前回のブログでは、相談者の和美さんと初めてお会いして、たくさんお話をさせていただいたと書きました。

 

息子さんと共依存の関係にある和美さんについて、書かせていただいたブログはこちらです

 

このブログを読んでくださる依存症者のご家族、受刑者のご家族は、和美さんの経験してきたことがご自身と重なったり、気付き、ヒントを得られるかも知れません。皆さんにぜひ読んでいただきたい記事です。

 

 

出所後に吸い始めてしまったタバコを、禁煙外来で苦しい思いをしながら何とか禁煙しました。今日はその後のことを書いて行きます。

 

 

欲しいものを夫に言えない私

一日の生活費は1,000円。初めのころは必死に頑張りました。デジタルチラシを見て安い所へ買いに行く。肉、魚、野菜の相場感も何となく分かってきました。

 

服、バッグ、アクセサリーはほとんど売られているので、自分の好みではない服を着て買い物に行きます。留置場で2年前に仕方なく購入した、下着と靴下を身につけて。

 

留置場では(拘置所も刑務所もですが)、自分の持ち物に油性ペンで番号を書きます。洗濯を繰り返し使い続けていれば、その番号もいずれ色褪せてきます。

 

そんな下着と靴下を身につけ、買い物に行く私。超みじめでした。

 

買えばいいじゃん、皆さんそう思うかも知れませんが、夫に「靴下とパンツ買ってもいい?」とお願いをするのが嫌だったんです。

 

嫌と言うか、言いにくい。言えない。

 

散々借金を作り、受刑者にまでなって、出所してすぐ「○○欲しいんだけど……」とは言えなかったんです。それがどれだけ安い物でも。

 

 

物が欲しいなんてどの面下げて言うんだ?無言の圧力

夫と一緒に当時を振り返りました。

 

夫は私が何も欲しがらないことに対し、「症子なりに我慢しているんだな」、と思ったそうです。

 

それと同時に、「買うなんて言わせねぇよ?」じゃありませんが、物を欲しがらないのが当然の反省と報いで、何をねだられたとしても買うつもりはなかったと言います。

 


季節は冬です。寒い。あれだけあったはずのコートが一枚も無いことも、なかなか受け入れられませんでした。

 

たくさんあったはずのブランド物のコート、私の大好きな洋服。それが一つも残っていないことに改めて絶望と、自分がやってきたことの現実がのしかかってきます。

 

 

恐る恐る、「コートが一枚もなくて、ユニクロで構わないから一枚欲しいんだけど……」、顔色を窺いながら聞いてみます。

 

ここでユニクロと言ったのは、ファストファッションのコートなら安いから、夫がYESと言ってくれる確率が上がると思ったからです。

 

私なりに小狡い計算をしたと言いますか、とにかくこれから寒くなるから、何としてもコートは欲しかった。

 

夫、嫌な顔をしてしばしの沈黙から 「………いくらするの?」

 

私、おどおどしながら 「種類によるから分からないけど、大体1万円くらいかな……」

 

夫、少し考えて 「……1枚も無いなら、仕方ないね」

 

 

こうしてコートの購入を承諾してもらった私ですが、定価で購入するのは申し訳ないという罪悪感がありました。

 

あと、「少しでも安く購入する気持ちがある」ことを夫に分かってもらうために、定価13,800円のダウンコートを、セールで9,800円になってから購入したのを良く覚えています。

 

今思えば、夫に対して過剰にへりくだる必要は無かったのですが、出所後はものすごく自己肯定感が低くなっていたので、必要のない罪悪感を感じたり、自分を貶めるようなことをしたのだと思います。

 

 

依存症者や元受刑者は家族からの信用はゼロ

夫の私に対するお金の信用度は0でした。この信頼を回復するまでどれくらいかかったか……。

 

と言っても、今でも100%の信用はされていないと思います。100%の信用はしていないけど、無茶なことはしないだろう、くらいの信用回復です。

 

 

ここで過去に金遣いが荒かったり、家族を裏切って来た元受刑者・依存症者の苦悩、葛藤が出てきます。酷い場合は家族との軋轢が生まれます。

 

元受刑者、依存症者は「これだけ頑張ってるんだから少しは信じてほしい」と思います。

 

これは夫が良く言っていました。

 

犯罪を犯して刑務所へ行ったのは症子なのに、借金を作ったのも症子なのに、症子が被害者ぶるんだよな。

 

 

私は加害者です。加害者なのに被害者ぶるって、おかしな話ですよね。

 

家族は「散々迷惑を掛けられたんだから、そのくらいのことは我慢して当然、やって当然」と思います。

 

ですが、当の本人は卑屈になっています。家族に負い目を感じています。

 

過去にやらかした自分のことを恨んで、わざと痛めつけているのではないか?あえて苦しみを味合わせているんじゃないか?そんなふうに感じてしまうのです。

 

これも何度も書いていますが、依存症者・受刑者とそのご家族の埋まらない溝はここで、ご家族側から見るとこの思考が、「加害者なのに被害者ぶりやがって!」という怒りになります。

 

 

そうだ!!報奨金残ってるじゃん!

前回のブログでは、禁煙外来に通ってやっとタバコがやめられたと書きましたが、タバコをやめてストレスもなくなったかと言うと、そんなことはありません。

 

タバコの次に私が求めたストレス発散は、スマホのゲームでした。

 

本当にこうして文字にするとどうしようもないですね。タバコで懲りているはずなのに、次はスマホゲームを始めてしまいます。

 

ゲームは受刑前に散々課金してもう懲りている。夫からはゲーム課金について相当怒られた。だから課金をせずに適度に楽しむぞ!そう思っていました。

 

が、そうはいかないのが依存症者です。依存症者が「適度に嗜む」、「適度に楽しむ」なんて無理なんです。

 

 

始めのうちは課金せず適度に楽しむことができても、同じチームの人がガチャでレアなカードを引いたりしているのを見ると、自分も欲しい!と思ってしまいます。

 

私は刑務作業で得た作業報奨金で、ゲームに課金します。

 

 

特別遵守事項は「就職活動を行い、又は仕事をすること」

 

刑務所とは無縁の生活を送る皆さん、これは仮釈放の際に、受刑者が必ず渡される「遵守事項通知書」と言います。

 

この遵守事項を守らなかったら、仮釈放を取り消して、再度収監しますよというものです。

 

 

この遵守事項ですが、1~4は皆同じことが書いてあります。真ん中から少し上に「特別遵守事項」と書いてありますね。

 

依存症子の場合は「1 就職活動を行い、又は仕事をすること。」と書いてあります。

 

この特別遵守事項は、受刑者によって書いてあることが違います。因みに殺人で服役していたHさんの特別遵守事項は私よりも項目が多く、「被害者の家族に一切接触しないこと」と書いてあったと記憶しています。

 

少し話は逸れますが、殺人で服役していた受刑者が出所するとき、被害者のご家族に連絡が行くそうです。加害者がもうすぐ出所します、というお知らせです。これが殺人だけに適用されているのかは分かりません。

 

 

遵守事項通りに行動するなら、私は職探しをして仕事をしなくてはいけません。

 

ですが夫は私が働くことに反対と言うか、私が外に出ることに良いイメージを持っていませんでした。

 

次回のブログでは、その理由を書いて行きます。
 

 

 

依存症子の名刺が出来上がりました。いっちょ前にカウンセラーを名乗らせていただいております。モザイクがかかっている名前の部分は、もちろん本名です。

 

 

 

産業カウンセラー養成講座も、残すところあと5回となりました。

 

私は馴れ馴れしく図々しいので、参加者の方の連絡先を片っ端から聞いています。(笑)

 

皆さんがワクチンを打ち終わり、コロナが収束へ向かえば、全員で食事会でも企画できればいいなと考えています。

 

 

人との距離が離れても、心の距離は縮めていく。これを心掛けていきたいですね。

 

 

前回、前々回のブログでは、出所後すぐにタバコを吸い始めてしまったこと、吸い始めた理由は、夫とのコミュニケーションが取れないストレスからだと書きました。

 

禁煙外来を受診してチャンピックスと言う飲み薬を飲み、やっと止めることができて今に至ります。禁煙して4年が経過しました。

 

タバコとチャンピックスについて改めて説明します

前回のブログは、タバコを吸わない方、全く知らない方には不親切なブログでした。追記はしましたが、改めて説明させてください。

 

紙巻タバコは1箱に20本入っています。私は1日3箱吸っていたので60本。夫は1日10本ほど吸っていたので、1箱購入すれば2日は持ちます。

 

1箱いくらかですが、メーカーによってまちまちです。私が吸っていたのは1箱460円~480円くらいだったと記憶しています。

 

460円×3箱(1日)=1,380円。1,380円×30日(1ヶ月)=41,400円。

41,400円×12ヶ月(1年)=496,800円!!!

