芹沢鴨の新説について | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

なかなか、ゆっくり函館旅行のレポートを更新できずにおりますが…また落ち着いた時に、良質な画像を交えながら、再開したいと思います(^_^;)
今年度も下期に突入し、新規仕事の依頼やら、相談やらで、何やらバタバタしている現状…時間と頭脳がいくらあっても足りない、そんな感じですw
さて、本題は…ちょっと前に少し触れた、新選組いや‼その前身、壬生浪士組の筆頭局長・芹沢鴨について。

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ネットで調べてたら、芹沢と推測される古写真がUpされていた…ちょっとしたというか、大きすぎるサプライズだった。
自分がイメージしていた芹沢鴨は、でっぷりした感じだったのだが、どうも違ったようだ。無論、これが本当に芹沢の写真なのかは、わからないが…若干意義わしくもある。
その芹沢鴨の新説として、暗殺されたとされる文久3年9月18日、または9月16日の数日前の、9月13日に、有栖川宮熾仁親王へ奉公を願い出ていたことが、判明した。しかも、隊士15名を引き連れてというから、ちょっとしたクーデターである。壬生浪士組を管轄する会津藩(京都守護職)に、無断での行動だったため、怒りを買い、暗殺されたのだと、研究家は新説を公表している。
そこで、個人的に注目したのは、願い出た日付。9月13日と言えば、芹沢の直近で、一時期局長も務めたとされる新見錦の本名と推測されている田中伊織が亡くなった日である。
新見が、田中だったという確実な根拠は無いが、様々な史資料を照らし合わせてみると、どう考えても同一人物だったとしか思えない。
その田中が亡くなった日に、芹沢はクーデターを起こした。田中の死と、大胆不敵な芹沢の行動には、何か関係があったのだろうか…⁉
謎の人物とされる田中伊織解明の糸口に繋がらないだろうか…やはり考え過ぎだろうか…?
芹沢一派粛清の裏には、やはり簡単に解き明かせることのできない謎…闇が潜んでいそうだ(^_^;)