細川家菩提寺・妙解寺跡“北岡自然公園” | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

熊本藩主細川家の墓所・妙解寺(みょうげじ)跡

 

北岡自然公園は熊本市街の西方、→ 花岡山  の麓にあり

細川家菩提寺妙解寺跡として、園内の一面には今も歴代藩主やその妻子

歴代住職などの墓が並び国の史跡に指定されている。

 


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

 

入口には園内の案内図がある。入園料は大人200円。

 


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細川家三代の細川忠利没後、跡継ぎの四代細川光尚(みつなお)が

父の冥福を祈って創建したのが妙解寺である。

忠利の戒名妙解院殿から名づけられた。

 

周りを樹の茂みに包まれて格調が高く静寂さが漂う。

 

 


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開基の沢庵和尚から幕末まで十代の住職を経て

明治4年(1871)神仏分離令で廃寺となり、翌5年

その地は細川家の北岡別邸として使用された。

 

 

昭和20年(1945)7月1日、空襲で建物が焼失。

その後昭和30年(1955)熊本市が譲り受け、北岡自然公園として一般公開されている。

 

北岡とは、この一帯が二本木国府の北の丘陵にあたることに由来する。

 


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空襲がなければ、格張高い古典景観が見られことだろうと残念であるが

 

いまも、文化的定点として厳然として残っている。

 

いま残っているのは霊廟と霊廟入口の唐破風の門、石の妙解寺橋

 

裏門、参道に並ぶ石灯龍群などに往時を偲びながら敷き詰められた砂利を鳴らして進む。

 


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両脇の石灯籠には

「寛永十九年」「二十年」と彫られた当時のものだ。

いずれも武蔵の存命中のものだ。

 

忠利を慕う武蔵は幾度となくこの参道を通ったことだろう。。。

 

 

<武蔵の記事はこちら>

 

 

くまもとの “武蔵” を歩く!【其の三】

 

くまもとの “武蔵” を歩く!【其の二】

くまもとの “武蔵” を歩く!【其の一】

 

 

三霊廟へ進む前に、先にそのほかの歴代藩主の墓へ・・・。

 

 


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石段を上がり下りするのには、まだ汗が(~_~;)

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細川家五代 綱利(つなとし)の墓
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四代光尚の長子。

吉良邸へ討ち入りを果たした赤穂浪士のうち

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめとする17人の浪士を預かる。

正徳4年(1714)、72歳で没した。

 

 

★綱利愛用の力石
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日頃身体を鍛えるために使用していたもので

大・中・小とあり60キロから180キロあるといわれている。

 

 

 

細川家六代 宣紀(のぶのり)の墓
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五代綱利には男子の世継ぎがなく

弟で新田支藩主若狭守利重の二男宣紀が家督を相続し藩主となった。

宣紀の代は天災が立て続きに起こり、また綱利時代の浪費財政も影響し多難を極めた。

享保17年(1732)、57歳で没した。

 

 

細川家七代 宗孝(むねたか)の墓
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六代宣紀の四男として生まる。

父宣紀が亡くなったとき、すでに兄3人は亡くなっていたため

四男の宗孝が家督を相続。延享4年(1747)、

江戸城に登城したとき、乱心した旗本・板倉勝該(かつかね)に斬りつけられ不慮の死を遂げる。

 


細川家八代 重賢(しげたか)の墓
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六代宣紀の五男。

兄・宗孝が不慮の死を遂げたため、その後肥後藩主となった。

当時、藩の財政は極度に窮迫していた。重賢は藩政全般の建て直しに

質素倹約を旨として文武両道を奨励した。

その後長い年月をかけ改革をなしとげる。

当時、超倹約家だった重賢の墓石は、やはり小さい!

元明5年(1785)没した。

 

 

ここからさらに南側には

 

11代を除く九代~十二代の歴代藩主の墓がある。

 

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三霊廟には道がつながっているのでそのままでも行けるが

 

ここはやはり元に下って・・・

 

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この参道から直進して入る細川家霊廟の門から石段を登って行く!


