【ネタバレあり】舞台『夏の夜の夢』考察1 | SixTONES箱推しブログ

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アメブロ界隈の皆様、ご無沙汰しております。


すっかりTwitterの住人となっておりましたが、9/20ソワレにて『夏の夜の夢』を履修した結果、考察ブログを書かないわけにはいかん!と思ったので、長文書くならこっちよねー!と戻ってきました。


今回は、演出を中心とした舞台の考察という性質上、多分にネタバレを含みます。


前情報を入れずに観劇したい方

プログラムの情報を知りたくない方

(そこそこ辛い内容を含むので)ハッピーなものしか読みたくない方は、またの機会にお目にかかれればと思います。


それ以外の方は、この下にあるどうでもいい世間話をつらつらっと流し読みして先にお進み頂ければと思います。


あ、こーち、凄く凄く良かったです。

贔屓目なしに、台詞回しも発声も良かったですし、ちらほら目にした「猫背」についても気になりませんでした。

私が鑑賞した回は、北斗が見学で来ていたようなのですが、舞台に集中しすぎてまったく気づきませんでした。


では、ログ流しにお天気の話など。


3連休だというのにまた台風が接近してますね。

先週はお天気を理由に観劇目的で東京に来ていた友だちが泣く泣く早めに帰途に着いた、という悲しい出来事があったので、今週はそんなことにならないといいな!と思っています。


もう一個近況!

最近、消しゴムはんこづくりにハマッています。
SixTONESモチーフのいろんなはんこを作っているので、スト活で会う方々にはそのうち押し付けにいくと思います。

その時までには腕が上がりますように。


さてさて。

そろそろ本題に入りますよ!

【夏の夜の夢】考察
・本記事においては、日生劇場で行われた舞台を【夏の夜の夢】、シェイクスピアによる戯曲作品を『夏の夜の夢』として分けて表記します

●「舞台は現代日本」という言葉の意味

【夏の夜の夢】の冒頭のシーンは、舞から始まります。

装束も振り付けも、日本古来の雰囲気を纏ったこの舞のシーン。

中央の階段を降りてくる際の足運びから舞台上での動きまで含めて、奉納舞のように見えます。


『夏の夜の夢』とは隔絶した存在のように思われるこの舞がなぜ冒頭に差し込まれているのか。


これを紐解く前に、まずは『古事記』にも記載のある日本神話の岩戸伝説に触れます。

(ご存知かと思いますが、以下にざっくりあらすじ)


・弟のスサノオの狼藉に怒った太陽神アマテラスが岩戸に隠れ、人間の世界は飢饉や疫病に襲われます。

・慌てた神々は、一計を案じて岩戸の前で宴を開き、歌い踊りました。

・そして、楽しげな外の様子が気になったアマテラスが少しだけ磐戸を開けて覗こうとしたところを引っ張り出すことに成功します。


この物語自体は、日食を古代の人が神話的に解釈したものである、と論じられていたりもしますが、この宴での謡と舞が祭りの起源とされていたりもします。


人間界の災いは神様の世界での不和や異常事態が原因であり、それを鎮めるために、あるいは防ぐために奉納を行う、という一つのカタチが示されているのが岩戸伝説です。


さて、話は再び【夏の夜の夢】に戻ります。


オベロンとティターニアのインドのお小姓を巡る諍いが人間界に災厄を招いていることが劇中に触れられていました。

パンフレットに触れられていたように、シェイクスピアがこの物語を著した当時はペストの流行期であり、作中で妖精の王と女王を仲直りさせたのは、流行病の終焉を願った「祈り」であったと思います。


コロナ禍である現在、演劇界は苦々しい思いを抱き続けてきました。

多くの舞台が中止、延期を余儀なくされる中、神々を鎮める奉納の舞台となるように、という思いを込めて、【夏の夜の夢】の『夏の夜の夢』は演じられているのではないでしょうか。


●【夏の夜の夢】の『夏の夜の夢』

さらりと書きましたが、この舞台には不自然とも取れるような演出がいくつかあります。


・登場人物は単なる『夏の夜の夢』の登場人物ではないことを示す冒頭からその後に至るまでの演出


老翁・老媼の扮装をしているオベロンとティターニア、車椅子のパックとそれを押して登場するライサンダーの左手手首の包帯、「大工」と書かれた法被を着たピーター・クインス……


私はこれを、彼らの現代日本での姿と取りました。

現実とは苦しいものです。

シェイクスピアの時代のイギリスでも、現代の日本でも。

人は老い、病を得、傷を得、心を苛まれ、それでも営みを止めることはできません。


そんな傷ついた存在である人々が、冒頭の舞を観ているうちに集団催眠のような状態に陥り、「同じ夢」を観たというのが私の解釈になります。


夢だから、老人は美しい英雄と美女に変化し、足の不自由な少年は歩き、走り、空を飛ぶことのできる快活な妖精へと転じることができたのでしょう。


ライサンダーは。彼の左手の傷は。

「心が傷ついていることの象徴」であると書かれていたのは『えんぶ』だったでしょうか。

確かに骨折のように動かすのに支障が出るような怪我ではなさそうですが、それであれば。

そこにあるのは、自傷による疵なのではないでしょうか。


少年の車椅子を押す青年は、歳の離れた兄と弟なのか、或いはことによると事故の加害者と被害者なのか……。

前者であれば、ケアラーとしての苦悩、後者であればより直接的な悔恨から来る苦悩、そのどちらでなかったとしても、世を儚む理由などいくらでもあります。


・現代日本に溢れる音


一幕でも二幕でも、そして終演時には特にわかりやすい形で現実世界を思わせる音が流れます。


雑踏、着信音、走行音、そして……爆撃機?

そして英語によるニュース音声。


Twitterでこう呟きました。



最初のキーワードはTerrorism。テロ。
イギリスではなくアメリカの英語だったのもあって、私の頭には911の画が浮かびました。

その後、効果音に埋もれる中からFreedomという言葉もキャッチしましたが、キーワードとしてはUkrainian。ウクライナ情勢。

一時の夢から醒めて、我々は荒ぶる神(或いは妖精)の影響を受けたままの世界へと引き戻されていくのです。
そして、そこでようやく気づくのです。

我々もまた、日生劇場という場で「夏の夜の夢」を観ていた当事者であった、ということに。