 

恐ろしい金額が出てきましたね……。これを何年間続けていたんだ?と計算すると泣きそうになるので、ここでやめておきます。(笑)

 

チャンピックスとは禁煙補助薬で、簡単に説明すると、予めニコチンを体内に入れて、タバコを吸わなくても満足感を得られるようにする、というお薬です。

 

昔は完全に自費診療でしたが、今は保険適用となっています。禁煙できずに悩んでいる方には、おすすめの治療方法だと思います。

 

和美さんについて

2021年7月のブログ、共依存の怖さに書かせていただいた和美さんと、一昨日お会いしました。何度もLINE通話でお話をしていまいしたが、実際にお会いするのは初めてです。

 

和美さんの息子さんは依存症者です。2020年に書いたお話を聞きますというブログをご覧になり、そこからずっと相談に乗らせていただいております。

 

息子さんの逮捕

和美さんの周囲の状況が、7月から劇的に変化しました。事件の内容は伏せますが、息子さんは逮捕され、現在警察署に拘留されています。

 

和美さんに私への率直な感想を伺いました。紹介していきます。

 

【息子さんの逮捕前後に、私とLINEのやり取り、通話をした感想】

 

近況報告をすることで、自分の感情の整理をすることができる

悔しさ、悲しみ、苦しみ、絶望感を感じることを許していいと諭されることで、改めて現実に対応できる精神状態に戻すことができた

夫婦関係の見直しをしてきたことで父親としての、母親としてのあるべき姿を客観的に捉えることができて、夫婦仲がより良いものになってきた。

 

始めは私に対してイラっとした

和美さんは息子さんを更生させようと、必死にネットで検索したと言います。私のブログに辿り着くまで随分時間がかかったそうです。

 

和美さんは「母の愛で息子を更生させることができる」と信じていました。息子さんが依存症で、ご自身が共依存だということが何となく理解できても、実際に“どんなところが共依存なのか”が見えていませんでした。

 

私は和美さんに、「息子さんはいずれまた逮捕されると思いますが」と言いました。その言葉に和美さんはイラっとしたそうです。

 

「この人何言ってんの?私の息子はもう捕まらないから!私が更生させるんだから!」と思ったそうです。

 

それでも和美さんは、私とのやり取りを諦めなかった

私に反発の気持ちを抱いたものの、それでもLINEのやり取りを諦めなかったのは、息子さんのためにご自身が変わる必要があると気付いたからです。

 

和美さんからすれば暗中模索、何が正しいか間違っているかなんて分からない。

 

和美さんはとても勉強熱心でした。息子さんの更生に繋がるヒントをひたすら探します。私のブログから気付きを得て、ご自身でどんどん実行していきました。

 

母とは?夫とは?家族とは?

私は和美さんに、「息子さんを憎いと思ったっていいんです」とお伝えしました。和美さんはどこか理想の母親をやらなくちゃいけない、そう思っているように感じたのです。

 

息子さんが心配なのはとてもよく分かる。でもその前にご自身を、ご主人との関係性を見つめ直してみてください。そうお願いしました。

 

その理由はブログでも何度も書いていますが、依存症者だけが頑張っても、ご家族だけが頑張っても、依存症は回復しないんです。

 

ご家族が冷静に依存症者を見ることができるように、ご主人と和美さんが同じ方向を向く必要がありました。

 

やっていける!と思った矢先……

和美さんにとって本当にショックな出来事でした。ショックだなんて簡単な言葉を使うべきではないかも知れません。連絡をいただき、息子さんが逮捕されたと報告を受けます。

 

ですが、和美さんは以前の和美さんではなく、通話口でとても冷静でした。

冷静とも少し違う、目の前の現実をしっかり受け入れることができている。私はそのように感じました。

 

このころの和美さんはすでに、息子さんとの共依存から脱却しつつあったのです。

 

息子さんの逮捕からしばらく経って、和美さんと初めてお会いしました

和美さんと私の自宅がそんなに遠くないということもあり、初めてお会いする約束をしました。昼食をとりながら、色々なお話をさせていただきました。

 

【私が和美さんの伴走をすることで、和美さんにどのような変化があったか?】

 

共依存からの離脱が徐々に進んでいることを実感し、1日中息子さんのことを考えるようなことがなくなった

自分の感情を無視することなく、悲しむときは悲しみ、落ち込むときは落ち込み、小さな喜びを感じられるようになった

息子さんは今後実刑となるが、彼の人生は彼のもの。家族である自分の人生は自分でいいくらでも変えることができるから、塞ぎ込むことなく前向きに捉え、息子さんの帰りを待ちたい

 

 

の和美さんの感想を踏まえて、私の意見を書いて行きます。

 

依存症者のご家族は、自分よりもまず依存症者を何とかしたいという想いでいっぱいになります。それしか見えない、それ以外考えられない。

 

和美さんが息子さんへ間違った支え方をしている限り、息子さんの依存症は一向に回復しません。まずそれを理解していただくことが第一です。

 

そしてその間違った支え方をしてしまうことが、和美さんが息子さんと「共依存の関係にある」からだということに、気付いてもらう必要があります。

 

ご家族はちゃんと納得できるのです。あ、私こういうところが共依存なんだ、なるほどなって。

 

でもその改善を続けるのは、本当にとても難しいです。何年も、何十年も続けているルーティンを変えるのはなかなかできない。

 

元に戻ってしまったり、依存症の知識がない人に相談しようものなら、「息子さんが可愛そう」とか、「それくらいやってあげてもいいじゃない」とか、とんちんかんな答えが返ってきます。

 

そうするとご家族は「あれ?私のやっていることって酷いことなの?」と勘違いしてしまいます。

 

依存症者を何とかしたいと思ったら、必ず依存症の知識のある人に相談をする。ここを間違えてはいけません。

 

 

の中で最も印象的なのは、やはりです。

 

彼の人生は彼のもの

 

私が和美さんとLINEのやり取りをしていた当初、和美さんは息子さんを何とかコントロールしようとしていました。

 

息子さんの行動を何もかも把握していないと不安。今日はどこに行くの?誰と会うの?何時に帰ってくるの?ご飯は家で食べるの?

 

そんな行動をとっていた人の言葉とは、とても思えませんよね。

 

 

和美さんはご自身の目標に向けて、さらに勉強を始めたそうです。

お会いした和美さんの表情はとても明るく、息子さんがこれから刑務所へ行くなんて微塵も思わせませんでした。

それは息子さんを諦めたのでも、見捨てたのでもありません。

和美さん自身が自分の人生をしっかり生きているから、とても輝いて見えたのです。

 

大切な人が刑務所へ行く。だけど前を向いて生きて行けることを、このブログを読んでくださる皆さんに伝えたいと、和美さんはおっしゃっていました。

 

 

和美さんからの希望がある限り、私はこれからも共に歩いて行きます。

 

今日は和美さんの経験談を書かせていただきました。和美さん、ご協力いただき本当にありがとうございました。

 

前回のブログでは、出所後の私に無関心で、会話も少ない夫へのストレスでタバコを吸い始めたこと、吸い始めて4ヶ月ほどで夫にバレてしまったと書きました。

 

今日はまず告知をさせてください

日本産業カウンセラー協会が、自殺予防週間に「働く人の電話相談室」を開催するそうです。

2021年9月10日(金)・11日(土)・12日(日) 10:00~22:00、全国どこからでも無料です。

 

日本産業カウンセラー協会とは、いま私が産業カウンセラー養成講座を学んでいる所です。もしお悩みの方がいらっしゃいましたら、この機会にぜひ利用してみてください。


産業カウンセラー協会の回し者のように見えるかも知れませんが、これを宣伝したからと言って私にメリットがあるわけではないことを付け加えておきます。(笑)

 

 

受刑直前は1日3箱、マナーも何もあったもんじゃない


前回のブログのコメントにも書きましたが、夫も私も元々喫煙者です。夫は1日10本程度しか吸わないので、服や髪がタバコ臭くなるようなことはほとんどありませんでした。


受刑前の私はかなりのチェーンスモーカーで、家の中で吸うと壁紙が汚れるから外で吸えと言われていました。※タバコは1箱に20本入っています※


向精神薬の大量服用で頭がパッパラパーな私が、夫の意見に耳を傾けるわけがありません。新築で購入したマンションの私の部屋の壁紙は、入居して2ヶ月くらいで見事に真っ黄色となりました。

 

吸ったタバコの吸い殻はそこら辺に捨てる、車の窓から投げ捨てる。

駅のホームはとっくに禁煙になっていましたが、端に行って吸う。

歩きタバコ、自転車に乗りながらタバコ、車の窓全開でタバコ、そして投げ捨てる。

 

受刑前は本当に最低な喫煙者でした。こうして文字にすると本当にクソ、人として終わっています。

 

 

刑務所は無臭の生活

 

刑務所での生活は「無臭の生活」と言ってもいいと思います。
外のように香水や柔軟剤などは存在しないので、匂いのするものと言えばシャンプー、石鹸、化粧水や乳液、ベビーパウダー、ニベア、歯磨き粉、食事くらいでしょうか。

 

受刑したことのない皆さんには、全く想像がつかないと思います。外の世界では常に色んな匂い、香りがしますよね。良い匂いも悪い匂いも含めて。

 

受刑生活を続けると、とても匂いに敏感になるのです。
 

私は内掃工場と言って、刑務所中を歩き回って掃除をする工場に居ました。

仏間に行くとお線香の香りがしたり、医務の保管室に行けば医務独特の匂いがする。これは外の世界にいたらきっと気付かないであろう、微かな匂いなんです。

 

先生(刑務官)が休憩から戻って「タバコ吸ってきたんだな」とか、「この柔軟剤はダウニーだ」とか、とにかく匂いに敏感になりすぎてしまうのです。

 

因みに依存症子は、受刑前から柔軟剤のダウニーの匂いが苦手でした。

 

その匂いが先生の制服から香ってきたとき、急に頭が痛くなってしまったんです。

 

これがきっかけかは分かりませんが、出所後にあまりにもきつい香水や柔軟剤の匂いを嗅ぐと、頭痛がするようになってしまいました。

逮捕前は全然平気だったのですが、約2年の拘禁生活で化学物質に過敏になってしまったのだと思います。

 

 

タバコを咎める夫、反抗する私

 

刑務所で化学物質過敏症になったので、タバコの臭いは当然嫌なわけです。

歩きたばこをしている、喫煙ルールを守らない老若男女に文句を言いたくなることがしょっちゅうでした。出所後にそういう人たちを見ては「タバコ臭い!」と言っていたので、夫からすれば「ああ、症子はこのままタバコやめるのね」と思っていたようです。

 

前回のブログの続きに戻ります。夫にタバコを吸っているところを目撃され、もう言い逃れが出来ません。

私は正直に、あなたとの生活のこういうところに不満がある、だからタバコを吸ってストレスを発散したと正直に話をしました。夫は忘れ物を取りに家に戻っただけなので、帰ってから話を聞くということですぐに出社しました。

 

夫が帰ってくるまで悶々と過ごしました。もうこれでタバコは吸えないかぁ……。

 

でも夫は吸っている。それなのに何で私だけやめなきゃいけないんだ?そもそも夫はタバコは吸うな!なんて言ってないよな?なんで私だけ我慢をしなくちゃいけないんだ?夫が吸っているなら私も吸っていいじゃないか!!!

