新選組史跡巡り 過去分放出~東京編~ | 以蔵のblog

以蔵のblog

大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

本日は、過去に訪れた東京都内の新選組史跡をご紹介。まだ訪れていない史跡も多く、ほんの一部ですが…京都とまではいかないけど、けっこう新選組関連の史跡は東京にも多いんです。
まずは日野市。日野は、なんと言っても、新選組副長土方歳三の故郷として有名な場所。新選組ふるさと歴史館では、豊富な史料も閲覧でき、さらに土方のコスプレまでできるw。さらに土方の命日近くには、街をあげての一大イベント「ひの新選組まつり」も開催されている。まさに新選組の街なのだ。
でも、もう1人忘れてはいないか!?。新選組時代の近藤や土方の心の支えであった6番組長の井上源三郎も日野で生まれ育ったのだ。その他に松本捨助などもいるけど…。
っということで、「源さん」の愛称で、今も親しまれる井上源三郎の魂が眠る宝泉禅寺へ…

以蔵のblog-宝泉寺
寺の中には、源三郎の立派な墓がある。とは言え、源三郎は京都・鳥羽伏見の戦いで戦死しており、実際に眠っているのは、京都である。でも、その魂は、故郷であるこの日野に戻ってきているはず。源さんの写真は存在しないので、どんな容姿なのかはわからず…イメージしてしまうのは、やはり大河ドラマ「新選組!」で源三郎を熱く演じた役者の小林隆さんw。ちなみに近くには、井上源三郎資料館もあり、昔と変わらず今でも愛され続けてます。
次は、副長土方歳三の生家へ…

以蔵のblog-土方生家
土方家入口。生家であるとともに土方歳三資料館でもあり、月に2回開館してます。人気者の生家であり、足を運んだ日も、かなり混みあってました。現在の建物は、平成2年(だったかな…!?)に建てなおしたものなので、真新しいけど、それ以前は歳三が住んでいた時の家がそのまま現存していたそうだ。維持するのが大変で、建てなおすのは自然な流れだけど、当時の家が現存している時に行ってみたかった(^_^;)。ちなみに資料館では、土方の子孫の方々があくせくと動き、頑張ってました。
土方生家を後にして、その近辺にある、歳三の魂が眠る石田寺へ…

以蔵のblog-石田寺
中央にあるのが、歳三の墓。この辺りは、土方家が多いので、土方姓の墓でいっぱい!!でも、歳三の墓は、大きな標識も立ってるし、添えらている花も多く華やかなので、すぐ見つかりますw。源三郎同様、歳三も函館で戦死しているので、実際は五稜郭のどこかにひっそり眠っていると思われる。でも、魂は、やはり生まれ故郷である、この日野に戻ってきているのは間違いない(!?)。
日野には、その他にも近藤や土方らを支援し続けた日野盟主である佐藤彦五郎の邸宅(日野本陣)などもあり、見応えいっぱいの街です。
さて、日野の史跡巡りはここらで終了し、東京都区内へ…

以蔵のblog-試衛館跡
200名以上の隊士を抱える大所帯となった新選組だが、その主要人物の原点は近藤勇が経営していた試衛館道場のメンバー。まさに試衛館は新選組の原点と言える。その試衛館が、様々な史料や当時の証言から、市ヶ谷にあったことがわかっている。実在した場所は特定できないものの、周辺には試衛館跡を示す碑やのぼりが立っている。見てのとおり、普通の住宅街なので、当時をイメージするのは、至難の業ですが…(^_^;)
次は、試衛館メンバーも参加した、京都に上る将軍の警護のために結成された浪士組ゆかりの地である、傳通院へ…

以蔵のblog-伝通院
東京都文京区にある傳通院。上洛する浪士組は、この傳通院に集合し、出発したとされる。ちなみにこの寺には、その浪士組を発案した清河八郎の墓があります。
次は…昨日のネタにもしましたが、新選組終焉の地と言っても過言ではない板橋へ…

以蔵のblog-供養塔
板橋駅前にある寿徳寺境外墓地にある高さ何と!3m近くもある新選組供養塔。正面は、近藤勇と土方歳三両名の名が刻まれていて、その他の面には、数百名の新選組隊士の名が刻まれている。その供養塔の横には、ひっそりとではあるが、近藤勇の墓がある(名を刻まれていない、ただの岩だけど、「近藤勇の墓」と書いてある標識があります)。
以蔵のblog-永倉墓
新選組供養塔を建立した新選組2番組長だった永倉新八の墓もあります。これもけっこうな大きさです。
ちなみに日野に負けず劣らず、この板橋でも近藤勇の命日近くに、新選組まつりを開催してます。
最後は、ちょっと暗くなりますが…近藤勇が斬首された処刑地跡へ…

以蔵のblog-斬首地
板橋駅近くには旧中山道があって、近藤は平尾宿の中山道沿いの馬捨て場で処刑されたと伝わっている。平尾という地名は現在ないけど、旧中山道を北西に進み、新中山道と交わる辺りに平尾交番がある。平尾宿は、板橋駅近くから、その交番近くまでの広範囲にわたることから、処刑地の特定はかなり困難。だけど、誰の証言だったかはイマイチ覚えていないけど(おそらく近藤斬首の太刀取りをした横倉喜三次という人だったと思うが…)、処刑地は「現在の滝野川6-86です」という証言があり、それをすべて信じることはできないけど、現段階で一番可能性が高いのは間違いない。画像は、まさにその滝野川6-86ですw。
旧中山道沿いにある、若干古びた商店街で、これもまた当時をイメージするのは至難の業ですが、この辺りで新選組局長・近藤勇は、その生涯を終えました。墓がある寿徳寺境外墓地から僅か100mぐらい歩いた所にその場所はあります。

以上が、東京都内の新選組史跡でした。まだ、近藤勇生家など行ったことがない史跡も多々あるので、今年はぜひ制覇したいと思っておりますwでは!!