「 雨は降る降る
人馬は濡れる
越すに越されぬ
田原坂 」 ♪
明治10年3月4日から20日までの17昼夜にわたる
壮絶なる西南戦争の激戦地
「 田 原 坂 」
日本史上最大にして最後の内乱であり
官薩両軍が
国を想う真情と信念により戦われた一大血戦であった。
ここは、ボクの実家がある山鹿市に隣接する植木町。
熊本県の北部、鹿本郡にあった町で
日本一のスイカの産地として知られる。
2010年3月に熊本市に編入され
同時に熊本市の合併特例区となった。
先日、用事で近くに行った際、爽快な天気につられて
何十年ぶりであろう?、寄ってみた。
「田原坂公園」は
昭和32年に作られたものだが
さらに付帯施設が整備されていた。
★桜の木やツツジが植えられた公園
右手丘の上には
この慰霊碑は西南の役で戦死された
官軍 6,923名、薩軍 7,186名 殉難者29名の
御霊の安らかならんことを願って建立された。
官軍、薩軍の戦死者
それぞれ全県別に刻名された戦没者の数は
一万四千余名にのぼる。
明治維新における新政府の施策をめぐる相反した意見の対立!
国の案寧と民族の発展を希求して止まなかった前途有為な青年たちが
立場こそ官薩両軍に分かれて熾烈な戦いを行ったが
国を憂う志士たちの熱傷は異なるところなく
骨肉相食む悲劇という外ない。
この塚はかつて旧植木町役場入口と国道三号線との交差点付近に建てられていたもので
戦国時代の島津との戦いにおける戦死者を葬っていたそうだが
西南の役における薩摩軍戦死者が、戦後地元住民の手で合葬されたらしい。
昭和43年に新道路建設のためにこの地に移されている。
さらに奥への進んでゆくと
この美少年像は
西南の役 田原坂の戦いで散った若者たちすべての象徴である。
『 雨は降る降る じんばはぬれる こすに こされぬ 田原坂
右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年 』
〔 一に雨、二に大砲、三に赤帽 〕
田原坂の戦いの大半は冷たい雨の降り続く中で行われた。
「我々薩摩隼人は天下無敵じゃが、一に雨、二に大砲、三に赤帽は苦手じゃ」 と
薩軍の兵士たちはこぼした。
赤帽とは白兵戦に強かった近衛兵、大砲は炸裂弾の大砲。
そして最も恐れたのが雨だった。
雨が降ると、薩摩兵の木綿の着物は水を吸い動きが取れず
わらじは雨と泥の中でブツブツと切れ
先込めのエンピール銃は、粉の火薬が水を吸って不発になってしまう。
これに対して官軍は
水に強いラシャの軍服、皮の軍靴
雨の中でも発射できる元込めのスナイドル銃を使用していた。
雨の田原坂、戦況は官軍に有利に展開していったのである。
★ 薩軍兵士 (田原坂資料館)
★ 官軍兵士 (田原坂資料館)
★ 崇烈碑
碑文には当時の社会情勢や戦いの推移
田原坂の激戦の様子などがまとめられている。
もし、薩軍が南関を破り北上したなら
各地の不平士族がたちあがり、禍いは測り知れなかったであろうと
官軍の立場で書かれている。
資料館には
田原坂の戦いで使用された銃器類や戦況を伝える電文
錦絵などの貴重な資料が多く展示されている。
晴天白日の中、静かにこういう風景を眺めていると
130余年前のこの激戦地、田原坂をもう少し書きたくなった。
よって
その弐へつづく!(。>0<。)
本日は以上です。