 

 

夫が帰って来てから話をします。「俺は症子がタバコを吸う姿は見たくない」と言いました。

 

は?そりゃないぜ……と思い、「女がタバコを吸う姿を見たくないってこと?」と聞きました。

 

 

ぐうの音も出ない言葉が返ってきた

 

「結婚生活を始めて、俺がどれだけ家で吸うなって言っても症子はタバコを吸い続けたよね。俺からすれば症子がタバコを吸う姿は、受刑前の症子と被る。だからその姿をもう見たくないんだ。」

 

何も言えませんでした。

 

これまで私が散々やらかしてきた事を、何とかして忘れようとする夫。


私がタバコを吸うことで、夫が忘れようとしている過去が甦るのです。
 

昔私がやらかしたことなんて思い出したくもないのに、タバコを吸う姿を見ることで、過去が鮮明によみがえってしまうのです。

 

 

私は依存症者。タバコさえそう簡単にはやめられない。

 

夫がタバコをやめてほしいと思う理由が分かったので、ちゃんと話し合って、お互い禁煙しようということになりました。

 

夫は1日10本しか吸わないのでやめるのは簡単でしょうし、本人もそんなに苦ではないと言っていました。

 

そう、問題は私。私は多数の依存症がクロスする依存症者。タバコをやめるのも絶対に苦労する。そう思った私は禁煙外来を受診します。

 

禁煙外来を受診することに夫は難色を示しました。え?また病院行くの……?と。

このころもまだ「病院=悪」、「症子が病院に行く=向精神薬を貰いに行く」と思っていたので、ちゃんと明細を見せるから行かせて欲しいとお願いをしました。

 

私は依存症者。自分の意志では絶対にタバコもやめられない。だから薬の力を使ってやめるしかない。そう何度も説得して、やっと許可をもらうことができました。

 

禁煙外来でチャンピックスを処方してもらいます。

※チャンピックスとは禁煙補助薬、飲み薬です。禁煙補助薬として他にニコチンパッチ、ニコレットなどのガムがあります。※

始めのうちはチャンピックスを飲みながら吸ったりしていました。チャンピックスを飲むと吐き気がしました。それでもタバコを吸いました。おえぇぇとなっても吸いました。

気持ち悪くなるのに、気持ち悪くなるって分かっているのに吸うって、もう依存症真っただ中、末期だと感じました。

大袈裟だと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、体調が悪くなると分かっているモノに手を出すって言うのは、依存症末期の証拠なんです。

 

たった4ヶ月ちょっと、こんな短期間で、私は依存脳に戻ってしまったのです。

 

禁煙するのは本当に大変でした。超きつかった。辛かった。
吸ったりやめたりを(スリップを)繰り返し、完全に禁煙できるまで3ヶ月ほどかかりました。

 

今では私も夫も、禁煙歴約4年になります。

 

 

依存症者である私は、どんな対象にも油断が出来ない

 

この出所後の「タバコ事件」は、私の戒めでもあります。

 

これは以前のブログに書いた、「刑務所で〇年シャブ使わなかったんだから、出所後も大丈夫じゃね?」と勘違いしてしまう依存症者と同じです。

 

私の場合は「タバコ」という幸い国が認めている合法のもので、尚且つ治療法があったからまだ助かりました。

 

仮にチャンピックス無しでやめられましたか?いいえ、絶対に無理だったと言い切れます。

 

これがもし向精神薬、または覚せい剤に手を出していたら……?考えるだけでも恐ろしいです。

 

理性のタガが外れる前に戻ることができて、本当に良かったと思います。

 


今受刑されていている方、または留置場にいる方。

 

「俺(私)出ても絶対にシャブやらないから!〇年やってないしもう大丈夫だから!」

「もう窃盗なんて絶対やらないから!〇年盗ってない生活してるから大丈夫!」

「盗撮なんてもうやるわけない!こんなに刑務所で我慢できてるんだから大丈夫!」

 

こんなふうに思っている方がいたら、その考えは今すぐに捨ててください。

 

そして外に出たら、必ず依存症専門の病院へ繋がってください。

 

これは依存症子からのお願いです。

あなたの大切な人が笑顔でいられるように、あなたは依存症から回復し続けなくてはいけません。

自分を過信せず、必ず依存症に理解のある病院へ、パートナーの方と一緒に行っていただければと思います。

 

 

前回のブログでは、これまで書いてこなかった依存症子の出所後について書きました。

 

コメント、リブログしてくださる皆さん、本当にありがとうございます。皆さんのご意見を聞くことで、今後HPをどのようにしていけば良いか、こんなものがあったら良いのではないか、そういうアイディアがどんどん浮かんできます。

 

実現できるかは私の努力次第ですが、多くの依存症者、受刑者、そのご家族が生きやすくなる方法や、場を作れるようにしていきたいです。

 

とにかく料理を頑張った!

今日も前回に引き続き、出所後のことを書いて行きます。

 

クックパッドやクラシルという無料の料理アプリがあります。それを見て料理を作ることに少しずつ慣れてきました。目標は一汁三菜、できれば四菜、バランスの取れた食事です。

 

夫は仕事の帰りが遅いので、夕食は外で食べます。私が作ればいいのは朝食だけでした。このころの私は1日2食を心掛けていました。

 

刑務所では夕食が4時半過ぎで就寝が9時です。この健康的な生活リズムを崩すのが嫌でした。「生活リズムが乱れる=刑務所へ戻る確率が高くなる」という考えがあったからです。

 

だから朝食は7時くらいにしっかり食べ、昼兼夜ご飯を4時くらいに食べる。8時半までにはお風呂に入って、9時半~10時の間には寝る。とても健康的な生活をしていたと思います。

 

夕方には明日の朝食の下ごしらえをします。朝は簡単に準備ができるようにしておきます。ハンバーグならタネを作って冷蔵庫で寝かせておく。

 

朝からハンバーグ!?重くない!?と皆さん思いましたよね(笑)。

 

夫が夕食を家で食べられない分、豪華な朝食にしたいという思いがありました。自分の昼兼夜ご飯に、朝食の残りを回していたのも理由の一つです。

 

私に無関心な夫への苛立ち

出所後はとにかく断捨離をしました。家は荷物が本当に多かったのです。

 

居なくなった母の部屋にも、ベッドやら仏壇やら色々置いてあります。受刑前の私がかき集めてきたガラクタ、安く購入したテレビ台、オーダーで作った革のバッグなど、とにかく捨てまくりました。

 

膨大なゴミを外に出そうと、冬にもかかわらず大汗をかきながら作業をしました。

 

今でも忘れません。出所直後はNHKの大河ドラマで真田丸が放送されていました。それをソファから見る夫。

 

私は重たいゴミを抱えて何度も家を出入りしています。ゴミ袋のカサカサする音、口を縛る音、それがうるさかったのか、夫はテレビの音量を上げます。

 

 

夫は私が断捨離と片付けしているのを知っても、全く手伝おうとしなかったんです。このとき思いました。

 

「この人は私が何をしているかなんて、全く興味ねぇんだな……」と。

 

 

「てめぇのケツはてめぇで拭けよ」と思う夫とのすれ違い

夫は人付き合いが得意ではありません。自分の意見を心に秘めて決して表に出さない人間です。

 

今では私が重たいものを持っていれば「持つよ」と言ってくれますし、このマンションに引っ越ししてからは、ゴミ出しは夫がやってくれています。そんな夫と、改めて過去を振り返ります。

 

「あのとき何でゴミ捨て手伝ってくれなかったの?超重たいゴミ運んでるの分かってたよね?私に対して全く無関心に見えたんだけど」と聞きました。

 

「何で俺が手伝わなきゃいけないの?あれは受刑前の症子が、自分へのご褒美に買ってくれって俺に散々ねだって買ってあげたバッグ。俺からしたら見たくもないモノ。その片付けは症子がやるべきであって、俺が手伝うものではない。自分の片付けは自分でやるんだよ。」

これ、ちゃんと言葉で伝えて欲しかったんです。一言でいい、「俺は手伝わないよ」と。

 

でもあの頃の夫は「そんなの当然症子は分かっているだろう」と解釈していました。だから言葉は悪いけど、私のゴミ捨てを見て見ぬふり、“シカト”したんですよね。

 

 

言わなくても分かれよ!なんて絶対ムリ

夫は言葉足らず&考えろよタイプ。

私は言ってくれなきゃ分からないタイプ。

 

出所直後はこのギャップに相当苦しみました。夫の中ではすでに一人納得、一人解決されているのです。だから口を出さない、思っていることを言わない。

 

老夫婦のご主人が「あれ取って」と言うと、奥様には「あれ」が何だか分かる。

この領域に行くには相当な時間がかかるでしょうし、私が夫に「あれ」と言われてすぐに察することができるか?多分ムリです。
 

出所後は夫の口数の少なさにイライラしました。

 

・「私に何も意見してこないのは興味がねぇからだな……」と思う私。

・「反省しているなら自ら動け、何をするかは自分で考えろ!」という思いを心に秘める夫。

 

このすれ違いがどんどんストレスになっていきます。

 

タバコ……くらいいっか!

