西南の役 と 『 田 原 坂 』 その弐 | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

熊本城

戦国の名将加藤清正が築いた城で

薩摩を抑え、全九州ににらみをきかす役目の城であった。

 


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~
 

熊本鎮台のおかれた熊本城から『田原坂』までの約15kmは台地で続き

『田原坂』はその北端にある。

加藤清正はこの道を意図的に深く掘り込んだうえ

曲がりくねった凹道とし、途中の向坂や田原坂を城北防衛の要地としていた。

 

明治10年(1877年)政府尋問の為、北上した薩軍の一部は熊本城を包囲し

主力は熊本鎮台救援に南下する官軍と交戦したのである。

 

麓の豊岡眼鏡橋からの標高差は僅か80m, 『田原坂』は目の前だ。

 

 

★豊岡の眼鏡橋(植木町指定文化財)
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この石造眼鏡橋は

両脚の幅11.1m、高さ4.4mの単一アーチ橋である。

年号のはっきしている石造眼鏡橋では

熊本県内で最古の橋といわれている。 

※享和2年(1802年)

 

 

★田原坂への錦絵看板
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錦絵看板は

国道3号線側から田原坂へ向う208号線沿いと

この県道31号線側の2ヶ所にある。

入るとすぐに、「危険 魔のカーブ」の標識が・・・。

 

 

 

田 原 坂

 「 一の坂 二の坂 三の坂 」


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当時、この道だけが

唯一大砲や軍事物資を載せた馬車の通れる道幅があり

この道を越えなければ官軍の砲兵隊は熊本へは進めない。

田原坂の強行突破を計る官軍は

左右の高い土手や正面の雑木林から姿の見えない薩軍に銃撃され

退却しようとすると前後に回り込んだ薩軍兵に切り込み攻撃を受けこの坂を抜くことができず

何の変哲もないわずか、1.5Kmのこの平凡な坂道を中心とした一帯が

3月14日から17昼夜にわたる

激しい攻防戦の舞台となったのである。

 


一の坂
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一の坂は鬱蒼とした木々に囲まれた道で

険しい勾配のうえに前方の視界を遮る鉤(かぎ)型の坂道であった。


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二の坂
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二の坂は比較的に勾配の緩やかな坂である。

右手には二俣台地の確認ができるまでの景色になってくるが

左手は、一の坂同様木々が連ねて(一部畑になっていた)おり

官軍は薩軍の攻撃に苦戦する。

 

 

三の坂
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三の坂は道の東側は土手であるが

西側は田原坂頂上に陣を張る薩摩軍からみて

正面にせりだした舞台のようになり

丘上からの銃撃に官軍はなすすべがなかったといわれる。

薩摩軍はこの三の坂に幾重にも陣を重ねていたという。

右手前方に見えるのが田原坂公園。

 

三の坂には、熊本鎮台の兵士谷村計介の碑がある。

 

 

★谷村計介の碑
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同じくこの三の坂に

西南の役戦没者の慰霊碑がある。

 


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130 数年前に

この地で激戦が繰り広げられたとは

想像がつかないほど静かでのどかなところである。

 

 

★ 慰霊碑と道向い側は金峰山を望む景色
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田原坂の戦いは

大半は冷たい雨の降り続く中で行われた。
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3月20日、現在、薩軍墓地のある柿木台場が陥落したことにより

田原坂本道方面を守る薩軍が背後からの攻撃を受け敗走するに至り

最後まで官軍はこの田原坂本道を抜くことができなかった。

 

 

西南戦争の結末は

政治的には最後の封建的武力を制圧して

 

 

中央集権的近代国家完成の途に躍進させ

軍政的には徴兵制度を確立して国事建設の礎石を意味した。

それは時代の転機を示すものであり

明治維新はこの戦役を以って終期を終え

政治的・経済的な近代的発展は

ここから第一歩を踏み出したのである。

 

 

 

つづく

 

 

 

@: ちょっと田原坂公園に立ち寄ったのが運のツキ!     

      後日また足を運ぶ事となった(>_<)



 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

⇒ 小さいから楽しいホテルの経営



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