うちのアパートには夜の蛍光灯目掛けてカナブンやカブトムシが迷い込んでくるのだけど、どうやら迷い込んだら出ていくのが困難なのか、そのまま死んでしまうことが多い。
今朝、玄関を出て階段を降りたら瀕死のカナブンを発見。
つついたら動いたので、拾い上げて敷地内の土と草のあるところへ移動しておいた。
そこは青紫蘇が生えていて、とまって食べているカナブンを見かけたので、一枚葉を取ってそばに置いておいた。
食べるかな?と。
こうしてたまに虫救いをしてるのだけど、いつでも全員助けるぜ!!とはもちろんいかないので、今日助けたカナブン(助かるかはわからないけど)はたまたま気づいたから助けただけであって、「縁があった」だけである。
そう、カナブンとも縁があるカナブンと縁のないカナブンがいる。
今日のはたまたま縁があったカナブン。
ふと、人との縁もこういうこと多いなって思って。
例えばコロナ禍で大変なお店とかも多いと思うんだけど
たまたまフォローしてくれたお店や目に止まったお店が、コロナ禍で経営が大変でって内容とかも、今回のカナブンのようにふと気がついて「買ってみようかな?」なんて思ったりして、縁がつながることもあったりする。
たまたま目に止まったり気に止まったりするのも結構運命的なタイミングだと思う。
お店だけでなく、ミュージシャン同志や同じ趣味の人との出会いも。
全く会ったことがない人なのに、不思議と目に留まって縁がつながる。
ネットの力もあるだろうけど、それでも偶然目に留まるってのは何かしらの波長が合ったりってことなのだろうなと。
今日のカナブンとその後縁がつながるとかはあまり期待してないけど笑
自分も瀕死だった時にひょんな出会いがあったりして助けられることとかもあったなと。
今日のカナブンはあの時の自分だったりもする。
対人関係に例えなくても、すんごいしんどい時にたまたま出会った一匹のカナブンに目が留まることで絶望から意識が逸れたりしたならば、それは立派に「カナブンに救われた」ってことにもなるし、カナブンとの出会いそのものだって価値がある。
散歩中に見かけたカルガモが可愛くて癒されたとか、
絶望の淵でたまたま見上げた空に虹があった、とか
こうして考えると、偶然の助け合いは地球上のいたるところに散らばっていているのだろうな。
しんどくなったら、外に目を向けてみよう。
ささやかでも、意外と回復力になるものがあるかもしれない。
なんて、カナブンを通して色々考えた日、でした。
青紫蘇にまぎれて露草を食べていた別カナブン。
出かけついでに様子を見に行ったら穴だらけの紫蘇を残してカナブンは消えていたので、食べてどっかへ行ったのかと思われる。
達者でな
カナブン。