~ 近代日本の夢、ここに ~ 『 万 田 坑 』 世界遺産登録! | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。


今年平成27年7月、熊本県荒尾市にある、万田坑(まんだこう) を含む

「明治日本の産業革命遺産」 が 世界文化遺産に登録された。

 

 

 

 




そこには、日本の近代化を支えた男たちの夢の跡 ″ があった!
 

 


 

 

▼ 全盛期の正門は手前の門柱位置。

 


 

この正門を通り右側に脱衣場と呼ばれていた大きな建物を通り構内へ入っていった。

正面奥に見えるのが現在の正門。
 

 




巨大な製鉄の櫓(ヤグラ)と赤煉瓦づくりの建造物はどこか威圧感さえ感じる。

 黒いダイヤと呼ばれた日本の近代化に大きな役割を果たした「石炭」。

 ここ荒尾・大牟田地域は三井の炭鉱が点在した「炭鉱の町」 だった。

 伝承によると、室町時代の1469年、地元農夫が 「燃ゆる石」 を発見したことから

三池炭鉱の歴史が始まったという。

 

 




三池炭鉱の歴史

近代国家を目指した日本は、1873年、三池炭鉱を政府が直轄する官営炭鉱とした。

以後、近代的な手法を導入することで大規模な開発が進み、大浦坑、七浦坑、宮浦坑等が開坑され

わが国最大の炭鉱へと飛躍・発展していく。 

明治17(1884)年、ボストン工科大学で当時最新の鉱山技術を習得してきた團琢磨がこの三池に

赴任してきたことでさらにその後の発展拡大に大きな影響を与えることとなる。

 1889年、三池炭鉱は官営から三井に払い下げられ、その後三井の経営となり勝立坑宮原坑が開坑し1902年その集大成として開坑したのがこの万田坑であり、さらなる近代化を遂げた。

1930年代以降、日本は中国や欧米と戦争をしていたため、労働力が不足し、当時の植民地朝鮮の人々や中国の人々、連合国軍捕虜などを強制労働させたりという不幸な出来事も起こった。

1945年以降、日本は戦後復興のため石炭が必要とされ、三池炭鉱は活況を呈した。

 しかし、1950年~1960年代には、エネルギー革命のもと、日本の主要なエネルギーは石油へシフトし

国内の炭鉱の多くは閉山を余儀なくされる。

 三池炭鉱も大規模な機械化・合理化を行い、1959年~1960年には激しい三池争議が起こる。

 また、1963年と1984年には大規模な事故災害が起きた。 

その一方で、1970年には年間657万トンという三池炭鉱で最大の出炭量を誇り

1日に2万トン以上の石炭が採掘された。

1990年代になると、海底を採掘する三池炭鉱は莫大なコストがかかるようになり

経営は厳しさを増した。

そして、三井三池炭鉱は平成9年3月閉山し、三井経営108年

官営時代からは124年という近代炭鉱としての長い歴史に幕を下ろした。

 

 



三池炭鉱と万田坑

万田坑は三池炭鉱のシステムの中の一つとして機能した。

宮原坑(大牟田市)の南約1.5kmの位置に開かれ、三井の総力を挙げて整備された

わが国最大規模の竪坑(たてこう)である。

明治30(1897)年から同35(1902)年にかけて作られた第一竪坑と

明治31(1898)年から同41(1908)年にかけて作られた第二竪坑とからなる。

1910年頃には万田坑や宮原坑で採掘した石炭を三池港まで専用鉄道で運び三池港から輸出するという石炭運搬システムが確立。その後、三池炭鉱は石炭化学コンビナートとして発展、採掘区域が有明海海底へと伸びると三池炭鉱は本格的な海底炭鉱となった。

昭和26(1951)年、採炭効率が低下したため採炭を中止し、第一竪坑などの諸施設が解体された。

しかし、その後も第二竪坑は揚水や坑内管理のため

平成9(1997)年3月まで施設が維持されていたのである。

現在、第二竪坑・ヤグラ、巻揚機室、倉庫およびポンプ室、安全橙室および浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存されている。これらは、わが国の近代化に大きな役割を果たした三池炭鉱に現存する

明治・大正期における最大級の施設であり、当時の優れた炭鉱の技術を伝えているため

平成10年5月、国の重要文化財に指定された。

また、第一竪坑、汽罐場跡、坑内トロッコ軌条、職場、プラットホームなどが遺存し

炭鉱のシステム(採炭・選炭・運炭)が分かるため、炭鉱施設としては わが国では唯一

平成12年1月、国史跡として指定された。

平成20・21年で、第二竪ヤグラや巻揚機室などの保存修理が完了したため

平成22年より一般公開が開始されている。

平成26年1月に万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は

日本政府からユネスコへ世界遺産候補として正式に推薦され、今年平成27年7月5日にドイツで開催された世界遺産委員会において、世界文化遺産に登録されることが決定された。

 この瞬間、ここ 「荒尾の宝・万田坑」も、晴れて 「世界の宝」となったのである。

 



 

◆世界遺産とは?

人類の歴史の中で生み出された自然環境や歴史的建造物など

 「世界中の人々が過去から未来へと伝えていかなければならない 」 と認定された、人類共通の遺産。 

その中で、万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産」は、優れた価値を持つ建築物や遺跡などが分類される

「文化遺産」として認定されたもの。


◆日本の世界遺産

これまで日本には18の世界遺産があった。日本の文化遺産には

昨年登録された「富岡製糸場」や、「厳島神社」「古都京都の文化財」などの貴重な遺産がいくつもある。

万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産」は日本で19番目の世界遺産として、その仲間入りを果たした。


◆なぜ世界遺産?

九州・山口を中心にした構成資産からなる「明治日本の産業革命遺産」は

日本が幕末に西洋技術を導入し、飛躍的な発展を遂げる原動力となった遺産群

、「造船」「製鉄・製鋼」「石炭産業」の各施設が技術の伝播などにより相互に発展し

明治期の日本における急速な産業の達成のきっかけとなった貴重な遺産群なのである。



 

次回は、現存する施設と近代化を支えた男たちの夢の跡を紹介!

 

 

 

 

 

 

 

 


本日は以上です。


 

 

 

 

 

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