幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part4 | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

幕末史跡巡り2012年12月京都、今回は足がパンク寸前になるまで、余すところなく史跡を巡ったので、このネタかなり続きそうです(笑)
今回は、いきなりマニアックな場所からで掴み悪そうですが…(^_^;)前回の最後、伏見稲荷と墨染の中間ぐらいに位置する藤森神社から伏見稲荷駅へ向かい、駅から北西に歩いて10分ぐらい(?)の所にある勧進橋から…

以蔵のblog-旧銭取橋1
勧進橋。ここは幕末時は銭取橋と言う名前だった。一見ただのコンクリートの橋で、特に石碑などもなく、車がびゅんびゅん走り…イメージするのは相当至難の業だが、ここは慶応3年6月に新選組5番組長であり、軍学師範でもあった武田観柳斎が斬殺された場所である。
甲州流軍学を学び新選組の中で重宝がられた武田であったが、幕府が西洋軍学を取り入れたあたりから、急激に失速…時代遅れの軍学者となってしまった。居場所を失った武田は、当時新選組から分離し御陵衛士として活動していた伊東甲子太郎を頼ったり、薩摩藩を頼ったりしたらしいが、受け入れられず…さらには新選組をクビになってしまった。最後に新選組の計らい(?)で、送別会的な酒宴を開いてもらった武田は、その帰りの道中、この銭取橋で斬殺された。刺客は、斎藤一と篠原泰之進という説があるが、定かではない。
武田の墓は存在せず、板橋にある新選組慰霊碑に名が刻まれているのみである。
以蔵のblog-旧銭取橋2
勧進橋(旧銭取橋)から九条河原を眺める。ここは、池田屋事件後から禁門の変までの間、新選組が布陣した場所でもある。
ただ、天気がいまいちなせいもあったのかもしれないけど、人気も少なく、とても淋しい場所です(^_^;)
そして、次は伏見稲荷から京都市内へ向かい、東福寺へ…


以蔵のblog-戒光寺
東福寺駅から徒歩15分ぐらいの所にある戒光寺。ここには、御陵衛士の伊東甲太郎や藤堂平助らの墓がある。寺の中に入り、墓を探したけど、見当たらず…そこで調べてみたら、事前の予約が必要であることが判明。結局、墓を見ることはできず…残念(^_^;)
慶応3年11月の油小路の変で斬殺された伊東らは、新選組により光縁寺(壬生近くにある新選組オフィシャル墓地(?))に埋葬されたが、明治に入ってから、生き残りの同志達の手により、戒光寺に改葬されたそうだ。その当時の話で、改葬のため遺体を掘り起こした時、伊東は睨みつけるような目をしていて、まるで生きているかのようだったらしい。ちょっとゾッとする話だけど。
さて、今回のラストは、その御陵衛士が屯所としていた京都市内東山方面にある高台寺月真院へ…


以蔵のblog-御陵衛士屯所1
ここはちゃんと石碑がありますw屯所としていた場所も現存しているらしく、見学もできるそうだ。
でも、行ったのは夜だったため、門は閉ざされておりました。
以蔵のblog-御陵衛士屯所2
石碑を真下から撮ると、ちょうど月がフレームに収まった。何とも言えない美しい絵だったw

っということで、史跡巡りはとうとう京都市内へ…まだまだ続きます。