逃亡という人生。 | 南の島から来た男アゲイン

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生きてるって、素晴らしい。

この時期には絶対食べておかなければならぬ(笑)という、春菊と縮小松菜のスパゲティ、これがまた美味しいんだよね。にんにくとアンチョビの風味でシンプルに、日本の冬を感じつつね。

今月の25日に、桐島聡という指名手配犯の人が見つかったという報道見て、どんな人なんだろう?と少しだけ調べたのよ。以下長いけど俺の調べたことを簡単に書くと、1974年から翌年にかけて東日本反日武装戦線という集団が主に大企業を標的にしたテロを起こしてその中の犯人として桐島聡という人が指名手配されていたということなのよ。この東日本反日戦線という物々しい集団は、学生から派生した集団で、過去に日本が特にアジア諸国に対してひどいことをしてきたという認識の下、海外に進出してる企業はアジア侵略に加担してるというロジック?なのかな、三菱重工ビル前での爆破では3名の方々がお亡くなりになり、なんと380名もの負傷者を出したそうだ。そんなテロ集団の中でたぶん一人だけ?だと思うけど逮捕されることなく逃亡し続け、ここ数十年は神奈川県内の工務店で住み込みで働いていた桐島聡が、末期がんを患っていて死ぬ時くらいは本名で死にたいと自ら申し出たことで今回のことが発覚したということらしいのね。逃亡中は内田洋(うちだひろし)という偽名で、49年間に渡る逃亡生活を送り、今この日記を書く前の報道では今朝お亡くなりになったということです。いやー、どうにもこうにも複雑な気持ちになるな。そもそもってことでいうと学生時代にそんな過激な運動に身を投じたことについて後悔みたいなのはなかったのかね。名前に反日って入ってるくらいだから日本を否定してる訳で、それなら海外にでも行けばいいと思うけど、そういうことではないってことなんでしょう。ただ日本という国を否定し続けてこの国に住んで働いたお金で生活して、どういう精神構造してるのかと考えるとね、俺にはちょっとわからないな。病気になったら自分が否定してる国の医療機関のお世話になり、最後は本名でっていうのもなんだかね、難しいものがあるよな。それにしても49年間、どんなことを考えながらどんな暮らしをしてきたのか?この人の人生って想像すると、若い頃にテロに加担したことでほぼ残りの人生では本名を名乗ることもできず、たぶん本音を語ることもなく、人目を避けるようにひっそりと生きてきたということなんじゃないかと、俺の勝手な想像だけどね、これ複雑な気持ちになるね。確かに当時の日本ではほかにも有名なので言えば日本赤軍とかっていう極左集団がたくさんあって、そういう活動してた人に聞くと、当時流行ってたと、そういう雰囲気がまん延していたんだという人が多いんだよな。戦争で負けてソ連の工作もあり、日本はダメな国なんだと、そういうことだよね。でも死ぬ瞬間まで間違ってなかったと、自分は正しいんだと今の日本で暮らしていて本当に思っていたのかな?どうなんだろう。いや若いからといってテロは許されるものではないけど、もし後悔しながら生きてきたとしたら、この先は俺の想像は及びません。でも逆にずっと信念持って俺は正しいと思っていたのであればその後の偽名での生活ってね、俺は矛盾するんじゃないかと思うのね。何故なら自分が否定し認めない国で、その国の制度の中で平然と暮らせるか?って話で、俺はその場合は安易に想像できるから、無理だと思うのね。そう考えると、毎度のことながら俺の勝手な想像だけど、後悔し逃げ隠れし続けた人生だったんじゃないのかな?と、その後悔の念が最期に本名を語らせたのではなかろうかと、もっと言えば少しだけの良心を持っていたのかもしれないなということがね、唯一の救いかもしれないなと思うのよ。いや本来であればもっと早くに名乗り出て罪を償うのが被害者に対するせめてもの救いになるのかもしれないけどね、命がなくなる直前とはいえ自ら名乗った気持ちは察するに値するかなと、思いました。しかしこれでまたひとつ時代が過ぎ去ったというか進んだというか、変わった感じもするね。