熊本で最初の総理大臣「清浦奎吾」 | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

わが古里シリーズ!

 

大正13年

75歳の清浦奎吾は熊本で初めての内閣総理大臣になった。

官界歴50年あり出世栄達の道を極めた人である。

 

我が母校にも銅像と清浦文庫があったことを思い出す。

 

山鹿市鹿本町来民(くたみ)にある清浦記念館へ

 

 


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

★清浦奎吾先生の銅像

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身を田舎町からおこし苦学力行し藩閥も学閥も姻戚もないところから

総理大臣にまでなった清浦奎吾。

 

親の教えの四恩(親・先輩・朋友・時世の恩をいう)を忘れず

清廉、潔白、高風清節の士としての生涯は誠に立派なもので

近年の政官の汚職等聞くにつけ清浦奎吾の生き方が大変尊く思われる。

 

 

★清浦記念館
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★展示されている資料等
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漢学をはじめ広く学問を修めた清浦奎吾は

わが国の法律制定に大いに貢献し

後に司法、農商務、内務大臣、枢蜜院議長を経て

大正13年1月内閣総理大臣となる。

 

 

 

★大正13年内閣組閣時
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嘉永3年(1850)

鹿本町来民の明照寺、大久保了恩の五男に生まれ

幼名を普寂(ふじゃく)といった。

 

 

 

★生家の明照寺 (清浦記念館の前にある)

 

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12歳の時

熊本市浄行寺の養子となったが

青雲の心にもゆる彼は

寺の法燈を継ぐ気にならず来民に帰る。

 

 

 

16歳の時

父母を説得して日田(大分県)の

咸宜園(かんぎえん)の私塾に入門。

 

 

★咸宜園の入門札
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★咸宜園(かんぎえん)
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ここ咸宜園は

広瀬淡窓が幕末の文化14年(1817)大分の日田市豆田に開いた

西日本有数の私塾で90年間続いた。

この全期間の塾生は4800人に達し、全国から秀才が集まり

この塾を出た幾多の人材が各方面に大きな貢献をしている。

 

 

普寂は苦学を続け都講という塾生最高の地位につき

塾主の代範を勤めるまでになった。

この塾で6年間勉学し意気揚々とふるさとの土を踏んだ。

 この頃に「清浦奎吾」と改名している。

 

後日「自分の今日があるのは咸宜園に学んだことがその一つである」

と述べている。

 

★テレビドラマ化された時の撮影風景
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★お墓(生家明照寺の隣にある)
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本日は以上です。

 


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来民の渋うちわ