新選組総長(副長?)・山南敬助 | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

3月終わりに近づくと、勤務地が変わってたとはいえ、やはり忙しい。まさに切羽詰まった状態…何となく不安を残したまま、本来は浮かれ気分で入れるはずの週末を迎える破目になってしまった(^_^;)。去年も島根県で、同じように切羽詰まった状態だったのをふと思い出す…ってか去年の今は島根県にいたのか!!全く真逆の環境に居る現在の自分が何だか不思議だw
前置きはここまでとして、本題は…昨日、「堺雅人と菅野美穂が電撃結婚(電撃!?)」ってニュースが世間を騒がしていたのと、堺雅人がかつて熱演した新選組隊士・山南敬助の命日近辺(ちょっと過ぎてしまったけど…)ってことで、今回は山南敬助ネタでいきますw
新選組幹部の中でも、その出自から死に至るまで、もっとも謎多き人物は山南が断トツ。その次が新見錦って、個人的には続くけど…。謎が多ければ多いほど、その謎を解明したくなるのが、人間の性…しかも写真が残っているわけでもないし、とにかく分かっていないことが多いので、どんなキャラ設定も可能、ひじょうに柔軟な歴史上人物である。そこが、山南人気の理由のひとつであると言える。
まず名字の読み、「やまなみ」が定番であるが、同時代史料を見ると「三男」とか「三南」と書かれているので、おそらく「さんなん」と呼ぶ方が正確であると考えられる。「南」を「なみ」とは言わないし、「なみ」を漢字変換しても「南」は出てこない。「やまなみ」を変換しても「山南」で出てこないが、「さんなん」を変換すると「山南」は出てくる。実際は、今となってはわからないが、どちらかと言えば「さんなん」が正しいと言わざるを得ない。
そんな名前の読みさえ謎めいている山南であるが、新選組隊士のみならず、一般の人々からも人気があったのは、確かなようだ。ドラマや小説では、よく土方との確執が描かれるが、同じ試衛館道場から浪士組に参加し、京都残留、新選組結成に至るまで、ずっと共にしてきた経緯を考えると、仲が悪かったとは思えない。むしろ新選組の中で、唯一学識が高い山南は、土方にとって無くなくてならぬ存在だったはず。
では、何故山南は志半ばでその命を絶ったのか!?定番である脱走説は、どうも創作した感が大きい。自殺説もどうも何となく動機が乏しい。単なる病死だとしたら、もっと同時代史料に堂々と載っていてもおかしくない。
とにかく前川邸の一室(写真の場所)で亡くなったとされるが、それもいつ伝わった話なのかわからない。
以蔵のblog-前川邸
とにかくすべてが謎に包まれている。

以蔵のblog-山南墓
でも、元治2年2月23日(1865年3月20日)に亡くなったことだけは、墓石にそう刻まれている以上、事実である。
山南の謎を解明するには、時代が進んでいくほど難しくなるけど、同時代史料の新たな発見しかない。
それまで個人的な山南のイメージ=堺雅人が覆ることはないだろうw