頑張って作った朝ごはん。食べている間は会話がない。夫は朝のニュースに釘付けで顔をこちらに向けない。

 

何てつまらない食卓だろう……。こんなに一生懸命作ったのに。何の感想もなくただ黙々と食べる夫。

 

つまんない。

出所したらもっと会話が増えると思っていた。

 

なんでこんなに頑なに、一人で納得して一人で解決するんだろう。そこに私という存在は必要ないんじゃない?

 

夫を会社へ送り出し、食材の買い出しに行きます。帰りに寄ったコンビニで、タバコに目が行きました。

 

受刑中は、休憩から戻った刑務官のタバコの臭いが本当に嫌でした。刑務官の制服の柔軟剤の香りさえ、臭く感じました。

 

 

「クールマイルド、1箱ください」

 

 

家に帰って久しぶりに吸うタバコ。始めはむせて、咳も出ました。

逮捕直前のタバコの本数、1日3箱。チェーンスモーカーもいいところです。

 

そんなチェーンスモーカーの私が、刑務所に行くことでやっとタバコを止められたのに。

 

これをきっかけに、私は夫に隠れてタバコを吸うようになります。

 

 

隠しごとも大きなストレスになる

朝夫を送り出したあと、ベランダでタバコを吸うようになります。

 

夫が忘れ物で突然戻ってきたら一発アウト。なので洗濯機を回したり、食器を洗ったり、ある程度の家事を終わらせてからタバコを吸います。

 

美味しい……

 

 

隠し事をすると、いつバレるかも知れないという恐怖に襲われます。

 

夫とのコミュニケーションが上手く取れず、そのストレスをタバコを吸うことで紛らわせていたはず。なのに、「タバコがバレたら……」というストレスの方が大きくなっていきました。

 

バレずに吸い始めて3ヶ月ほど経ったでしょうか。段々油断し始めます。

 

夫が家から出て5分ほどで、すぐベランダに出るようになりました。そんな日が1か月くらい続いたと思います。

 

いつものようにベランダでタバコを吸っていたら、家の中に夫の顔がありました。

 

 

隠れてタバコを吸う私を見て、それはもう落胆したような、呆れた顔をしていました。

 

 

 

次回へ続きます。

前回のブログでは「碧の森」の運営を始めたこと、なぜ碧の森を始めようと思ったのか、その名前の由来や、碧の森への想いについて書きました。

個人的にお祝いのLINEを下さった方、メッセージを下さった方、コメントを下さった方、本当にどうもありがとうございました。

碧の森が依存症者や受刑者、そのご家族の力となれるよう、依存症子はこれからも前進していきます。

皆さんからのご意見は真摯に受け止め、今後の活動の参考とさせていただきます。これからも依存症子と碧の森を、どうぞよろしくお願いします。
 

 


依存症子は出所後、何やってたの?

 

今日のブログから、私が出所後に何をしていたか?夫との関係はどう変化して行ったのか?何の資格試験を受けたか?どんな人と出会ったか?受刑者になってしまったことでどういう変化があったか?など、具体的に書いて行きます。

出所してから今まで、色々なことがありました。
自業自得です。自分の行いのせいで失ったものがたくさんありました。

今日はそのうちの一つ、友人について書きます。

 

スマホの開通で

以前書いた出所後の苦しみで、アスペルギウスの肺炎になったと書きました。そのおかげで私はスマホを持つことを許されました。もちろん夫からすれば渋々、仕方なくです。

夫は私の受刑中に携帯を解約することなく、休止にしてくれていました。
いつか復活させてあげようと考えていたのでしょうが、思ったよりも早く携帯が必要な事態に陥ったことで、その時期が早まりました。

番号は以前と変わらぬまま、開通させることができました。

 

受刑前の記憶が無い、その恐怖

これまで私のブログを読んでくださっている方には、何度も同じ説明をして申し訳ありませんが、私は向精神薬の飲み過ぎで、逮捕前の記憶がほとんどありません。

デパスはフリスクケースに入れてお菓子のようにパクパク食べ、ベゲタミンは毎晩4錠、ハルシオンを1シート、サイレースにエリミン、とにかく大量の薬をちゃんぽんしていました。

起きても朦朧状態で車を運転し、しょっちゅう事故を起こしていました。一時は車両保険に入れなくなったほどです。それだけ飲んでりゃ事故も起こすし、記憶もなくなる。良く生きてるねってレベルだと思います。

逮捕前に夫とどんなふうに過ごしていたか、誰と連絡を取っていたか、何をしていたか、全く覚えていない。その恐怖が出所後に現実として襲い掛かってきました。

自分が何をしたか覚えていない、完全に分かっていない。夫も知らない何かがあるかも知れない。その恐怖は正直、今現在も感じています。

出所後に通帳記入をすると、知っている人からの入金以外に、誰だか分からない入金がある。偽名なのか本名なのかも分からない。それを見たときの恐怖。「この人誰だろう?私この人に何て言ってお金をだまし取ったんだろう……?」

 

大量に持っていた服、ブランド品、小物は、借金を清算するために全て売られていました。自宅に残っていた服は、きっと値段が付かなかったのでしょう。そして全く私の好みじゃない。「これは買ったもの……?それとも……」
 

ビクビクしながら過ごす毎日

毎朝夫は仕事に出る前、私に1,000円を生活費として渡します。これも以前書きましたが、1,000円で生活なんてしたことがありません。料理も出来ない、包丁の使い方も分からない、肉、魚、野菜の値段の相場が分からない。

 

うちは新聞を取っていないので、スマホで近所のスーパーのデジタルチラシを見て、値段を比較したのを良く覚えています。

 

買い物の度に当然外に出るわけですが、これが本当に怖かったんです。外ですれ違う人全員に、自分が元受刑者だと知られているような感覚に陥ります。
 

約2年半ぶりに外の世界に出たのです。見るもの全てが新鮮で、外で生活する人がとても偉く見えました。「刑務所に行かずに生活出来ている=人間的にも素晴らしい人」、そんなふうに勘違いしていた時期でもあります。

 

自分が何かおかしな行動をしていないか?外の人と同じように振舞えているか?自分が元受刑者だとバレないように、普通に振舞おう、振舞わなきゃ。そんなことを毎日考えていたと思います。

 

高校の同窓会の開催、でも……

スマホが開通したことでLINEも開通します。以前ブログに書いた高校時代の友人からLINEがあり、「死んだかと思った!」と言われました。受刑中に全く連絡が取れなくなったことを心配して、私の家の周りまで探しに来てくれたような優しい友人です。(仮にY子とします。)

 

Y子には正直に、自分が薬物依存であったこと、向精神薬の飲み過ぎで窃盗を繰り返し、刑務所へ入っていたこと、正直に全てを話しました。

 

Y子は「反省しなさいよ!とにかく生きてて良かった!」と言ってくれて、涙が出るほど嬉しかったです。

 

そこからそんなに日が経たないうちに、高校の同窓会の誘いがありました。行くのを迷いましたが、少しずつでも普通の感覚を取り戻していかなくちゃという想いと、久しぶりに皆と会いたいという気持ちがあったので、参加することにしました。

 

同窓会の場にS香がいました。S香とY子と私の3人は、高校卒業後に一緒に免許を取りに行くほど仲が良かったです。

 

Y子が私を認めてくれたから、きっとS香も私のことを理解してくれるだろう。そんな甘い考えがありました。私は同窓会の場で、小さな声でS香に受刑していたことを話します。

 

高校時代はやんちゃでも、大人になれば変化する

同窓会の場に、S香は小さな子どもを3人連れてきていました。S香はいいお母さんをやっていました。その場でS香は、「マジ!?そうなんだ……大変だったんだね。」と言ってくれました。
 

二次会に私は行きませんでした。あまり遅くなって夫に変な心配を掛けたくなかったので、一次会だけで撤退します。Y子は一次会に間に合わず、二次会だけ参加したそうです。
 

その後しばらくして、S香からTwitterのフォローが外されました。

そのとき、察しました。これが普通の反応だよな、と。
 
 
 
これは最近Y子から聞いたことです。

二次会に参加したS香がY子に、「症子が刑務所行くってやばくない?」と言っていたそうです。
Y子は「症子は症子で色々あったんじゃない?」と言ってくれたそうですが、刑務所まで堕ちた私をS香はきっと許せなかった、というか軽蔑したのでしょう。


私はY子に、私から離れていくのは仕方がないこと、それは甘んじて受け入れるし、これからもそういう人は出てくるだろう。
それが私のやってきたことの代償であり、分かってくれ!なんておこがましいことは言えない、と言いました。

