかに様々なカード類もあった。

 伯母が死んだ喪失感。生まれて初めて財布を落としたショック。酔っ払って財布を落とすような老いぼれになってしまった衝撃。そんな感情が綯(な)い交ぜになって、ひどく落胆しながらの帰宅となった。

 自宅に戻ってから、一縷(いちる)の望みを托してJR大宮駅の遺失物係や営業窓口など片っ端から当たったが、いずれも営業時間が終了したという自動アナウンスがむなしく流れるだけだった。気を取り直して警察署や鉄道公安室など八方手を尽くしたが、徒労に終わった。

 ひどく気落ちしている私に、「財布も結構くたびれていたし、新しいのに買い換えるいいチャンスだよ」と妻が珍しく慰めてくれた。だが、私の気持ちは治まらなかった。この際、財布なんかいらない、財布があるから落とすンだッ! と。以来、私は財布を持つのを止めた。代わりに封筒にお金を入れて持ち歩いている。結局、同じことなのだが。

 私がこだわるのには、わけがあった。

 そのお金、金額もさることながら、私にとってはかけ替えのないものだった。寝る間際のわずかな時間にこつこつと書いていたエッセイで、昨年(二〇〇三年)の春、とある同人誌(随筆春秋)から賞をもらった。その賞金だったのだ。

 エッセイを書くきっかけは、六年前(一九九七年)の冬、妻が唐突に精神疾患に陥ったことだった。うつ症状の中で、ひどい妄想に苛(さいな)まれる妻と、幼い娘を抱えながら、サラリーマン生活を維持しなければならない。このままではこちらが参ってしまうという危機感が募り、文章を書き始めた。それはやがてエッセイに形を変え、私の逃げ場となっていった。

 いつ何時、妻にどういう事態が起こるかわからない。現に昨年も救急車で緊急入院するということがあった。この賞金は、そういう突発事のお守りとなっていた。今回の伯母の通夜にしても、幼いころから母親のように慕っていた叔母の死であり、妻にとっては痛恨事である。そのショックで帰途、妻の体調が悪くならないとも限らない。そんなわけでお金を財布に潜ませていたのである。それを、一瞬の不注意で紛失してしまった。

 入院していた伯母のもとを最後に訪ねたのは、一月二日、亡くなる五日前だった。伯母は、現役のキャリアウーマンで、若いころはハンドボールの日本代表選手でもあった。それゆえ、頑強な肉体と精神力の持ち主であったが、その我慢強さが命取りになった。親類の中では、死から最も遠い人と目されていた伯母が、あえなくがんに倒れたのだ。

 見舞いに連れて行った中学生の娘は、見る影もなく別人と化した伯母を前に、言葉を失っていた。そんな姪の姿を見て伯母がしぼり出すような声で言った。

「オバチャンはね、もうじき死んじゃうのよ。でもね、これは運命だから仕方がないの」

 そして、傍にいた伯父に訴えて、お年玉をくれた。しかも、来年はもうあげられないから、と金額をはずんだ。躊躇(ためら)う娘に、いいからもらっておきなさい、と私は目で促した。伯母は五十三歳だった。娘にとっては、忘れ得ぬお年玉となった。

 

 財布の一件は、すぐに伯父に伝わった。翌日の告別式の直前に、

「――十万円か、それは痛かったな。でもな、オバチャンも十年前に、銀行で降ろしたばかりのお金を大宮駅で落としたことがあったんだ。三十万だぞ。それに比べたら十万なんてたいしたことないよ。おとし玉だ、おとし玉。……そんなことより、あいつは……命まで落としやがって……。シャレにもならないよ」

 と伯父の慰めは涙声に変わった。

 伯父夫婦には子供がいなかった。ひとり残される伯父を慮(おもんぱか)った伯母は、がんと知らされた後、密かに旅行券を用意していた。そこには、みんなで旅行にでもいってパーッとやるように、というメモが添えられていた。

 財布を落としたくらいで、いつまでもウジウジしている自分が恥じ入りたくなるような、大きな贈り物であった。

 

  2004年1月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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