かつて私に「一人旅」などあっただろうか。
渚がまだ地球人として生まれる前の、
妊娠9ヶ月の身重の体で、奄美に帰って以来だ

それ以降は、常にどこに行くにも娘の渚、
そしてその後産まれた息子が、もれなく私の傍らにいた。
その息子の洋平が、去年成人となり、
私の足かせは、一つそしてもう一つと無くなった。
晴れて、私は自由の女神となりました!!

‥‥前置きが長くなりました。
さて、その私の一人旅というのは、
【三線のテスト】を受ける為であった。
試験が決まったのが2ヶ月前で、
ビジネスプランなる飛行機とホテルのセットの格安ツアーを探し出した

更に色々な特典が付いて、毎回朝食・夕食が付いて来たのだった

目的がテストなのと貧乏人という事もあり、
夏の繁忙期に食事が付いての\54000は、
こんな所に自分の才能があったんだと、びっくりした

さて、テスト前の私は、
ホテルの部屋にこもって、三線を弾き続け、
疲れては横になるていう、
〆切間近の小説家の様であった。

夕方になると、誰もいない海岸まで行って、
夕日に向かって叫ぶと云う繰り返しだった

ホテルの職員は、自殺願望者に見えたに違いない。
そんな私は海岸に行く度に焼けて、
三線を担いだ流しのオバアであった

毎日三線の弾き過ぎで、腰まで痛くなった私だったが、
テスト当日は、早めに起きて会場に向かった。
会場は50人位の受験生でごった返していて、
緊張はしていたものの、自分で着付けをし、
おにぎりとスイーツまで食べて、出番に備えた

自分の出番が午後に決まり、時間に余裕が出来た。
中庭で弾きながら歌っていたら、現地の先生が熱心に指導して下さり、
ここでも又海に向かって叫びながら、出番を待った

そして、私の番号が呼ばれ、
多少の緊張はしたものの私は落ち着いて最後まで弾いて、退場した。
いよいよ、試験が終わった20分後、
合格者の番号が書かれたボードが運ばれた。
冷静にボードを見ていた私は、びっくりした

前後の番号はあったが、私の14番はどこにも見当たらなかった。。
自分でも、1番にならなくても合格しているだろうとたかをくくっていた。
世の中には、こういうこともあるのだ!!!!
勘違いもいいとこの私は…と云えば、
今日も元気に生きている。