 
確かめてはいませんが、S香にはLINEもブロックされているかも知れません。
 
S香は高校時代にそこそこなやんちゃをした。でも今は家庭を持ち、ちゃんと母親をやっている。自分の子どもに悪影響を及ぼすような存在とは付き合わない、縁を切る。

これは家庭を守る母親として、正しい行動だと思います。
 

刑務所を出所してから、失ったものの大きさを実感する

青春時代を面白おかしく過ごした、S香という大切な友人を私は失いました。自業自得、後悔先に立たずです。

 

Twitterのフォローを外されてから、しばらく悶々としていました。「S香だって色々やってきたじゃん!そりゃ私は刑務所行っちゃったけど、高校時代はそこそこ悪いこと一緒にしてきたじゃん!」そんなふうに考えたときもありました。


 

でも時間は流れるんです。

 

私の時間が止まっていただけで、周りは進んでいくんですよね。


元受刑者は、自分だけ取り残されたような感覚と、喪失感を味わうと思います。


 

出所直後は多くの現実と直面します。

その現実や辛さは、自分が招いた結果だということをしっかり理解しないと、また再犯を繰り返すのではないかと私は思っています。

 

 

 

先日、HPのプロフィール用にポートレート撮影をしてきました。

 

明日の夕方にはアップできると思いますので(できなかったらすみません)、今の依存症子の素顔が気になる方は、ぜひHPをご覧いただければと思います。
 

 

あれ?依存症子のブログは金曜日の更新なのに……と思った方、いつもブログを読んでくださってありがとうございます。


 

今日は皆さんにご報告があります。

 

 

アメブロでブログを書き続けて1年4ヶ月。
依存症ってこういう病気なんだよ、家族も共依存から一緒に回復していくんだよ、共依存は周りが見えなくなるんだよ、元受刑者は刑務所に居た時間を取り戻そうとして空回りすることがあるんだよ、そういうことを伝え続けてきました。

書いていくうちに元受刑者の方、受刑者のご家族、依存症者のご家族から相談をいただくことが増えました。

そこで、ご要望が多かったオンライン相談を、事業として始めることにしました。

ブログでも書いていますが、私は今後子どもを作るつもりはありません。
我が国に子孫を残すという社会貢献が出来ない。私にできる社会貢献は何だろう?そう考えたときに、昔の自分のような人が1人でも減れば…、一人でも刑務所へ戻る人が減れば…、依存症を多くの人に知ってもらいたい、そしてそのご家族の力になることができれば……、というところにたどり着きました。

 

碧の森の運営を始めたからと言って、アメブロはやめません。このまま更新を続けていきます。皆さんからのコメントを真剣に読み、もちろん返信もさせていただきます。

 

 

依存症子が運営する碧の森のはこちらです。

 

 

 

なぜ「碧の森」なの?名前の由来は……?


相談者の方は、とても深く、碧く澄みきった森の中で、切り株を椅子の代わりにして座っています。


あなたが泣いても、叫んでも、怒っても、この森はとても深い場所にあるから、外には決して聞こえない。話を聞いているのは私だけです。

相談者の方が安心して、思いっきり話ができるようにと言う願いを込めて、「碧の森」と名付けました。


このHPは皆さんと一緒に成長していきます。

皆さんからの意見を取り入れ、どんどん内容を増やし、依存症者も受刑者も、支える側のご家族も、皆さんが幸せに暮らせるよう、そのお手伝いと伴走ができればと思います。

 

 

 

依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました。そして今では支援サイト「碧の森」運営者になりました


このブログのタイトルも、現在進行形に変えました。い、いかがでしょうか……?


 

ホームページ(以下HP)を立ち上げようと決意して早8か月。

HP作成をしてくださる会社のSさんと、初めてお会いしたのが2021年の2月です。これも後に詳しくブログに書いていきますが、SさんはコンサルティングをしながらHP作りに協力してくださいました。

 

私のアメブロのアイコン、実は風俗時代のものなんです。色が紫でなまめかしいと言うか、何と言うか……(笑)

 

そんななまめかしいアイコンと、元受刑者ということしか知らないSさんと実際にお会いします。


打ち合わせを重ねる中の世間話で、「どんな人が来るのかと思いましたけどね、始めは」と言われて、大爆笑をしたのを思い出します。

そりゃそうだ。このアイコンに受刑者、極めつけは全身刺青。どんな女が来るのかって身構えるのが普通だよなぁ、と思いました。

 

 

HPを立ち上げるまで、色々な難関がありました


まずはHPの作成費用。正直これが一番難題でした。
自分の学びを深めるために、相談者に寄り添える人間になるために、産業カウンセラー養成講座を受講します。これも当然受講料がかかります。
依存症者や元受刑者で、前向きに回復・頑張っている方々とコンタクトを取り、HPに載せさせてくださいとお願いをしました。
税務署に個人事業主の届け出をして、オフィスを借ります。でも、

 

そもそも何を売って商売にしていくの?

 

碧の森では「物」や「技術」を売るわけではありません。というか、HPを立ち上げよう!と思ったときに「何を売るか」なんて、全く考えていなかったのです。
 

Sさんにコンサルしてもらいながら、今まで書いてきたブログを整理しながら、人生を振り返りながら、“ 私にしかできないこと”を、やっと見つけることができました。

 

 

私が経験してきたことを、皆さんに正直にお伝えする。

皆さんの悩みをしっかり受け止める。

皆さんからの疑問や質問に、私の経験を踏まえて真剣にお答えする。

皆さんと皆さんの大切な方が、前向きに生きられるように一緒に伴走する。

 

 


碧の森を立ち上げるにあたって、今までお付き合いしたことのない人とお会いする、話をする、勉強をする、初めてのことを調べる、探す、挑戦することが増えました。

 

今も、正直手探りです。


何かにつまづく度に落ち込んだり、機嫌が悪くなったり、思い通りに事が運ばないことにイライラしたり、この8ヶ月間に色々なことがありました。(それに付き合ってくれた夫、本当にごめんなさい。)


刑務所を出所して、漠然と感じていた「誰かの力になりたい」という想い。

 

2021年11月で、出所して5年が経とうとしています。

 

その漠然とした想いが5年目でやっと、やっと形になりました。



依存症子のブログはこれからも変わらず、毎週金曜日に定期更新していきます。

 

産業カウンセラー養成講座が終われば、更新頻度を週2~3回に戻すことができるかなと思っています。
 

いきなり突発で更新することもあると思いますが、あたたかく見守っていただければと思います。

 

依存症や受刑者のことでお悩みの方がいらっしゃいましたら、碧の森を紹介して頂けるととても嬉しいです。

 

 

 

 

これからも依存症子と碧の森を、どうぞよろしくお願いします。
 

 

このブログの更新日は8月8日ですが、偶然にも亡くなった父の誕生日です。親不孝な娘が天国の父に捧げます。


お父さん、私は本当にどうしようもない娘だけど、これから頑張るよ。昔の私みたいな子どもを一人でも減らしたいの。依存症という病気をたくさんの人に知ってもらいたいの。そのご家族の力になりたいの。刑務所に戻る人を一人でも減らしたいの。

信じられる?あの超わがままな私が、何でも投げ出して飽きっぽい私が、一つのことをこんなに続けられるなんて、諦めないなんて、信じられる?

お母さんとそっちで見ていてください。私にしかできないことを見つけられたのは、お父さんとお母さんのおかげです。お母さんに伝えておいて。産んでくれてありがとうって。

 

前回のブログでは刑務所はこれといった更生のアドバイスをしてくれないこと、刑務所は自省をする場所だということを書きました。

 

刑務所は自省をする場所にコメントを多くいただきました。皆さんありがとうございます。
いただいたコメントの「その人に合った回復方法を、依存症患者が見つけていくしかない。多くの方のブログを読むというのも回復のヒントになっています。」というご意見から、私が思ったことを書いていきます。

 

回復しなきゃいけないのはあんたなのに、何で私がヒントを探すんだよ!
 

回復のヒントを得るために色々な人のブログを読む、本を読む、実体験を聞く。こうして文字にすると「なんだ、そんなことか」と思う方もいらっしゃるかも知れません。


依存症者も、依存症者のご家族も、日々の生活の中で実際に行動に起こすのはなかなか大変です。

 

本を買うお金、本を探す時間、ブログを探す手間暇、実体験を聞く場を探す労力。

 

依存症者は、まず上記のような事柄に目も頭も絶対に向きません。ですので始めのうちはご家族が犠牲を払うことになります。時間もお金も労力も。

 

中には自分が依存症だと気付いて、すぐ行動に起こせる依存症者もいるかも知れませんが、そういう方はごく稀な気がします。最悪の状態を免れている方と言いますか、途中で踏みとどまれた方ですね。

 

「何かを探す」という行為は非常に面倒だし時間がかかります。特に依存症者のご家族の場合は、こんな考えになるのではないかと思います。
 

自分のためではなく、なぜ依存症者のために時間もお金も労力も割かなくちゃいけないの?

自分は何も悪いことはしてないのに、何でこんなことしなくちゃいけないの?


