あんぽんたんの木 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

<この木を見て思うこと>

 クロマツの木が道路の真ん中に立っている。歩道ではなく、車道の真ん中に。しかもその木は見上げるほどの大木で、正々堂々と立っている。この目を疑うような光景に、しばし釘付けになる。室蘭市の懐の深さ、許容量の大きさに打たれ、敬意を表したい気持ちになった。

 これが初めて「あんぽんたんの木」の写真を目にしたときの印象である。室蘭市知利別町(ちりべつちょう)4-16にあるこのクロマツは、いつのころからか「あんぽんたんの木」と呼ばれ、地域の人々から親しまれるようになった。

 

 どうしてこの木はこんなところに立っているのだろう?

 なぜ、伐採されずにすんだの?

 あんぽんたんの木という名は、どこから来ている?

 この木は、いつからここに立っているの?

 

 この木を眺めていると、様々な疑問が浮かんでくる。そして、この木が過ごしてきた「時間」を思う。

 かつて「ど根性〇〇」というフレーズがちょっとしたブームになった。アスファルトの隙間から顔を出したダイコンやスイカなどが、「ど根性」を冠されて呼ばれた。このあんぽんたんの木こそ、まさにその代表選手だ。

 眺める人によって、この木の見方がずいぶんと違ったものになるに違いない。大いなる勇気をもらう人。「お前もガンバレ!」と励まされる人。ずっと自分を見守ってくれていたと感じる人。何年かぶりに帰ってきて「お前はまだここに立っていたんだ」と懐かしい思いで幹に触れる人。様々だ。

 

<伐採計画の浮上>

 このあんぽんたんの木の伐採が報じられたのは、2017年8月24日の地元紙、室蘭民報でだった。クロマツのある場所は、新日鐵住金㈱室蘭製鉄所の所有地に囲まれた敷地内通路上である。ここは市有地なのだが、市道としては認定されていない道路だという。北海道道107号室蘭環状線(以下道道という)から少し入って緩やかな坂を上った途中に、同製鉄所のゲストハウス・知利別会館(知利別迎賓館)がある。とても閑静な場所であり、交通量がほとんどないところである。ただ、周囲の宅地開発に伴い道路の拡幅整備が予定されており、今後交通量の増加が見込まれている。そのため、市でも同通路の市道認定を検討していることから、開発事業者らが市や地域住民と協議し、道路整備を機にこの木の伐採が決まったというのだ。

 この伐採のニュースが、新聞・ラジオで報じられた。それを知った市民からの問い合わせが、室蘭市に数十件寄せられた。8月29日には伐採のためのお祓いが行われ、9月4日(月)の週に伐採される段取りが組まれていた。それが判明し「なんとか残せないものか」「できれば残してほしい」そんな思いが相次いで寄せられたのだ。

 このあんぽんたんの木から道道沿いに800メートルほどのところに桜蘭中学校(旧蘭東中学校)がある。この学校の運動部は、走り込みに際し、長年この木を折り返し地点にしてきた。この木までの一往復を「一本松」、二往復を「二本松」と呼び、木にタッチして戻ってくる。そんな若き日の苦しい想い出が多くの人の心にあり、この木はそんな人々を長年眺めてきた。この木を目指して走った日々、夕暮れまでこの木の下で語らった日。この地に生まれ、ここで育ち、暮らしてきた人々を見つめてきた木が、伐られようとしている。いても立ってもいられない思いが、人々を動かしたのである。

 そんな思いが汲まれ、8月31日、室蘭市長はあんぽんたんの木の伐採について「クロマツは樹齢が分からない。木の健全性を診断したり、道路整備上の詳細な確認といった総合的な検討をした上で(伐採を)再度判断したい」(室蘭民報 9月1日)との考えを示した。伐採の判断は「周辺整備の関係もあるので速やかに行う」という。市長の英断である。

 一抹の不安は残るものの、あんぽんたんの木は救われた。

 

<この木の樹齢とそこから見えてくるもの>

 道路ができてからこのクロマツを植えたとは考えられない。クロマツのある場所にあとから道路ができたと考えるのが常識だろう。では、この道路はいつ造成されたものなのか。知利別会館の建設に伴い道路が整備されたのか。この点が、この木の樹齢を知る重要なカギになる。

「この木は私の同級生のおじいさんが植えた」というコメントがフェイスブックにあった。クロマツを野原に植えたわけではないだろう。自宅の庭かその周辺に植えるのが普通だ。自宅ではなく、何かの施設の前だったのかもしれない。その場所が道路になったのだ。

