三賢堂(島崎5丁目)は
熊本出身の政治家で、衆議院議員に14回連続当選した安達謙蔵が
昭和11年(1936)、市民の精神修養の場として建てたお堂である。
先日アップした釣耕園の庭園と繋がっている。
肥後の三賢人として
菊池武時、加藤清正、細川重賢 の
坐像が安置されている鉄筋コンクリート造りの2階建ての三賢堂。
堂に入ると
1階入り口の正面に向かって右に加藤清正
中央に菊池武時
左に細川重賢の座像が並んでいる。
像を制作したのは
武時は田島亀彦、清正は朝倉文夫、重賢は長谷秀雄という
当代を代表する彫刻家3氏。
★菊池武時公(1278~1333) 菊池氏12代
鎌倉時代末期の武将で代々勤皇の志が高く
建武の中興に際しては倒幕の兵を挙げた。
一族も、南北朝時代に南朝方として征西将軍懐良親王を擁して活躍した。
熊本城を築城し、今日の城下町熊本の基礎を築いた。
優れた土木工事は、400年後の現在もその勇姿を残している。
江戸時代中期の肥後藩主。
倹約を尊び養蚕、植林をすすめ農業を重んじて名君とされた。
また、文武を奨励し藩校時習館を起こした。
この三賢堂の下
敷地内にある家屋は、安達謙蔵の旧居で源泉荘である。
書斎は備於斎(びおうさい)と名づけられ
昭和24年遺言により熊本市に寄贈されている。
三賢堂
熊本市島崎5丁目32番27号
。o○☆゚・:,。*:..。o○☆延命水*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○
三賢堂の前の道路沿いにある共同の水場
延命水では
地域の人たちが野菜を洗う姿などみることができる。
『肥後國誌』には、ここを 「晒し場(さらしば)」と書いてある。
このあたりには、昭和の戦後になっても紙漉(す)きをする人がいたそうな。
ここで原料のコウゾ、ミツマタを晒していたのだろう。
☆*:;;;:*☆*:;;;:曹洞宗 岳林寺*☆*:;;;:*☆*:;;;:
三賢堂からさらに300mほど西に曹洞宗(そうとうしゅう)の
岳林寺(がくりんじ)がある。
天平宝字年間(757~764)に創建され
隈本城主の城親賢(ちかまさ)が天正9年(1581)に再建したといわれる。
親賢の墓も境内にある。
「くまもと春の植木市」は城親賢が命じて始まったといわれており
植木市が始まる前には岳林寺で墓前祭が行われる。
また、岳林寺は
明治30年(1897)の大晦日、文豪夏目漱石が
小天(おあま)温泉へ行った「草枕の旅」は
ここから歩いて行ったというエピソードも残っており
足跡を辿るコースは、ここが出発点に設定されている。
以前書いた漱石の記事はこちら
岳林寺
熊本市島崎5丁目40番48号
本日は以上です。
岳林寺境内の天を覆うもみじ