馬鹿馬鹿しく感じたり、それまで落ち着いていたご家族の怒りが、再度湧き上がってきたりするものだと思います。

 

コメントをいただいた刑務所の教育について

 

今日は刑務所の教育について書いていきます。あくまでも私の受刑中、2015年から2016年に、立川拘置所と栃木刑務所で受けた教育です。


現在は変わっている可能性があることを付け加えさせていただきます。


刑務所では殺人を犯しても命の大切さは教えない


これはかなり昔のブログ刑務所の矯正プログラムに書いたのですが、殺人を犯した受刑者にこれといった教育はされていません。

なぜそれを知ったのかですが、釈放前の静思寮という場所で罪名が殺人の受刑者と一緒になり、彼女から直接話を聞いたからです。
 
何となくのイメージですが、命を奪われたご家族はどう思うと思いますか?とか、あなたはこれからどう生きていこうと考えていますか?とか、そういう教育をしているんだろうなと勝手に思っていたので、何もなかったと聞いたときには本当にびっくりしました。
 
刑期が終われば殺人犯も出所です。反省していなくても、人を殺めたことを何とも思っていなくても出所できます。
 
因みに私が静思寮で一緒だった殺人の受刑者は、とても反省していたというと上から目線になってしまいますが、なぜ自分がそんなことをしてしまったのか、しっかり過去を振り返っていました。
 
だから刑務所側も仮釈放を許したのだと思います。
 

薬物事犯の場合は「薬物依存離脱指導」がある


とても長ったらしい名前ですが、薬物関係で受刑している場合は「薬物依存離脱指導」という教育が行われます。薬物をやめられないのは、「薬物依存症」という病気、完治しない病気だということを教えてもらえます。
 

ですが自助グループのように、言いっぱなし・聞きっぱなしのミーティングなどはやりません。


刑務所側から一方的に、あなたは依存症です、やめたくてもやめられない病気です、出所したら病院行きましょうね、と教えられるだけです。

 

薬物の受刑者が教えられた通りに依存症の病院に行くなら、薬物の累犯は減るはずですよね。

 

刑務所では「強制的に薬物をやめさせられている」状態です。そうすると薬物依存症の受刑者はどういう思考になると皆さんは思いますか?

 

これだけシャブ使わずに生活できるんだから、出所しても大丈夫じゃね??


昨年書いた「母」と「女」の葛藤で、Aさんのことを書きました。このAさんは覚せい剤で累犯、刑務所へ来るのは2回目です。


息子が一人、小学校低学年のM君は、Aさんのお父さんが面倒を見ていました。お父さんはご高齢で、金銭的にもM君の面倒を見るのが厳しく、児童相談所に預けることになりました。

 

Aさんは出所後、M君を引き取るためにしっかり定職に就き、一緒に生活するための家を用意する必要がありました。

 

児相は母親が出所したからといって、「お帰りなさい、どうぞお子さんお返しします」というわけにはいかないのです。特に薬物の場合は。

 

Aさんは自分が薬物依存症だと分かっていました。もちろん薬物依存症離脱指導も受けていました。


でも精神保健センターに行くことも面倒くさがった。薬物依存症者の支援をしてくれるセンターも途中で投げ出しました。

 

Aさんに「この2年半シャブ使わなかったから、私もう依存症治ったんじゃね?」という大きな勘違いが生まれたのです。

 

薬物依存離脱指導を受けているにもかかわらず……です。

 

窃盗、放火の場合は?

 

私は窃盗で初めての受刑です。その窃盗を犯した理由は、向精神薬の大量服用でよく分からない行動を繰り返し、物を盗むスリルを味わいたかったからです。


これは立派な処方薬依存、窃盗症(クレプトマニア)です。クレプトマニアを回復させるには、処方薬依存をなんとかしなきゃいけない。処方薬依存の根っこには薬物依存症がある。

 

私のように多数の依存症を併発している場合は、根本を断ち切らないと回復できません。ですが栃木刑務所では依存症の「い」の字も出てきませんでした。


私は窃盗で初犯、だからクレプトマニア扱いをされず、刑務所側からはただの窃盗犯だと思われたのかも知れません。

 

何度も窃盗で刑務所に舞い戻ってくる人には、あなたはクレプトマニアと言う依存症ですよ、と教えてもらえます。

 

放火がやめられないのも立派な依存症です。ピロマニアと呼んだりします。若い男性に多いと言われていて、消火活動を見ることに興奮したり、中には放火をすることで性的興奮を覚える人もいます。

 

何度も放火で刑務所に舞い戻るようなら、依存症だと教えてくれるかも知れません。残念ながら私の周りには放火で服役した人が居ないので、詳しいことは分かりません。

 

受刑者の帰住地にある自助グループ、依存症専門の病院を刑務所は教えてあげるべき


これをなぜ刑務所でやってくれないのか。私は本当に疑問です。

 

刑務所でただダラダラと時間を過ごすのではなく、積極的に依存症の回復プログラムをやった方が間違いなく再犯は減ると思います。

 

今の法務省、刑務所は、「刑期が終わればハイさようなら」じゃないですが、その後のケアは一切しません。(仮釈放中は面談があるので、保護司とある程度の話はします。)

 

依存症の人に依存症専門の病院を紹介するだけでも、再犯は減らせるのではないでしょうか。出所後に自助グループへ行くように促したり、具体的な場所、名称を教えてあげたり。


そういうことをこれからしていかないと、刑務所での教育を見直さないと、Aさんのような勘違いが起こり、元受刑者はあっという間に刑務所へ舞い戻ると私は思います。

 

 

今日は前回の刑務所は自省をする場所のコメントから、ブログを書かせていただきました。

 

皆さんからのコメントはとても励みになります。本当にどうもありがとうございます。

 

 

前回のブログでは、出所後の苦しみと依存症を理解してもらえない依存症者の苦しみは似ていると書きました。

 

コメントをいただきましたので紹介します。

「やっぱり家族は家族会に行って、ちゃんと依存症者への恨みつらみを吐き出さないといけないと思った」というご意見。

「依存症はれっきとした病気だから適切な治療をしないと繰り返す、出所するときに医療機関を紹介してくれるといいのに」というご意見。

 

私もこの二つのご意見に賛同します。

 

怒りも辛さも憎しみもぶちまけろ!!

 

依存症者のご家族も受刑者のご家族も、ご家族の中だけで抱え込まず、信頼のおける第三者に聞いてもらうことが大切です。依存症者、受刑者への怒りも憎しみも裏切られた辛さも、何もかも“ぶちまける”のです。

 

これはもう何度もブログに書いていますが、依存症者や受刑者へ間違った支援をしないように家族会へ行く、依存症の知識がある「家族以外の第三者」に自分の行動が間違った支援になっていないかを確認してもらうのは本当に大切です。

 

刑務所は受刑者が罪を犯した背景を知っているけど、敢えて更生のアドバイスなどしない

 

違法薬物や窃盗で逮捕されても、警察では依存症の「い」の字も出てきません。警察も依存症について知ってはいるものの、「あなたは依存症だからここを出たら病院に行きなね」なんて言ってくれません。(そんな中でも教えてくれる親切な警察官はいます)

 

薬物または何度も窃盗で刑務所に来る受刑者を対象に、依存症の教育が行われます。

私は窃盗で初めて受刑したので、刑務所では依存症について何も言われたことはありません。

 

始めに移送された拘置所では、ドクターショッピングや依存症について教えてもらえましたが、それはたまたま良い刑務官と医務の先生に巡り合えたというだけです。本当にラッキーでした。

 

犯罪になる依存症としては他に痴漢や盗撮などの性犯罪、放火がありますが、これこそ本当に依存症の「い」の字もなく、本人自らが依存症だと気付かなければただ刑期が終わるのを待つだけとなってしまいます。再犯が多いのも頷けますよね。

 

自分の問題を考える時間と場所を与えてくれる、それが本来の刑務所あり方

 

これは実際に私が受刑中に感じたことです。

 

刑務所は自省をする場所です。刑務所側から「依存さんはなぜここに来たの?二度と来ないように○○と○○について考えてみましょうね!」なんて言ってくれません。学校みたいに課題が出るわけじゃないんです。

 

受刑期間に他の受刑者を見て何を思うか、感じるか。自分で問題に気付いてどう改善しようとするか。それしかないんです。

 

栃木刑務所で役職の高い刑務官との面接、審査会があったときのことです。

 

「初めての受刑で刑務所に来てどう思いましたか。色んな人が居るでしょう。」そのあとはっきりこう言われました。「今のままだとあなたはまたここに戻ってくることになる。それでもいいんですか?」

 

この言葉は本当に重かった。何人もの受刑者を見てきた刑務官の言葉は本当に重いのです。

 

私のこれまでの怠惰な人生を、何事も投げ出し続けた人生を完全に見透かされていると思いました。“そんな舐めた姿勢で人生を歩んでいるとまた必ずここに戻ってくるよ”、そう言われている気がしました。

 

これ以上は何も言われず、あとは自分で考え、気付いて己を変える努力をしろ!という意味だと私は解釈しました。

 

「早く帰ってきてね」などの甘い言葉が同じことを繰り返しに。。。

 

例えば受刑者のご家族は「あなたが○○だから刑務所へ行ったのよ!」と言いたい気持ちをグッと堪え、「どうしてそうなったのか自分で考えてみてください。」と考える機会を与えて、自省をする方向へ促してほしいと思います。

 

刑務所や留置場での唯一の楽しみは面会と手紙。こんなことを書かれたらショックです。私も夫からこのような手紙が届いたときは大泣きしました。

 

問題から目を背けて「早く帰ってきてね」と甘いことを言っても、また同じことを繰り返します。

仮に犯罪を犯さなかったとしても、犯罪を犯すような思考になってしまった自分自身に、目を向けなければこの先決して幸せにはなれない。私はそう思います。

 

支える側は答えではなくヒントを与えて

 

自分のやったことを棚に上げて「じゃぁどうすればいいんだよ!俺の(私の)悪いところ教えてよ!」と言われるかもしれません。そういう時は例えば、同じ罪名で逮捕されたり服役した人の本やブログを探して差し入れるのも一つの方法です。東野圭吾さんの「手紙」でもいいでしょう。

