サラリーマン時代
ボクは後輩や新しく入社してきた人たちに
仕事上でのよきライバル(好敵手)を持つことの大切さを幾度となく語っていました。
しかし、ライバルを 「好敵手」 という存在にするか、単なる 「敵」にしてしまうかは
「ライバル」 に対して 「学び取るこころ」 を持てるかどうかにかかっています。
さらには、ライバルの存在を仕事上の存在だけにとどまらず
スポーツや趣味、また私生活といったあらゆる分野にライバルを持つことで
内に秘めた様々な活力が湧き上がって来ます。
そんなにあらゆる面にライバルがいては息苦しくなるのでは?
という人もいると思いますが
確かに 「学び取るこころ」 を捨ててしまうと
息苦しい存在になるだけです。
だけども
一度しかない自分の人生の間口を広げ、中身の濃い充実したものにしたいのなら
≪大いにライバルを持つべし!≫
ボクはそう思います。
普通ライバルと考えるのは
現在の自分より一歩、二歩、あるいはそれ以上先に位置している人です。
なぜなら、本来人間は向上意欲を持っているからです。
ただし、そこで注意したいことは、ライバルを追い抜く対象としてしか捉えてないと
相手の優れた点は、「叩くための攻撃目標」にしかならず
抜くか抜かれるかという勝敗だけにこだわることになり
時には苛立つようになったりもします。
これでは 「学び取るこころ」 など生まれるはずもありませんし、成長の実感も得られません。
あくまでも好敵手は、「向上目標」であり
自分を映す鏡でなければならないと思うのです。
だから、そういったライバルは一人より二人、二人より三人と
多い方がいいのです。
人間は、「自分が誰よりも幸せでありたい」 こういった感情を捨て去ることは困難です。
好敵手の 「好」 の字は、ライバルである対象に対して「好意」を持つことなのです。
「好意」 は、共に成長して生きる姿勢からしか生まれてこないと思うのです。
現在の自分があるのは
間違いなくその時々にいいライバルの存在があったからです。
そういった人たちに感謝すると同時に
これからもそうあり続けたいと思っています。
本日は以上です。