 家の前や何かの施設の周辺が道路になるということは、新たに道路を造成したものと考えられる。つまり、とりわけ大きな施設があるわけではないこの場所を考えると、知利別会館の建設に伴い道路が造成されたと考えるのが自然だろう。

 実際にこの場所に立ってみると、知利別会館が建設され、その時に正面玄関から道道に接続する道路を造成したものだろうということが容易に想像できる。あんぽんたんの木は、道道から数メートル引っ込んだところに立っている。つまり、かつては道道に面したこの位置に建造物があり、道路の造成とともに建物は取り壊されたのだが、クロマツだけが何らかの理由で残されたのだ。知利別会館が建設されたのは昭和15年であるから、自動車のほとんどない時代である。道路の真ん中にクロマツがあっても問題にならなかったし、逆にクロマツが幹線道路から入ってくる車両などの「車止め」のような形になっていた。

 そのように仮定すると、クロマツの樹齢の推定は次のようになる。

 知利別会館が昭和15年(1940)の建設である。この木はそれ以前からあったという証言が実際にある。昭和15年は、今から77年前のこと。樹齢は、77年+αということになる。

 どうして道路を作るときにクロマツを伐採しなかったのか。当然伐採されるべきものだが、伐採を阻害する特別な要因が出来(しゅったい)したのだ。

 真っ先に思いつくのは、伐採しようとして良からぬことが起こったということだ(この話はフェイスブックやブログなどで読んだ)。それは一度ならぬ、二度、三度と(少なくとも二度以上)起こったために、伐ってはいけないという判断が下された。誰もがその判断に納得するほどの悪しき事だったのだろう。

 樹齢10年ほどの苗木なら、幹の直径が5~7センチほどだろう(このへんは専門家に確認する必要がある)。その程度のものなら手で引き抜くことも十分に可能であり、「伐採」という話にはならない。引き抜いたらそれでおしまいのはずだ。つまり、このクロマツは昭和15年の時点で、伐採しなければ除去できないほどの大きさの木だったことになる。そう考えると、現在のこの木の樹齢は、90年を優に超え、100年に近いもの、ひょっとすると100年を超えるかもしれない。

 また、道路の建設が知利別会館建設のしばらく後だったのではないかという可能性については、この道路が知利別会館の正面玄関前の通路で、幹線道路に接道するためのものであることから、それはあり得ないことだと断言できる。

 

<あんぽんたんの木の今後について>

 この地域の人々にとって大切なこのあんぽんたんの木、これからどうやって残していったらいいだろうか。すぐに思いつくことは、専用サイトがあってもいいのではないか、ということ。

 あんぽんたんの木の四季折々の表情をとらえた写真が見られるといい。昔の写真も見たい。スケッチや水彩画、油絵なども。あんぽんたんの木にまつわる思い出や、様々な思い、そんなものも読んでみたい。今回の伐採のエピソードを織り交ぜて、絵本なんかもいいじゃないか。そんなことが思い浮かぶ。

 この木を観光資源として使わない手はないだろう。こんなインパクトのある木は、日本全国探してもそうザラにあるものではない。バッジを作ってもいい。いろんなものにプリントしてもいいじゃないか。この木の松ぼっくりも何かに使えないか。私の貧弱な発想では、この程度しか思いつかない。

 ネーミング? もちろん「あんぽんたんの木」でいい。あんぽんたんな場所に生えていてそれを許容している、そんな室蘭市のおおらかさがいいじゃないか。単なるあんぽんたんの木ではない。立派なあんぽんたんである。

 

 あんぽんたんの木が、いつまでもこの地域のランドマークとして立ち続けていて欲しい、そう願ってやまない。この木は、ここで暮らす人々、ここで暮らしたことのある人々の心の財産である。つまり街の財産だ。街の風景は歳月とともに変わっても、この木は変わらずに立ち続けている。これまでがそうであったように。そして、これからもずっとそうであるように。

 だから、「やっぱ、伐るわ」なんて言わないで欲しい。

 

  平成29年9月22日  近 藤 

 

 < 写真撮影:室蘭市・石川詠心氏 >

ランキングに参加しています。

ぜひ、クリックを!

 ↓


エッセイ・随筆ランキング

 

 『肥後藩参百石 米良家』- 堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその族譜 -

http://karansha.com/merake.html

 

♡♡♡ エッセイの同人誌「随筆春秋」へのお誘い ♡♡♡

あなたのエッセイを活字にしてみませんか。随筆春、書くことが好きな方が、気軽に作品を発表できる場です。くわしくは、随筆春秋のホームページで。

http://www.kenshu21.com/99_blank001.html