 

とにかく本人の更生、依存症からの回復の「ヒント」を与えることが更生のカギなのです。

 

私は小学校4年の夏休み、塾の算数の問題集を解いていて、面倒だったから後ろに書いてある答えをそのまま書き写しました。(笑)

その答案を見直しても問題を解いていないからなぜその答えが出たのか分からない。答えだけ知っていても意味が無いのです。

 

どうしてその答えが出たのかを考えるプロセスが、一番大切なのではないでしょうか。

そして考えた時間、自省をした時間は必ず自分の糧になります。

 

私自身、刑務所で考えたこと、反省したこと、過去を振り返ったことがしっかり今に活きています。

 

「刑務所へ行くなんて時間の無駄」と思う人もいるでしょう。でも刑務所へ行ったから今の私がある。刑務所で過ごした時間は、私の大切な勉強の時間だったと思っています。

 

前回のブログでは、仮釈放当日の出来事を夫と私の視点で書きました。

 

2週連続で仮釈放のことについて書いたので、今日はその流れで出所後のことについて書いていきます。

 

最近とあるギャンブル依存症者の方のツイートが目に留まりました。その方を仮にKさんとします。私はその方をフォローしておらず、たまたまタイムラインに流れてきたのでさかのぼってツイートの内容を見てみました。

奥様、お子さんのいらっしゃる元パチプロのKさんが口座のお金に手を付けてしまった。ご両親からはスリップしたら親子の縁を切ると言われていたようで、スリップを告白したら奥様からは離婚を言い渡されたようです。

 

 

明日は我が身

 

スリップしたことで無期限お小遣い無し、奥様がKさんに対し敬語になってしまった、ギャンブル依存症の知識が少ない家族に耐えきれなくなったKさんは、給料日にお金を全額下ろして行方をくらまし、100万稼いで“何か”を証明し家族と仲直りというプランを考えているようです。

“何か”って何だろうと考えましたが、自己肯定感が極限まで下がっている状態でしょうから、自分は稼げることを奥様に証明したいのだと思います。

 

Kさんはギャンブル依存症者のお金を断つという制裁は間違っている、それでは何も解決しないと主張しています。なぜならギャンブルをするためにどうやって金を作るか、犯罪も含めた金策で頭がいっぱいになってしまうから。

 

↑これを読んで皆さんはどう思われたでしょうか。ちょっと頭おかしいんじゃないの?と思う方が多いと思いますが、これは私から見ると典型的な依存症者の考え方で、過去の私と被る部分がたくさんあります。

 

特に、給料日にお金を全額下ろして行方をくらまし、100万を稼いで「自分はこんなに稼げる人間なんだ」ということを証明し家族と仲直りするというところ、もう完全に依存脳です。絶対に100万稼げると思っているところにも恐ろしさを感じます。

 

「何でそうなる!?」って思いますよね。

こういう考え方にさせてしまうのが依存症です。自分を客観的に見ることができず、他人の意見にも耳を傾けられず、自分の欲まみれで、お金を穴埋めすれば妻が許してくれると思っている。

 

奥様はお金が戻ってきてもKさんの行為を許せないでしょう。奥様からすればお金だけじゃなく、家族を裏切ったことが許せないのだから。そういうところに今のKさんは考えが及ばないのです。

 

Kさんの一連のツイートには責めるような返信も多くありましたが、今のKさんには誰が何を言っても無駄で、本当の底つきを味合わないと回復は出来ないだろうなと思いました。

 

 

Kさんのツイートを見て思ったのは、昔の私みたいだということ。そしていつあちら側に自分が戻ってしまうか分かりません。

 

Kさんのことを「おかしなやつ!」と笑い飛ばすことは私にはできません。依存症者である私にとって、明日は我が身なのです。

 

 

依存症者と元受刑者の理解されない苦しみは似ている

 

Kさんのツイートを見て思いました。私も出所後はKさんのように自分のことを棚に上げて夫へ理解を求め、色々なことを要求していました。

 

前回の仮釈放当日の出来事 #2の後の生活を書いていきます。

 

1日の生活費として朝に1,000円を渡されます。この中からその日の食材を購入し、余った分は自分の好きなことに使っても構わないというルールでした。

けれど1,000円で1日の食材を買ったらほとんど残らないんですよね。むしろ足りない。このことに私は超イライラしていました。

 

依存症がどんどん悪化し夫に多額の借金を背負わせ、苦労もさせ迷惑も散々かけて、自分が刑務所へ行ったのにもかかわらず、です。

 

スマホを持つことも許されませんでした。ろくな人間と連絡を取っていないことが受刑中に発覚し、受刑前はゲームや漫画に湯水のように課金をしていたからです。

その尻拭いをした夫からすれば、「症子にスマホを持たせたらまた同じことをする、だったら絶対に持たせるもんか!」となるのは当然のことです。

 

私はスマホだけは持たせてくれと懇願しました。主張としては、夫が仕事に行っている間に何かあったらどうする?私が倒れたりしたら?そういう可能性は0じゃないよね?というものです。もちろん本気でこう思っていて、スマホを悪用する気なんて(課金する気なんて)これっぽっちもありませんでした。

 

運が良いのか悪いのか、私は出所直後にアスペルギウスが原因の肺炎となりました。

 

夫がこれまでトイレやお風呂の掃除をほとんどしていなかったので、私はハイターやカビキラーをフルに使って徹底的に汚れを落としたのですが、その中に相当数のカビがいたようです。マスクをせずに作業をしたのが悪かったのですが……。

刑務所は決してきれいな場所ではありませんが、刑務所より自宅の方がカビや埃が物凄かったんでしょうね。あっという間に体調が悪化しました。

 

夫が仕事に行っている間に熱は38度後半になり、咳は酷いしする度に肺が痛い。呼吸も苦しい、もちろん食事も摂れない。夫に連絡したくても、スマホも家の電話も無いからできない。

 

そんなことになっているとは全く知らない夫、夜の22時くらいに帰宅しました。救急車は呼ばずに車で救急病院に連れて行ってもらいましたが、あの時は本当に死ぬかと思いました。

 

こんなことがあったので夫は渋々私にスマホを持たせてくれるようになりましたが、私が肺炎になっていなかったら持たせてもらえなかったかも知れません。

 

 

依存症者の家族や受刑者の家族は、それまで散々迷惑を掛けさせられています。

借金の肩代わり、見たくもない異性関係、暴力や暴言。ここには書ききれないほど嫌な思いをしてきていると思います。

 

だから依存症者に、出所後の元受刑者に厳しいことを言うのです。


今度こそ回復してもらいたい、更生してもらいたいという想いが強ければ強いほど、依存症者と元受刑者に厳しい要求をします。行動を制限します。コントロールしようとします。

 

依存症者や元受刑者は、頭では分かっているんです。「家族に迷惑をかけたから悪いのは自分なんだ、我慢しなくちゃ」と。


ですが締め付けが厳しいほど、依存症者や元受刑者は「もう少し自分のことを信用してよ、頑張ってるんだから…」という気持ちが出てきます。対等に向き合って欲しいと思うのです。

 

ですが家族からすれば散々迷惑を掛けられたから、依存症者や元受刑者が頑張るなんて当然のこと。頑張ってもらわないと困るんですよね。

 

この辺りが依存症者や元受刑者と、支えるご家族側の噛み合わない部分だと思います。

 

 

依存症者や元受刑者は家族に迷惑を掛けたことは理解しています。だから思ったことをストレートに発言できない状況に陥ります。

 

家族に「お前がそんなことを言える立場にあんの?」とか「散々好きなことをやってきたんだから我慢するの当然だよね?」こう言われたらぐうの音も出ません。

 

 

力関係の天秤が家族側に傾きすぎると、依存症者も元受刑者も暴走すると私は思っています。暴走すれば雪だるま式に転落するのは時間の問題です。

 

冒頭に書かせていただいたKさんのように。

 

 

 

皆さんにご報告です。

実は一昨日とても嬉しいことがありました。

 

私が立川拘置所に居るときに、元受刑者、元ヤクザで現在牧師をされている進藤龍也さんの講話が放送で流れました。

 

彼の講話を聞いていなかったら今の私は存在しません。

 

その想いを綴ったブログ進藤さんがいたから、依存症子は存在するに、進藤さんご本人からコメントを頂きました。

 

 

 

こつこつとブログを更新し続けて1年ちょっと。まさかご本人に私のブログが届くとは思っていませんでした。


進藤さんが拘置所や刑務所で講話をしたことで救われた人間が居る。そのことを伝えられて本当にとても嬉しいです。

 

HPの運用が始まってから進藤さんに会いに行って、直接感謝の気持ちを伝えようと思っています。

 

 

前回のブログでは仮釈放の3日前に夫が迎えに来てくれることが分かり、2年以上会っていないので何の話をすればいいか分からず内容を考え続けたたこと、久しぶりに会った夫の後頭部が薄くなっていたことを書きました。

 

 

ホームページの運営は今月中にと思っていましたが、思ったより課題が多く来月になってしまうかも知れません。考えたもの、やりたいことを形にしていく難しさを感じています。

 

産業カウンセラー養成講座は今のところ無遅刻無欠席で通っています。

そんなの当たり前でしょ!と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、昔の自分だったらとっくに投げ出している自信があるので、こんなに頑張っている自分を褒めたいと思います(笑)。

 

