全てが溶け合った日本人の原風景(2)
日本列島は、国土の大半が山林地帯です。
縄文時代までは山海林野での狩猟採集と
緩傾斜地を利用した焼畑農耕などを営んできましたが
二千数百前に平地で水田稲作が始まります。
その特徴は
山間の狭小な盆地や豪雪地帯にまで稲作を広め
ほぼ村人たちの独力で灌漑などを整備したことです。
こうして村人自身が、栽培や水利の高度な技術を開発していきました。
日本人の世界に誇るべき高い技術力や開発志向は
まさしく日本の風土が生み出したものなのです。
これは(写真)山口県の日本海沿岸の農村風景です。
(写真なくてスミマセン)
海・居住地・傾斜地の棚田・山林が一つの視野に入ります。
こんな狭い空間の中に、生活に必要なものが全てあるのが分かります。
日本人はこんなふうに、狭い土地で肩を寄せ合って
海の幸、山の幸、平地の幸をみんなで分け合い、助けあって生きてきたのです。
ひるがえって広大な中国大陸では、極端な話をすれば
山岳地帯に住む人が海を見ずに、あるいは、海岸沿いに住む人が山を見ずに
生涯を終えることも少なくありませんでした。
当然、山の民と海の民とでは、生活観から祀る神様までがまるで異なってきます。
その異なりはやがて民族の異なりにまでなりますから
どうしても対立しやすくなってしまうのです。
一方日本では、海と山と水田が溶け合って風土がつくられ
山の神様も海の神様も農業の神様も、お近所みたいなものですから
それぞれの民の考え方が融合して文化がつくられていきました。
外国人から見ると、非常に集団的、協力的に見える日本人の国民性は
まさにそうした風土から生まれてきたのです。
※「歴史街道」呉 善花氏「日本文化史」講座より
・・・・・次回へ
今日のボクのお昼は
小さいホテルの無料朝食の、残りもの
・・・・・でした。
本日は以上です。