出水神社への大きな鳥居を入ると、参道の両側に土産屋が並んでおり
正面に水前寺公園の入り口がある。
正式には、『 水前寺成趣園 (すいぜんじじょうじゅえん) 』という。
熊本市の水前寺公園(町名)にある大名庭園であり
通称 『 水前寺公園 』 と呼ばれている。
豊富な阿蘇伏流水湧出して造った池を中心にした桃山式回遊庭園で
築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれる。
入って左手に出水神社の社務所がある。
その近くには
この公衆電話ボックスは
明治34年2月熊本郵便電信局坪井支局(現在南千反畑郵便局)の前に
九州最初に設置されたもので、当時は、「自動電話」と呼んでいた。(復元)
橋の先左手に見える鳥居が出水神社。
日本橋を渡り肥後の国へ・・・
こんこんと清水が湧く池で、たくさんの鯉も気持ちよさそう・・・
鳥居をくぐって境内へ
明治10年の西南の役で
熊本の城下は焼け野原となり
旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは、藩主の御霊を祀り御恩に報い
御恩徳によって、戦いで荒んだ人心を安定させ
熊本の町を発展させようとの願望から崇敬者を集い
細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びここに社殿を創建し
細川藤孝公ほか3柱を斎鎮した。
後に歴代の藩主10柱及び忠興公室ガラシャ夫人が合祀された。
境内を出て
さらに奥の方へ少し歩いて行くと、正面左側が富士山。
境内末社稲荷神社がある。
細川家十代藩主、斎茲公が京都伏見より御歓請の御社。
尚、天保9年(1838)11月斎茲公御母堂台院殿御招請の
二本木御殿御鎮守の稲荷神社を合祀された。
祭典は、3月初午の日と11月8日に斎行される。
境内には袈裟紋水盤、光復碑(復興記念碑)の外、数基の記念碑がある。
拝殿南西側の五葉松は数百年の古木。
光復記念碑の傍に薄幸の放浪歌人宗不旱の歌碑がある。
今日はこれまで。
次回は古今伝授の間へご案内!
※テーマの「さるく」とは、九州の方言で、
“ぶらぶら歩きまわる”といった意味です。
本日は以上です。