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さらに、石段・・・合計96段! 少し息がきれた(^▽^;)


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登ったところに堂々たる唐破風の屋根の山門。

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格子屏のある山門をくぐると、三つの廟が並ぶ。

格式ある当時の姿で招き入れてくれる。

国指定重文である。

 


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中央が細川家三代で初代熊本藩主となった忠利。

右がその室(保寿院)、左が四代光尚の廟である。

 

※近代細川家は藤孝(幽斎)が初代であり、肥後細川家は

 

  忠利が初代となる。

 

この3御廟は江戸初期の建築様式を残す方形造りで

 

覆屋の中には五輪塔が鎮座している。

(残念ながらこの日は五輪塔を拝むことはできなかった)

 

 

第三代 細川忠利公御廟

 

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細川忠利(ただとし):細川忠興(ただおき)の三男で

母は明智光秀の娘・ガラシャ(玉)。

寛永9年(1632)、肥後の加藤忠広(加藤清正の三男)が改易されたため

その後を受けて豊前小倉藩から肥後熊本藩の初代藩主となった。

徳川家光の乳母・春日局は

明智氏の縁者で、ガラシャの実子である忠利に対しては

好意的であったという。

 

 

忠利逝く。

 

あまりにも突然の死であった。死因は脳卒中。

寛永18年(1641)3月17日

忠利56歳であった。

 

 

第三代 細川忠利公室保寿院御廟
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慶長2年(1597)小笠原兵部大輔秀政の娘として生まれる。
慶長14年(1609)、徳川秀忠の養女として細川忠利の正妻となる。

慶安2年(1649)11月、江戸白銀邸で亡くなり、江戸郊外東海寺の妙解院に葬られた。

この熊本の墓はその分骨供養墓である。

 

 

第四代 細川光尚公御廟

 

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元和5年(1619)、細川忠利の長子として生まれる。

寛永12年(1635)、将軍家光より一字を与えられ肥後守光利と称した。

天草・島原の乱には、父・忠利とともに出陣。

その後忠利の遺領を継ぎ、光貞と改名、翌年光尚と改める。

慶安2年(1649)

31歳の若さで没した。

 


この三霊廟の周りを取り囲むように殉死者の墓が並んでいる。

 

 

★細川忠利公の殉死者の墓
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忠利の廟を19人の殉死の臣の墓が取り囲む。

 

 

★細川忠利公ゆかりの鶴の碑
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忠利が可愛がっていた『鶴』がいた。

忠利の死後、放たれた鶴は一声悲しそうな鳴き声をあげて飛び立った。

そして、忠利の三回忌に、再び舞い戻って

墓のまわりに棲みついて、そのまま死んでしまった・・・そうな。。。(左の小さい碑)

 

 


★細川光尚公の殉死者の墓
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光尚の廟の周りにも11人の殉死者の墓石が並ぶ。


 

   ~武家社会の非情のドラマ~

 

       「阿部一族」

 

 

森鴎外の名作「阿部一族」は、武士道の面目と意地に賭けた男たちの悲劇のドラマである。

主君・細川忠利公の死後、18人の家来が殉死したように

阿部弥市右衛門は許しを得ぬまま追い腹を切る。

残された家族への仕打ちは冷たいものであった。

長子権兵衛はその無念をここ妙解寺で行われた法要の席で示すがたちまち処刑される。

もはやこれまでと阿部一族は屋敷に立て籠もり

討手の軍勢を相手に全員が壮絶な最後を遂げた。・・・いま

その阿部弥市右衛門の墓が霊廟のある境内にひっそりと建っている。

 

 

阿部弥市右衛門の墓 
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ここ「北岡自然公園」は新幹線熊本駅から歩いても10分ほど。

 

緑の樹々に囲まれた癒しの空間である。

訪れる人も普段はあまりいないように思われる。

人の姿を殆ど見ない。

 

いま、この森の前には新幹線の高架が並び

新幹線がもの凄いスピードで走り抜けていく・・・。。。

 

 

 

 

細川家菩提寺・妙解寺跡

 

 

 

北岡自然公園

熊本市横手2-5-1

096-356-8005

入園料大人・高校生200円 中学生以下100円

入園時間8:30~17:00(入園は16:30まで)

休園日12月29日~31日

 

 

 

※忠利公が火葬されたお寺、岫雲院(しゅううんいん)もここからほど近いJR熊本駅の近くにあります。

また熊本藩細川家墓所としては、泰勝寺跡(たいしょうじあと)“立田自然公園”もあり

 

 

 

ともに国の史跡に指定されています。

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

熊本で遊ぶ。熊本でお仕事。どちらもお泊りなら  

 

 

 

 

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小さいから楽しいホテルの経営