昭和三十三年九月二十六日に伊豆地方を襲った狩野川台風
のことを聞いたことありますか?
遠い昔のことで、私はこれがこれほど伊東市に被害をもたらした
とは思っていませんでした。
この資料はあまりないとのことです。
当時の伊東市の市長さんは、「昭和三十三年九月二十六日という日は、
ちょうど東京にとって、大正十二年九月一日が忘れられない日であった
と同じ意味において、伊東市民にとって、生涯記録すべき日」と述べられた
そうです。
伊東の教育委員会さんの方に承諾を得たので写真も掲載させていただきます。
資料、写真 編集 伊東市史編さん委員会
伊東の観光業に携わっていた牧野 正さんの体験談から抜粋させて
いただきます。
昭和三十三年九月二十六日、私はこの夜は観光協会の一階で万一を考えて
当直をしていた。
風も強いが雨が凄かった。
誰かが大川橋が落下したと騒いでいた。松川館も東海館など石垣は一部
決壊し浸水していた。
キネマ通りも、中央商店街も寺田川の決壊で死者が出ている。
広野、鎌田は空地などに水が溜まって池のようで、伊東の川は全部決壊
していた。
駅周辺では、一部家の屋根だけが線路の上にドカンと座っていた。
女性の腕だけが見えた。
(牧野さんはこの時、地蔵堂川(中伊豆)に住んでいた妹さんと妹さんの
子供、妹さんの義父母、義弟が亡くなったと書かれています)
-そんな中でも何をするべきかと考えた牧野さんー
駅の再開が十月七日に開通すると聞き、各旅館に急いで、出入り業者や
芸妓、マッサージ師まで動員して、五日には各旅館準備が一応出来た。
一方旅館組合も稲葉太郎氏が中心になり県からの低利資金借り入れを
進めていた。
この時先の調査が役に立ったので嬉しかった。
また旅館組合来たお見舞金は確か六十万円ほどを見込んで私は
TBSのラジオでコマーシャルをうつ提案をして認めてもらい、
「伊東温泉は健全です皆様がお出で下さることがお見舞いです」
とやったので、非常識だと議会の一部から叱られた。
改めて十日水害見舞いお礼キャラバン隊を編成し先ず当時有名な
船橋ヘルスセンターで、PR続いて東京駅でミカンの配布、
十三日は大阪、名古屋でミカンを配った。
勿論私は先乗りしてマスコミへのPR,、TVと新聞社回りをして夕刊に
載せてもらうため一生懸命だった。
特に大阪読売、サンケイ新聞、NHK、OTVに大きく扱ってもらい涙が
出たくらいだった。
帰りには名古屋駅前でCBCTVと名古屋タイムズにお世話になった。
お陰でこの秋は百二十パーセントの入りだった。
九月二十六日に台風が襲い、その秋の入りが百二十パーセント
だなんて素晴らしいですね!
今と比較することはできないと思いますが、行動に移すスピードが
凄い!
先輩を見習わなくてはいけませんね。
その後、狩野川台風を契機に伊東大川の改修が計画され、治水安全度を
高めることと上水道需要を確保するための奥野ダムが建設されました。
物資の救援に一役買う陸上自衛隊ヘリコプターが西校校庭に降りた
化粧品で有名なあのDHCがキャンペーンをやっているそうです!
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