PORSCHE DESIGN by IWC Ocean BUNDは、IWCシャフハウゼンが軍用に製作した最後のモデルです。

特にPORSCHE DESIGN by IWC Ocean BUND Ref.3519 Cal.375.5 AMAG 搭載モデルは、世界初の完全非帯磁ダイバーズウォッチで希少なタイムピースです。

1972年、フェルディナント・アレキサンダー・ポルシェ(F.A. PORSCHE ポルシェの創業者フェルディナント・アレキサンダー・ポルシェ博士の孫)は、ドイツ シュツットガルトにPORSCHE DESIGN AG(ポルシェデザイン)を設立、1974年には、オーストリア ツェル・アム・ゼーに移転、PORSHE DESIGN STUDIO を設立しました。

同社における初めての仕事は、ポルシェAG が優良顧客向けのプレゼントとして考えていた高級腕時計のデザインでした。それは、腕時計全体がマットブラックでデザインされた ORFINA PORSCHE DESIGN CHRONOGRAPH 1 Ref.7176S としてリリースされました。実際にポルシェ911をデザインした F.A.ポルシェは、そのVDO製メーターや周辺パネルに用いられていた簡素で視認性の高い自動車のダッシュボードデザインと高度にシンクロする、PORSCHE ユーザーに相応しい腕時計をデザインしました。当時世界でも珍しかったオールマットブラックの腕時計は注目を集め、F.A.ポルシェと PORSCHE DESIGN STUDIO の名声を高めました。

 

(このETAバルジュー7750搭載モデルは、映画「TOP GUN」でマーベリックが実際に着用していた腕時計だった、ということで2023年に話題になりました

 

1970年代、時計業界におけるクォーツ革命が本格化しました。

従来の機械式ムーブメントを搭載する時計より安価で、より正確な大量生産の時計が市場に供給されました。クォーツ革命の中心である日本勢に駆逐されたのはスイス時計産業であり、多くの企業が廃業しました。

スイス時計産業の中でも、珍しくドイツ国境近くの町、シャフハウゼンに19世紀から本拠を構えるIWCシャフハウゼンは、優れた時計技術者を後世に受け継ぐための一環として、「万能時計職人」オルロジェコンプレライセンスを所有する、スイス唯一の時計メーカーです。1970年代当時は、ROLEX をも凌ぐ、世界最高峰の高級時計メーカーとして認められていました。ホムバーガー一族が永らく家族経営を続けてきた IWC シャフハウゼンは、クォーツ革命への対応の遅れや、スイスフランの高騰などにより危機に陥っていました。1976年には腕時計搭載用の自社ムーブメントの製造を停止、従業員を大幅に削減しました。

 

1976年、PORSCHE DESIGN は、後にPORSCHE DESIGN COMPASS WATCH となるユニークピースの開発と製造をIWCに依頼しました。これは、アウトドアスポーツやハンティングが趣味で時計コレクターでもあったF.A.ポルシェの個人的なリクエストでもあったとされています。

コンパスを時計に取り付けるのは少々問題が生じます。

コンパス針は、磁石で自由に動く軸の上に乗っており、磁石は時計のムーブメントと相性がとても悪いのです。ムーブメントの近くにコンパスがあると、ヒゲゼンマイや地板などの内部品が磁気帯びて精度が狂ってしまい、最悪時計がストップすることさえあります。

懐中時計メーカーへの転身も考えながら将来を模索していた IWC シャフハウゼンは、その申し出を喜んで請けました。

折しも、IWC シャフハウゼンと提携関係にあった、高級時計が売れない時代に苦しんでいたジュラ渓谷の時計ケースメーカーも、この難しい案件に対して積極的に参加する姿勢を示しました。

IWC シャフハウゼンにとって、PORSCHE DESIGN とコラボレーションは、従来のIWCには無かったスポーティな製品分野への挑戦と、新しく若々しいマーケットの獲得という意味で転換点となりました。

 

1978 年、 ドイツ大手鉄鋼会社を傘下に持つコングロマリット、VDO アドルフ・シンドリング の取締役会長だったアルバート・ケックは、ヨーロッパの時計産業を再確立することを考えていました。自身も若かりし頃時計職人を目指した経験があり、時計産業に特別な想いを抱いていたケックは、日本勢の市場独占を打破したいと考えていました。

