こんにちは~!
今回のお題はずいぶんと高尚な文言がきましたが、もちろん私が考えた言葉ではありません。笑
ダンマパダ(法句経)第3章の「心の章」にある一節です。
つまりは、お釈迦様の言葉ということですね。
仏教ブログではない当ブログに何故にこんなタイトルを付けたかというと、最近患者さんにある質問をされるとこの言葉が頭に思い浮かぶからです。
その気になる質問とはこちら!
「何も悪いことしてないのに、なんで私はこんな病気になってしまったんですか・・・?」
この質問が来ると私は結構身構えてしまいます。
何故なら、この質問の背景には「私が病気になるはずがない、病気になったことが受け入れられない」という気持ちがあるからです。
すると、メンタル的にも落ち込んで肝心の病気の治療が「全然、進まない」事態に陥り、漢方の処方の前に患者さんのメンタルケアが必要になってしまいます。
(つまり、肝心の病気の治療が遅れてしまう・・・)
「なんで病気になってしまうのだろう?」との問いに、ほぼ反射的に思い返されるのが冒頭のお釈迦様の「身体は水瓶の如く脆い」という言葉です。
流石はお釈迦様!
これは、文句のつけようがない真理ですね~
実は、人間の身体はいつ病気になってもケガをしてもおかしくないほど脆いものなのです。
お釈迦様の時代の水瓶は私たちが想像するのよりもかなり脆いものでした。
その辺の土を水でこねてサッと素焼きしただけの簡易な水瓶だったのです。
ですから、ちょっと乱暴に置くなど適切に使用していないと壊れるし、大事に使っていても経年劣化で簡単に崩れます。
「人間の身体もそれと同じだ」とお釈迦様は仰っているのですね。
言われてみれば、人間は細菌感染したら簡単に病気になるし、ちょっと高い所から落ちたら骨折するし、気温が高くなると熱中症になるし、寒ければ低体温症になるしで他の生物からみたら「ゲキ弱!」な生き物でしょう。
現代は科学と医学の発達によって、素焼きの水瓶から瀬戸物くらいの強度にはなりましたが、やはり脆いことには変わりありません。
ですから、「人間というのは病気して当たり前、ケガをして当たり前」なのです。
そう考えると、病気になっても落ち込むことはありません。
「自分の身体を適切に管理していなかったんだな・・・」と反省して、生活習慣などを変えていけばいいだけです。
ですが、これがまた難しいんですよね~
そのお話は次回に回します。
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