7月18日で7回目の受講ですが、色々なことが良く見えるようになってきました。受講当初からどんどん変化していく皆さんを見て、自分のことのように嬉しく感じる反面、「皆さん成長されているのに自分だけ遅れを取ってしまうんじゃないか…」という不安があるのも事実です。

 

 

今日は仮釈放当日の出来事の続きを書いていきます。

 

 

依存症への嫌悪感を丸出しにする夫

 

夫は車で栃木刑務所まで来てくれました。私が作った借金のせいで車を売り払ったと思っていたので、久しぶりに見た車にも懐かしさを感じます。

 

帰り道では今までずーっと伝えたかった依存症について、私が立川拘置所と栃木刑務所で勉強を続けてきた内容を改めて伝えました。

私がこれまでやってきた覚せい剤、向精神薬、ギャンブル、窃盗、刺青や整形が止まらなくなってしまったのは「意志の強さとは全く関係のない“依存症”という病気のせい」だということを伝えました。

 

依存症という病気のせいにして今までやってきたことをチャラにしてくれと言っているのではない、ましてや逃げたり投げ出そうとしているのでもないということもしっかり伝えます。

依存症は一生完治しない脳の病気だから治療を(回復を)続ける必要がある、治療のために依存症専門の病院に行かせてほしいと懇願しました。

 

私は相当熱心に話をしたと思います。今まで夫は1回も面会に来ていません。手紙で依存症のことを伝えても「逃げるな、甘えるな、病気のせいにするな、立ち向かえ」と、私からすれば依存症を全く理解していないような言葉が返ってきていました。

 

その理由について、直接会って話をしていないから伝わらないのだと思っていました。だからちゃんと筋道を立てて話せば分かってくれる、夫なら依存症を必ず理解してくれると思っていたのです。

 

ですが現実はとても厳しかった。

 

 

横で運転する夫が、とても嫌な顔をしました。

 

 

これに私はとてつもなく絶望しました。

 

「これだけ伝えても分かってくれないんだ……」と。

 

 

 

気まずい雰囲気から自宅へ帰るまで

 

高速道路から一般道へ入り、車酔いが激しくなってきます。

私は三半規管が強い方ではないので、今でも低気圧になると頭痛や肩こりが起きたりするのですが、出所当日は本当に酷い車酔いをしました。途中で車を止めて吐きそうになったほどです。実はこれにはちゃんとした理由があります。

 

仮釈放当日に保護観察所に行かなくてはならない決まりがあり、担当の保護観察官、私、夫で面接をします。このときに「車酔いは大丈夫でしたか?」と聞かれました。

 

受刑者は何年も「高速で動くもの」を見ていないので、出所後そのスピードに付いて行くことができずに酔ってしまうことがあるそうです。電車や車に乗らない、見ていない生活が何年も続くと、脳や目の処理が追い付かなくなるということですね。慣れるまで数週間かかる人もいるみたいですが、私は数日で解消されました。

 

遅めの昼食を大戸屋でとります。累犯の受刑者が出所後は甘い物をたくさん食べたくなると言っていましたが、私はあまりそう思いませんでした。急に慣れない食べ物を暴食すると、身体がおかしくなりそうな気がして怖かったのです。

 

昼食後、お世話になった国選弁護人のY先生に会いに行きます。事務所に偶然いらっしゃってご挨拶することができました。

Y先生は国選弁護人にもかかわらず大変精力的に動いてくださり、受刑直後に面会に来てくれたり、刑務所から送った手紙にも返信をくださるような方です。Y先生の心遣いには本当に感謝しています。その時のブログはこちらです→立川拘置所

 

 

自宅へ到着したのは17時過ぎです。

 

久しぶりに見た自宅は物がほとんど無くなり、私が知っている自宅とは全く違うものになっていました。物が圧倒的に少なくなっていましたが、トイレや浴室などの水回りは夫が掃除をする時間がなかったのでしょう、本当に汚かったです。

 

私が今まで集めてきたブランド品、服、小物が全て売られて無くなっていました。母の部屋として使っていた場所はがらんとしていました。

 

 

お母さん、マジで私を捨てて出て行ったんだな……

 

そう実感したのも、この日でした。

 

 

 

夫の乱れた感情

 

この日の夜夫は私の身体を求め、私の意志を無視し、避妊をしませんでした。

私は言いようのない悲しみ、怒り、落胆、とにかく複雑な気持ちになりました。

 

この日のことを夫としっかり話し合い、お互いに整理したことを書いていきます。

 

夫の感情

 

夫は刑務所から出てきた私を見て、まず受刑前と顔つきが全く変わったと思ったそうです。それと同時にかわいいなとも思ったそうです。

 

今まで会っていなかった2年という時間が夫の心を揺らします。ここで俺が甘い顔をしているとまた症子がおかしな方向へ行ってしまう。断固として厳しい態度で接しよう、そう思います。

 

私は帰りの車の中で相変わらず病院に行きたいと言います。受刑前の私は“病院”へ行ったあとに薬を大量に飲んで事件を起こしてきました。私の意見を受け入れる心の余裕はこのときの夫にはありません。


依存症の病院も心療内科も精神科も、夫からすればどれも同じで私に害を与えるものだと認識していました。

 

夫の中に「病院=症子が言った通りの薬を処方する悪徳医師のいる場所」、「病院へ行く=再犯」という固定観念が根強くあるからです。

 

2年ぶりの再会であらゆる想いが同時に湧き上がります。忘れようとしていたこと、封印していた事柄が思い出されます。

 

夫という人がありながら風俗で働き不特定多数の男性を関係を持つ私。家族カードで散財し、買ったばかりの車は薬を飲み過ぎた私の運転で見事に廃車、借金を負わされた挙げ句、捕まりまくって口だけでの反省をするだけで私の行動は何一つ変わらない。

 

あらゆる嘘をついて薬を手に入れるために、ギャンブルをするために夫からお金を引き出します。

心療内科の医師は私が薬を飲んで逮捕されたことを知りながら薬を処方し続けました。その医師だけでなく“病院”へ対する不信感も大きくなります。

 

だけど出所した私を見たら、薬が抜けとても健康的な顔になっている。受刑前とはまるで別人のようになった私を愛おしいと思います。

 


セックスをして中出しをしたとき、ドロドロとした感情が夫にあったと思います。


俺のことを散々コケにしてきたこの女を許せない、でもやっぱり愛おしい、だけど俺を裏切り続けたのは間違いない、でももしかしたらこれからしっかり更生してやり直せるんじゃないか、いやでも今まで散々何度もこの女に騙されてきたじゃないか!信じてはいけない。


そんなあらゆる感情が「中出し」という行動にあらわれたのです。

 

 

私の感情

 

2年ぶりに夫に会えてとにかく依存症のことを分かってもらおう、私が再犯しないためにも依存症への治療が必須だと必死に説得します。ですが上記に書いたように夫は病院に激しい不信感、嫌悪感を持っていました。だから車の中でとても嫌な顔をしたのです。その表情に私は絶望しました。

 

私は立川拘置所と栃木刑務所で散々自分の人生を振り返り見つめなおしてきました。

刑務所へ来てしまったことを激しく後悔し、今後の人生をどう歩いて行くか、不安がありながらも毎日前向きに過ごしてきました。

 

私は前科者の子どもが就けない職業があることを立川拘置所で知りました。きっと夫もそういうことは調べているだろう、今後離婚するか結婚生活を続けるか分からないけど、少なくとも簡単に子どもを持つようなことはあってはならない。私はそう真剣に考えていました。

 

刑務所で母を捨てて女になっている受刑者を散々見たことも私に大きな影響を与えています。

私は間違った選択をしたから刑務所に来た、刑務所に来たことが私を成長させたのは間違いないのですが、それを自分の子どもにも背負わせることができるかと問われたら、また話は別です。その考えを書いたブログはこちらです→私が子どもを作らない理由

 

家に帰ったら母は居ない。マジで捨てられたんだと改めて実感し、母への気持ちを整理していたはずなのに怒りや悲しみとなって襲ってきました。

 

留置場での生活も含めると約3年、3年で家の周りは大きく変化していました。周囲の新しい建物、ここには昔なにがあったっけ?と思い出せなかったりする。夫への依存症の説得も、母がいないことも、そういう大きな変化に心が付いて行きませんでした。


 

仮釈放当日にセックスをすることが本当は嫌でした。求められて応じたのは夫に対する罪悪感があったからです。そして勝手に中出しされました。

 

もっと私の話を聞いてよ、聞いた上でセックスするならまだ分かるけど、やっぱり夫は私を恨み続けているんだ。

だから中出しをして滅茶苦茶にしてやれって思ったんだ。その想いはこれからも消えることは無いんじゃないか。これで子どもが出来たらあなたはどうするつもりなの?そういうことをちゃんと考えての今回の行動なの?

 

怒り、悲しみ、諦め、先の不安、そんな思いが私の頭の中を占領していきました。

 

 

 

長くなってしまったので今日はここで一旦終わりにします。

 

ブログを読んでくださる皆さんは「症子さんを支えたご主人はすごい!」と思っているでしょう。

 


夫が忍耐強く支えてくれて今の私があり、今では夫婦仲も良く私のやろうとしていることに理解を示して応援してくれていますが、そこに至るまでは決して簡単な道のりではなく、お互いに傷付け合ったこともあったのです。

 

夫もまた私と共に成長したということを皆さんにお伝えできればと思い、今日はこのような内容を書かせて頂きました。

 


 長々読んでいただいてありがとうございます。