VDO アドルフ・シンドリング の初期の取り組みの1つは、パリに拠点を置く1社、スイスのジュラ渓谷ルサンティエに拠点を置くJAEGER-LECOULTRE(ジャガールクルト)、そして、 IWC シャフハウゼンの3社の時計製造企業の買収提案でした。

パリの企業の買収計画は失敗に終わりましたが、VDO アドルフ・シンドリング は、JAEGER-LECOULTRE と IWC シャフハウゼンの買収に成功しました。

VDO アドルフ・シンドリング は、スイスの時計産業における重要な2社をポートフォリオに加え、Les Manufactures Horlogères (LMH)を設立しました。

1978年3月、IWC シャフハウゼンは、既に成功を収めていた PORSCHE DESIGN との提携を、「長期業務提携契約」という形で締結しました。

一方、この頃、IWC シャフハウゼンには1万個の ETAバルジュー7750 のストックがありました。

IWC シャフハウゼンは、このストックを利用した商品や、ETAクォーツを使う新製品のデザインをPORSCHE DESIGN に依頼しました。

当時 F.A.ポルシェは、腕時計に限らず、カメラやメガネフレームなどに、当時珍しかったチタニウムを使うというアイデアをあたためていました。

 

1978年、PORSCHE DESIGN は、PORSCHE DESIGN by IWC COMPASS Ref.3510を発売しました。

この時計は、ブラックとオリーブグリーンの超軽量ジュラルミン製ケースに収められたシンプルなデザインに、凝ったギミックが組み込まれた革新的な冒険用腕時計でした。

6時位置にあるキャッチを外すと、時計全体が反転し、下に隠された磁気コンパスが現れます。時計の脱進機は磁気の影響を受けやすいため、ETA 2892ベースの IWC Cal.375 自動巻ムーブメントには耐磁性をもたせる必要性があり、IWCシャフハウゼンは、スチール製の9個のローターベアリングを同じ数の人工ルビーに置き換えた22石仕様の Cal.375.23を開発しました。

後に、この新鮮で個性的な腕時計の開発は、IWC シャフハウゼンの新型ミリタリーウォッチにとって大きな意味を持つことになりました。

 

1980年、LMHを統括するポジションに着任した ギュンター・ブリュームライン は、VDO アドルフ・シンドリング傘下で、フランクフルトに拠点を構える ディール・アビオニック・システム下、当時世界最大の時計メーカーであった JUNGHANS(ユンハンス)で時計業界でのキャリアを積んだ 当時35歳のドイツ人でした。

1943年にニュルンベルク近くの小さな町で生まれたブリュームラインは、兵器や計算機、時計を製造するディールの見習いとしてキャリアをスタートさせました。見習い期間を終えると、精密機械学を専門とする機械工学を学ぶための企業奨学金を獲得しました。当時、時計技術もコースの一部でした。

彼は卒業後ディールに戻り、有能なエンジニアであるだけでなく、優れたマーケッターであることも証明しました。

彼には優れたコミュニケーション能力があり、複数の言語を流暢に話しました。

そして彼は、ディールと、ディールの子会社で時計を製造する JUNGHANS の両方のマーケティングと販売を担当するようになり、実績を積み上げました。そんなブリュームラインの活躍がケックの目にとまり、LMHを任されるようになりました。

 

1980年、IWC シャフハウゼンは、スイス時計メーカーとして、はじめてチタニウム素材(Ti Grade 2、ASTM B 338 Gr 2、DIN 3.7035)を外装に用いた、PORSCHE DESIGN by IWC TITANIUM CHRONOGRAPH Ref.3700 をリリースしました。ムーブメントには、大量にストックしていた (あの)ETAバルジュー7750 が使用されました。

当時 IWC シャフハウゼンの商業的な成功は、ブリュームラインが IWC の開発部門を利用して、外装を収益性の高いものにするチタニウムの自社製造技術を開発して初めて実現しました。

