「こうでなくちゃ~」と 伊豆のみかんちゃん も言ってる!
NHK総合TVで放送されている大河ドラマ”平清盛”で
第3部で我らが英雄”伊東祐親(いとうすけちか)”が
登場する!
地元紙 伊豆新聞
前に書いた”伊東祐親”のこと( ´艸`)
http://ameblo.jp/izu-a-r-r/theme-10033932836.html
頼朝のことを悪く言う人もいるけれど、純粋に八重姫を
愛したと信じたい(//・_・//)
頼朝と八重姫の純愛
http://ameblo.jp/izu-a-r-r/entry-10864266757.html
源頼朝役は岡田将生さん。
伊東祐親役は峰竜太さん。
八重姫役は福田沙紀さん。
新聞によると、「源頼朝観光推進協議会」も立ち上げると
いうことで期待できますね!
本(伊東市の書店で関連本が売られています)を持って、
辿って行くと、おもしろいことが発見できます。
曽我物語発祥の里 河津三郎祐泰の血塚 にまた行って
来ました
国道135号線伊東市八幡野 八幡野観音像を通り過ぎると
この看板が見えます。
途中右側にこのような看板があります。
源頼朝の馬の足跡!?
http://ameblo.jp/izu-a-r-r/entry-11057067366.html
河津三郎祐泰血塚の入口ですが、随分と明るくなりましたね。
「行ってらっしゃい父上」
母に手をひかれ、馬上の父を見送る兄一万は五つ。
弟箱王(はこおう)はまだわずかに三つ。
幼な子達の父河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)
は伊東の館の主、伊東入道祐親(いとうにゅうどう
すけちか)の長男でした・・・
http://ameblo.jp/izu-a-r-r/entry-10882558813.html
あの 伊能忠敬 が伊豆に測量に来た時にここを通りました。
当時有名であった”曽我物語”。
「伊豆東浦路の下田街道」 著・加藤清志 によると、
「村を過ぎれば、頼朝公相撲見物の所あり。
昔は畑なりしが今は荒れて小杉山となれり。
それより少し行けば、川津三郎石碑あり。
文字も見えず、古碑なれども渡世の人建てしもなり。
道の右の山上に大椎などあり。
八幡野三郎近江小藤太川津三郎を射殺せし所なりと。
往古は三本なりしが枯れて三股の大椎一本残れりと。
この所湿気多く蛭甚だ多し」
と情景を書き残しているそうです。
椎の木三本は伊能忠敬が来た時は大きな椎の木一本
だったのですね。
紫陽花がたくさん植えられていて、前に来た時よりも
明るくなって、椎の木三本から見えちゃう!?
ここは旧下田街道 伊豆東浦路の古道であります(*´σー`)
吉田松陰も老中松平定信ここを通ったということです。
源頼朝と八重姫の純愛を美しく表現してほしい
ですねo(〃^▽^〃)o
応援ポチッとお願いしまーす