食の無頼派 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

「ねえねえ、これ合成着色料使用って書いてあるけど、体に悪いんだよね、着色料って。そのままの色で売ればいいのに」と中学生の娘(二〇〇四年当時)。

「北海道から送ってくるタラコはさ、スーパーで売っているのと違って色が悪いじゃない。着色してないからなのよ。ちょっと気持ち悪いけど、美味しいよね、あれ。でもあれが本当のタラコの色なんだよ」と妻が呼応する。

「――じゃ、化粧をしている女は、着色料使用ってことか?」と私。

「……」

 二人の冷ややかな反応に、地雷を踏んでしまったことに気づく。「やっちまったー」と後悔するが、後の祭りである。

 私は、食べ物に関してまったく頓着がない。合成着色料が入っていようが、保存料が使用されていようがおかまいなしである。多少腐っていたって気にも留めず何でも食べる。

「オッ、これバカ安だったぞ」

 オレにだってこんな安くて凄いものが買えるんだ、と妻の喜ぶ顔を目に浮かべ、胸を張って持ち帰ったスーパーでの戦利品の果物をひけらかす。

「ちゃんとよく見て買ってきてよ。ほとんど腐ってるじゃない、これ」

 よく見ると黒ずんでいる。思い出すとスーパーのレジ前のワゴンにあった。

 妻にもガミガミ言われるし、家庭科の授業でよけいな知識をかじってからは、娘もうるさい。

 食べ物に好き嫌いがないことと、何でも食べてしまうことは、意味が違う。うちの女性陣は、好き嫌いが多い。特に娘は偏食がひどい。しかも二人とも食べ物を用心深く吟味する。私はその対極にいる。彼女らにいわせれば、私は食の無頼派なのである。

 先日、自己流水炊き(水炊きに自己流もないのだが)を作ったのだが、面倒だったので野菜など洗わずにそのまま鍋に入れて澄ましていた。「冬はやっぱり鍋に限る」と二人とも上機嫌だった。ベラベラしゃべりながら食べている最中、鍋の中に芋虫が一匹二匹と浮いているのを発見した。こりゃイカン! さりげなく箸でつまんで、白菜と一緒に自分の取り皿の底に沈めて隠した。見つかったら大騒動が巻き起こる。もう食べない、とも言い出しかねない。

 早食いの私は、誰よりも先に食べ終わる。一心不乱に食べるのだ。お茶を飲んで寛(くつろ)いでいたのだが、気づくといつもの癖で取り皿のポン酢まで出汁で薄めて飲み干していた。隠しておいた芋虫のことなど、すっかり忘れていたのだ。食事を続けている二人を横目で見ながら、ニヤリとしてそれで終わった。

 会社の昼休み、長崎チャンポンを食べにいこうと同僚から誘われた。美味い店があるという。混んでいる店は嫌なんだよな、と思いながら渋々ついていった。狭い店内はすでにサラリーマンで満席状態だった。油と汗でギトギトした顔のオヤジが、恐ろしく無愛想な顔で黙々とチャンポンを作っている。

 同僚が「チャンポン四つ」と頼んだが、ジロリと我々の方に一瞥(いちべつ)をくれただけで、ろくに返事もしない。気の弱い私は、同僚の後に「ください」と付け加えた。腕に自信があるのだろうが、オヤジの態度がやけにふてぶてしい。食わせてやるという横柄さが見てとれる。ひどく待たされながら、こういうオヤジは、残すと不機嫌になるタイプだなと思った。

 待ちわびたチャンポンがきた。なるほど味は申し分ない。感心しながらスープまで全部飲み干したら、ドンブリの底から一センチほどの薄茶色のゴキブリが出てきた。歩いている最中に足を滑らせて、煮え湯の中に落ちたに違いない。ビックリさせるなよ、と思いながら、「美味さの秘密はこれじゃないの」と隣にいる同僚に目で合図したら、ほかの三人が騒然としだした。

 厨房の中で忙しそうにしていたオヤジが我々の気配を察知し、いつの間にかテーブルの前に立ちはだかっている。野ネズミを発見したトンビが、急降下してきたような俊敏な動作だった。それまでと打って変わって、えらい愛想のいい顔でペコペコしながら店の外に送り出された。他の客にバレないように、体(てい)よく追い出されたのだ。もちろん四人とも代金を払っていない。

 してやったり、と気分よく店を出たのだが、三人はまるで浮かぬ顔だ。

「ゴキブリっていったってまだ子供だよ。熱湯消毒されてるんだから、気にするなよ。入っていたのはオレのドンブリだよ」

 と励ましたが、誘った本人がカンカンに怒っている。

「ゴキブリのダシ、オレたちが飲んだスープにも入ってたんだぞ」

 と雨蛙を踏み潰したような情けない声である。食べている途中、どうだ美味いだろう、とでも言いたげに得意満面でいたくせに。「何だ! 情けない。何でも入っているからチャンポンなんだろうが」と言いたかった。彼らはつまらないことでいつまでもグダグダとしていた。

 どだい私みたいな北海道のドイナカで育った者からすると、人糞を撒(ま)き散らした畑に入ってドロのついているダイコンやニンジンを生のまま齧(かじ)るのは、日常茶飯事であった。また、野イチゴや桑の実など多少虫が入っていても平気で食べていた。汚いという感覚に対する許容範囲が極めて寛大なのだ。今だってマヨネーズさえあれば、その辺に生えている雑草を片っ端から食べてみせるくらいのことはお安い御用だ。

 東京のカラスを見よ! ハンガーで巣作りをし、美味そうに何でも食っている。カラスが食中毒で死んだなどという話は、聞いたことがない。彼らの逞(たくま)しさを見習え! と自分を正当化したくなる。ただ、東京のカラスは真夜中なのにしばしばカアー、カアーと鳴きながら飛びまわっている。カラスもおかしくなっているのだ。

 こうなったらアフリカにでもいって、牛のウンコでできた家にホームステイさせてもらい、貴重な芋虫のご馳走でもてなされると、少しは精気を取り戻せるのではないか。時間とお金があったら、こんなツアーを一度体験してみたいものだ。

 

  2004年2月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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