現代では多くの時計メーカーがチタニウムケースを製造していますが、当時はチャレンジであったようです。

IWC シャフハウゼンは、PORSCHE DESIGN とのコラボレーションを開始してからほどなくして、ジュラ渓谷のケースサプライヤーにチタニウム素材の製造を断られてしまいました。日本製工作機械を購入して、ゼロからチタニウムのケース製造開発を開始しました。その中心メンバーには(現 Sinn代表)ローター・シュミット博士がいました。

PORSCHE DESIGN by IWC COMPASS Ref.3510 と PORSCHE DESIGN by IWC TITANIUM CHRONOGRAPH Ref.3700 成功の後、PORSCHE DESIGN と IWC シャフハウゼンは、新しいダイバーズウォッチのプロジェクトに取りかかっていました。

1980年の春、西ドイツ海軍は、冷戦下でのソ連海軍と想定された戦闘に備えて、機雷掃海ダイバー用の特殊装備の仕様書を取引先に送付しました。

その送り先に、ディール・アビオニック・システム がありました。ディールは、西ドイツ空軍の航空機用精密計器の製造や保守を担う軍需製品を扱う会社でした。

ブリュームラインは、同じく VDO傘下 LMH 下で、1930年代からミルスペック時計で世界的に高い評価を集めていた IWC シャフハウゼンに、技術部長として在籍していた ユルゲン・キング博士を開発責任者に任命、コンペに参加させました。

当時、西ドイツ海軍から出された新しいダイバーズウォッチの要求事項は30ページに及びました。例えば、

 

・精度:機械式で日差0~+8秒、クォーツで年間±2分

・他スペック:防水性能は30気圧、耐磁性、耐衝撃性、温度挙動

・外装:フラットなサファイアガラス、オレンジ色の分針、ナイロンストラップ

など。

 

IWC Ocean BUND 誕生の背景には東西冷戦の時代背景がありました。

当時のソ連は世界最高レベルの原子力潜水艦を備えていました。

NATOは、ソ連軍がそれらを使い、NATOの要所である北海に面するドイツ領軍港を急襲する攻撃を想定していました。ソ連の高性能機雷も問題となりかねませんでした。この機雷の着火装置には磁気が利用され、微弱な磁気、例えばクォーツ腕時計のステップモーターが発生させる微弱磁気にも反応するよう設計されていたことから、機雷除去はハンドで行う必要がありました。その作業をする掃海ダイバーは、全く磁気を帯びない装備が必要となりました。

西ドイツ海軍は、掃海艇を新造し、機雷掃海専門のダイバーを含む特別中隊を編成しました。異なる任務のために、軍用装備としての腕時計(何しろ1980年のことですから)には特別なスペックが必要でした。その中でも「磁気を帯びない、磁気を発生させない、磁気を漏らさない」という項目は、参加したメーカーに課題を突きつけることになりました。当時、完全耐磁時計を製造したメーカーはありませんでした。

IWC シャフハウゼンは、1930年代から英国連邦軍向けの軍用時計を製造していましたが、この完全耐磁分野の開発は基礎研究から始める必要がありました。スイス・ローザンヌ大学のスタインマン教授を含む社内外のスペシャリストが4年間この計画に携わりました。

キング博士は、プロトタイプが製造されるたびに、バイエルン州グレーディング市にある西ドイツ海軍の試験場 No.81まで車で向かいました。

IWC シャフハウゼンの強みは、外装にチタニウムを扱った経験があることでした。IWC は OCEAN BUND のプロトタイプを5本製作しました。

現在、そのうちの2本をドイツ人の IWC OCEAN BUND コレクターが所有しているという情報があります。また別の1本は、ドレスデンのドイツ連邦軍軍事歴史博物館で展示されていたようですが、盗難に遭い、現在でも行方不明のままになっています。

 

1982年1月、ケックはブリュームラインをシャフハウゼンに本社を置く LMH の常務取締役に任命しました。ブリュームラインが LMH  で行ったのは、徹底した「選択と集中」でした。

IWC シャフハウゼンは PORSCHE DESIGN by IWC と DA VINCI に。他社の下請けのような位置に甘んじていた名門 JAEGER-LECOULTRE は REVERSO を核に据え、好事家向けの趣味性の高い機械式腕時計にフォーカスして開発をするようにしました。

