こんにちは~!
前回の続きです。
お釈迦様は身体については「水瓶の如く脆い」と仰いましたが、心については「大きな町のようだ」と言っておられます。
しかしながら、この言葉は「身体は水瓶のように脆いけど、心は大きな町のように強い」と言っている訳ではなく、むしろ逆です。
「心は大きな町のように混乱しているのだ」というのが、お釈迦様の真意なのです。
こんなことを言うと多くの皆さまから次のような疑問が湧くことでしょう。
「大きな町が混乱?どういうこと???」
その疑問は私も持ちましたので、以前に上座仏教のお坊様にその意味を伺ったことがあります。
そのお坊様曰く、
「大きな町には王様も兵士も商人も農民も泥棒も人殺しもいる。男も女も老人も若者も子供もいる。聖者のように立派な人もいれば、人を騙す卑しい人もいる。ありとあらゆる人がいる中で良いことも悪いことも起きている。善人の行いだけを見れば綺麗だが、悪人の行いを見ればけがれている。善人の住む場所を見れば安全だが、悪人の住む場所は危険。心もそのように矛盾だらけで混乱している」
う~ん、ただの衆生に過ぎない私には深すぎるお話です。
ここまで聞いただけでも「わが心、混乱極まれり!」という感じなのですが、この話には続きがあります。
お釈迦様の時代の町は敵から攻め込まれないようにぐるりと城壁で囲まれていました。
「城壁の城門からは絶えず人が出入りして混乱に拍車をかける」のだそうです。
仏教的に言うと城門は目・耳・鼻・触覚・味覚などの感覚器官で、出入りする人間は外界からの刺激とのこと。
ただでさえ、混乱している心に様々な外界からの刺激が入って「混乱しまくっている」のが私たちの心だというのです。
水瓶のように脆い身体を混乱しまくっている心が管理するのですから、人間は病気になって当たり前なんですね~
現代の私たちの心はお釈迦様の時代よりもっと混乱していることでしょう。
何しろ、SNSで絶えず余計な情報を心に入れてますから・・・
身体が水瓶のように脆いのは人間の構造上仕方のないことなので、せめて心は混乱しないように管理しましょう。
お釈迦様はそのあとに「知恵の武器を持って」との言葉を続けています。
自分の中に入れる情報は、知恵を持って精査した方がいいですね。
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