彼は、それぞれのブランドが強いアイコンを持つことを望み、またアイコンを作り出すこと以外に経営資源を投入することを許さなかったと伝えられています。

同時に彼は、恐るべきコストカッターでもありました。

その一例が、IWC に、汎用エボーシュである ETAや、LMH から供給させた JAEGER-LECOULTRE製エボーシュを使用するよう決定したことでした。1950年代より、高級機メーカーとして、アルベルト・ペラトン博士設計の高性能自社製ムーブメントを誇りとしてきた IWC シャフハウゼンのスタッフには、憤懣やるかたなかったであろうことが想像されます。

しかし、主に ETA製エボーシュを採用することで従来よりも製造コストを抑えることができました。こういったブリュームラインの手腕がいかんなく発揮されたのが、1985年に発表された DA VINCI でした。

ETAバルジュー7750 というありふれたエボーシュに、クルト・クラウス博士が手がけた永久カレンダーモジュールを組み込むことで、複雑な自動巻永久カレンダークロノグラフでありながら、魅力的な価格を実現することができました。

そして、ブリュームラインは、クルト・クラウス博士を「シャフハウゼンのアインシュタイン」と命名、IWC シャフハウゼン時計製造の英雄に仕立てマーケティングにも活用、IWC シャフハウゼンの広告塔として利用しました。

彼はまた、当時 IWC シャフハウゼンに在籍していた天才時計師リシャール・ハブリングを見い出しました。

ハブリングの作品の中には、1993 年、IWC 創立 125 周年を記念して、ETAバルジュー7750をベースにしながら、当時世界で最も複雑な機械式腕時計、永久カレンダー、トゥールビヨン、スプリットセコンドクロノグラフを追加した グランコンプリカシオン、IWC IL DESTRIERO SCAFUSIA (イル デストリエロ スカフージア) があります。

 

1982年、IWC シャフハウゼンは自社ネットワークと、ポルシェデザイン・ブティックの2つの販売チャンネルから、プロフェッショナル・ダイバーズ・ウォッチ、PORSCHE DESIGN by IWC OCEAN 2000 Ref.3500 の発売を開始しました。

 

1983年、IWC シャフハウゼンは、IWC OCEAN BUND の回転式ベゼルをブラック仕上げにすること、表面硬度を高めるため、加えて、製品にマットブラックの外装がもたらす機能性を追究していた F.A.ポルシェのこだわりに応えるために、スイス ストローマン研究所の協力のもと TiCON を開発しました。この加工の工程は非常に複雑でした。

TiCON は、チタニウム外装の表面に1,060℃の高温で数種のガスを噴射し、40ミクロンの表面硬化を促します。結果、TiCON処理された外装には、非処理のチタニウムの10倍の硬度がもたらされました。TiCONは、炭化チタニウム、酸化チタニウム、硝酸チタニウムの3つの要素を融合させた技術でした。

 

1984年、ミリタリーダイバーズウォッチ IWC OCEAN BUND 3種が完成し、西ドイツ海軍に納入されました。

OCEAN BUND の3モデルには、NATO供給番号が設定されました。

完全耐磁バージョン Ref.3519 は、3 つのバージョンの中で技術的に最も複雑で進歩していました。非磁性動作に関しては NATO 標準化協定 2897 に準拠していました。

40年経った現在でも、当時の指針を満たすミリタリーウォッチは他に存在しません。

キング博士と開発に携わった関係者全員が機密保持プロトコルに署名させられたため、ドイツ連邦軍によって彼らは秘密保持者として分類されており、多くの情報が秘匿されました。

IWC OCEAN BUNDが海軍で使用された1984年から2016年までの期間、IWCでは2人の人物がドイツ連邦軍とコンタクトを取ることを許されました。そのうちの1人がキング博士でした。

IWC はすべての時計について、納品前に特別な管理プロトコルを実行する必要がありました。

その1つに、IWC は、時計の納品の度に、ドイツ連邦軍の担当者をシャフハウゼンに招き、納品前検査に立ち会わせました。

 

すべての IWC OCEAN BUNDには、裏蓋、ナイロンストラップリンク、ベゼル簡易整備用ツールにNATO供給番号が刻印されていました。

ドイツ連邦軍の特別に訓練された潜水士になるための試験は難しく、非常に狭き門であったとされています。これらの時計は一般用に製造されたものではないため、20世紀が終わる頃まで市場にほとんど流通しませんでした。

 

IWC OCEAN BUND「300m防水」に関する表記ですが、クリスタルの形状の違い(フラットとバスカチーフ)から、BUNDバージョンに対して、民生バージョンが7倍近くの2,000mもの水圧に耐えられるという解釈がありますがそれは誤りです。

BUNDバージョンの防水性能は300mより高いレベルで完成していましたが、軍の仕様書の設定が300mであったため300m以上のテストの証明結果がなかったからになります。

 

すべての IWC OCEAN BUNDはナイロン製のマジックテープストラップを装着しました。チタニウム製ブレスレットはダイバーの嗜好品として別に注文され、IWCシャフハウゼンが時計に取り付けて納品することはありませんでした。

特に、Ref.3519 において、チタニウム製ブレスレットを装着して訓練や実戦に臨むことは100%ありませんでした。IWC OCEAN 2000 軍用・民生用を問わず、あらゆる世代のブレスレットの接続リンクやクラスプの一部が磁気を帯びてしまうステンレススティール素材で作られています。

 

 

IWC OCEAN BUND には、3つの基本的なモデル、合計7種類のリファレンス番号がありました。

Kampfschwimmer(戦闘ダイバー)

・1984-85年 Ref.3314

 BUND供給番号 (接続リンク1ピン式):6645-12-199-5070 - 6645-12-197-8310

・1985-89年 Ref.3319

 BUND供給番号 (2ピン式):6645-12-344-0903 - 6645-12-339-1962

 

 ムーブメント=クォーツ式 IWC Cal.2250 / 32,678Hz

 電池寿命=約3年

 要求精度=年間±2分

 外装=文字盤、針、ベゼルにトリチウム処理された素材

 (TL 8010-019型) 強化夜光塗料

 ドイツ連邦軍トリチウムのシンボルである赤いサークルの中に赤文字で3Hマーク

 防水性能=300m

 付属品=ナイロン製のマジックテープ式ストラップ、

 ストラップリンク着脱専用工具、ベゼル用簡易サービスドライバー、紙製外箱、

 ABS樹脂製内箱、ドイツ語取扱い説明書、ペーパータグ

 重量=57g

 

Waffentaucher(サービスダイバー)

・1984-85年 Ref.3501 (接続リンク1ピン式)

 IWC Cal.3752  NATO供給番号:6645-12-197-8096 - 6645-12-197-8310

・1985-88年 Ref.3509 (2ピン式)

 IWC Cal.3752  NATO供給番号:6645-12-197-8096 - 6645-12-197-8310

・1985-88年 Ref.3509 (3Hダイヤル 2ピン式)

 IWC Cal.3752  NATO供給番号:6645-12-197-9681 - 6645-12-197-8310

・1988-96年 Ref.3529 (貫通式1ピン式、希に3Hダイヤル)

 IWC Cal.37521  NATO供給番号:6645-12-339-1536 - 6645-12-339-1962

 

 パワーリザーブ=40時間以上

 要求精度=日差0~+8秒

 外装=夜光塗料に、文字盤、針、ベゼルの夜光塗料に長時間発光素材

 タイプDIN 67510を要求、赤丸3Hダイヤルは、ベゼル、文字盤、針に、

 強化トリチウム処理された素材、TL 8010-19型を採用

 防水性能=300m

 付属品=ナイロン製のマジックテープ式ストラップ、

 ベゼル用簡易サービスドライバー、紙製外箱、ABS樹脂製内箱、

 ドイツ語取扱い説明書、接続ピン専用工具、ペーパータグ

 重量=43g

 8振動の自動巻ムーブメントCal.3752または Cal.37521を採用

 Ref.3501 とRef.3509(前期仕様)ムーブメントは、ETA 2892 及び

  ETA 2892-2の標準的な21石仕様ではなく22石仕様を使用

 追加された石数は、9個の人工ルビーの集合であり、

 スチール製ローターベアリングから換装されたもの

 

         

Minentaucher(掃海ダイバー)

 1984年から供給開始、1989年頃まで製造

・Ref.3519 IWC Cal.3755AM 搭載

 NATO供給番号:6645-12-199-3503 – 6645-12-312-3003

 

 パワーリザーブ=40時間以上

 要求精度=日差0~+8秒

 外装=文字盤、針、ベゼルにトリチウム処理された素材

 (TL 8010-019型) 強化夜光塗料

 ドイツ連邦軍トリチウムのシンボルである赤いサークルの中に赤文字で3Hマーク

 防水性能=300m

 付属品=特別仕様 2ピン式ストラップリンク (6645-12-312-3003)

 ナイロン製のマジックテープ式ストラップ、ストラップリンク着脱専用工具、

 ベゼル用簡易サービスドライバー、紙製外箱、ABS樹脂製内箱、

 ドイツ語取扱い説明書、ペーパータグ

 重量=42.6g

 

Ref.3519は1984年から1989年の間に西ドイツ海軍用に50本が製造されました。

その他、スペア用に2個、1つは IWC シャフハウゼン博物館用に、あとの2つは VDO役員用に合計55個生産されました。

 

Ref.3519 は特殊なムーブメント IWC Cal. 3755AM(通称Cal.3755 Amag)を搭載しています。ETA 2892-A2ベースの IWC Cal.37521をベースにしていますが、このバーションには、STANAG 2897による低磁場試験による特殊な非帯磁気化仕上げが施されました。

まずは、Ref.3501、3509(前期)のように、自動巻のローターを回転させるスチール製のボールベアリングを外し、人工ルビーを使った9個のベアリングに置き換えました。ボールベアリングは強磁場下で磁化される可能性があるためです。そのため22石という表示になっています。

困難だったのは、テンプと脱進機に使われているスチール製の部品、テンプ、アンクルフォーク、ヒゲゼンマイを交換することでした。テンプはベリリウム製に置き換えられました。

ベリリウムは鋼鉄よりも硬いものの、非常にもろく、その硬さゆえ時計の部品との接触による摩耗や損傷が激しくなります。

ヒゲゼンマイは、ニオブとジルコニウムの合金で作られたものに交換されました。

Ref.3519はベリリウム製部品が壊れやすかったため、ホルシュタイン州エッカーンフェルデのダイビングデポにいる西ドイツ海軍の時計技師は、ムーブメントを取り外して予備ムーブメントと交換し、オリジナルのムーブメントを IWCシャフハウゼンに送って修理しました。この理由により、Cal.3755 AMAGは100個以上製造されました。

また、Ref.3519 には専用の耐磁テストが必要でした。

IWCシャフハウゼンでは、鉄系金属が建物内に多く存在し、磁場に影響されるため、この検査を行うのことができませんでした。そのため、Ref.3519のテストが必要なときは、キング博士と軍の職員が磁場の影響がなかったキング博士の自宅へ出向くことになりました。またこの時計は低磁場での管理が必要なため、ドイツ北部の連邦軍研究所で管理を行う必要もありました。

掃海ダイバーの潜水器具は、国防技術局で 2 年ごとに測定されます。

機器がテストに合格すると日付 (月/年) が記載されたグリーンと白の AMAG ステッカーが貼られます。車に貼られる車検ステッカーと同じようなもので、テストの有効期間を示します。「NM」はNOT MAGNETIZABLEの略になります。

Ref.3519 のストラップリンクのみ、ステンレススティール製の接続ピンとスプリンを使用しない特殊非耐磁金属製のピンとスプリングが装着されました。そのため、このモデルのみ、NATOストックナンバーが 6645-12-312-3003 となっています。

文字盤、針、ベゼルにTL 8010-019型トリチウム

そのため、このモデルの文字盤にも赤い3Hがマークされています。

 

 

TiCON OCEAN 500 / 2000

1985年には、外装をTiCON加工によってオールブラック化したPORSCHE DESIGN by IWC OCEAN 500 / 2000 Black の販売を開始しました。IWC公式カタログ (1985 年のドイツ語版、フランス語版 カタログ第4号) で、IWC はオールブラックのOCEANを TiCON という名前の特殊加工として説明し、TiCONは IWC PORSCHE DESIGN OCEAN 500 / 2000にのみ加工されていると記載されていました。

IWC シャフハウゼンは、OCEAN 500 / 2000 Black の販売を3年で中止しました。その理由は、TiCONが経年変化でブラック色があせること、衝撃により剥がれること、再コーティングができないことが判明したからで、TiCON は IWC シャフハウゼンの品質基準に合致しないと判断されたからでした。

現在、TiCON 系スペアパーツは IWC シャフハウゼンにほぼありません。

現存するものは、OCEAN 2000 BLACK、OCEAN BUND用の TiCONブラックベゼル のみになります。メーカー修理をしようとすると残念な結果が待っていますのでよく考えてからお出しください。

 

DA VINCI

1985 年、IWC シャフハウゼンは、DA VINCI パーペチュアル カレンダーをバーゼルフェアで初公開しました。心臓部には ETAバルジュー7750を使用、クルト・クラウス博士が設計した永久カレンダーモジュールを載せて低コストで収益性の高い商品を開発ることに成功、カレンダは、2499年まで実質的に調整を必要とせず、リューズを回すだけで設定および調整できました。 

1990 年、IWC シャフハウゼンは、DA VINCI グランコンプカシオンにより、高級腕時計におけるウォッチメイキングの頂点に上りました。 

この商品は、IWC シャフハウゼンの完全復活を遂げる原動力となったばかりでなく、スイス時計産業復活を象徴する製品になりました。

 

 

IWC OCEAN BUNDリリース以降の年表

1995年10月、IWCと PORSCHE DESIGN A.G.の業務提携が終了

1996年、IWCが最後の OCEAN BUND  Ref.3529をディール・アビオニック・システムへ納入

1999年、(独)VDO-マンネスマングループが (英)ボーダフォングル-プによって買収される

2000年7月、ボーダフォングループが LMH をリシュモン・グループに売却

2001年、ギュンター・ブリュームライン、リシュモン・グループに参加

2001年10月1日、ギュンター・ブリュームライン逝去

2008年、VDO アドルフ・シンドリング解散

2012年4月5日、F.A.ポルシェ逝去

2016年、ドイツ連邦海軍、IWC OCEAN BUND の使用を終了

2018年12月28日、アルベルト・ケック逝去

 

 

VEVEG

支給された IWC OCEAN BUNDは、軍での使用期間が終了すると、隊員は使っていた時計を購入することができました。

隊員が購入に興味を示さなければ、ドイツ連邦軍は、軍の廃棄物が処理される唯一の公式リサイクル会社である、フランクフルトの VEVEG GMBH に時計を払い下げました。

IWC OCEAN BUND を一般の好事家が入手するルートとしては、VEVEG で落札するか、隊員から直接譲り受けるルートが考えられます。

 

 

IWC OCEAN BUND メンテナンスする上での問題点

・ケースとストラップを接続する形状による問題

・ブラックベゼル TiCON部品の供給問題

・ダイヤル、ベゼル、針に使用される放射性物質を含む夜光塗料の問題

・22石仕様のCal.3752、9個の人工ルビー問題

・ETA 2892-2 と2892-A2 供給の問題

・ETA 2892系にまつわる 1番受けブリッジ香箱受けの摩耗問題

・Cal.3755AM に使用されている特殊部品の問題

・IWC OCEAMN BUNDの中には、VDOマネンスマンのボードメンバーに販売されたものがあり、供給番号が刻印されていない個体が存在する問題

 

 

OCEAN BUND 伝説のミリタリーウォッチを継承した市販モデル

IWC シャフハウゼンは、IWC OCEAN BUND Ref.3519で培ったノウハウをもとに、強力な電磁石によっても性能に影響が及ばない IWC INGENIEUR 500,000 A/m Ref.3508 を開発しました。

1989年、Ref.3508は、MRIスキャナーで 370 万アンペアの磁場に耐え、当時腕時計の耐磁性の世界記録を打ち立てました。