午前十時の映画祭8

 

悪魔のような女

『悪魔のような女』(1955年、監督・脚本/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、脚本/ジェローム・ジェロミニ、原作/ピエール・ボワロー、トーマス・ナルスジャック、撮影/アルマン・ティラール、音楽/ジョルジュ・ヴァン・パリス、編集/マドレーヌ・ギュ)

 

久しぶりに出かけた「午前十時の映画祭」ですが、11月の上映作2本には「美しく恐ろしい女たち」のコピーが添えられています。先に上映された『グロリア』(1980年)は大好きな映画ですから、できればスクリーン鑑賞したかったのですが、スケジュールが合いませんでした(涙)。

結局、ミッドランドスクエアシネマで鑑賞できたのは1955年製作の『悪魔のような女』だけ。

 

監督はアンリ・ジョルジュ・クルーゾーですが、前作の『恐怖の報酬』(1953年)とともに映画史に残る作品といえます。原作はピエール・ボワローとトーマス・ナルスジャックが合作した探偵小説ですが、このコンビはヒッチコック監督が映画化した『めまい』(1958年)の原作者でもあります。現在の表現であれば“W主演”ということになるのでしょう。シモーヌ・シニョレと監督夫人のヴェラ・クルーゾーがメインキャストです。ミッドランドスクエアシネマ(入場料金1,100円)。グッド!

 

悪魔のような女

 

映画の舞台はパリ郊外の寄宿学校。校長のミシェル(ポール・ムーリッス)は、病弱な妻クリスティーナ(ヴェラ・クルーゾー)がありながら、同校の女教師ニコール(シモーヌ・シニョレ)と愛人関係にあります。乱暴で利己的な性格のミシェルに我慢が出来なくなったニコールとクリスティーナは、女同士で結託して彼を殺害する計画を立てます。ここが物語のスタートです。

 

女ふたりは3日間の休暇を利用してニオールのニコールの家へ行き、電話で離婚を切り出してミシェルを呼び寄せる。世間体を気にする彼が周囲には行き先を告げないことを見越した計画です。いざとなるとクリスティーナは怖気づきますが、気の強いニコールは彼女に命令してミシェルに睡眠薬入りの酒を飲ませる。そして寝入ったところを浴槽につけて窒息させます。

 

翌日、女ふたりは死体を用意して来た大きなバスケットに詰めて、車で学校まで戻ります。そして、夜の闇に乗じて死体をプールに沈めます。失踪した校長が遺体で発見されても、ふたりの女には完全にアリバイもある、、、なのに、沈めたミシェルの遺体はなかなか発見されません。ふたりは策を弄してプールの水を抜きますが、そこに遺体はない(!)のです。やがてふたりの周囲では、ミシェルがあたかも生きているかのような事象が次々と起こり始めます。叫び

 

悪魔のような女

 

夫を殺したという罪悪感と恐怖心から、持病の心臓病を悪化させ寝こんでしまうクリスティーナ。一方、最初は彼女を励ましていたニコールですが、やがて学校を辞めて去って行きます。それ以降のドラマの展開は、ネタバレになりますから記述は避けますが、終盤のクリスティーナが迎える恐怖シーンと、その後のどんでん返しはこの映画の“肝”のように思えます。グー

 

作品の原題はフランス語で「Les Diaboliques」。ずばり“悪魔”という意味のようですが、邦題はご丁寧に『悪魔のような女』となっています。映画は始まって早々、ミシェルに頬を打たれたというニコールがサングラス姿で登場し、タバコを吹かし始める。周囲は小学生の少年たちが駆け回っているというのに、大胆な女教師だなと目を引きました。“悪魔のような女”の候補はシモーヌとヴェラの2人に絞られていますから、当然シモーヌに軍配は上がりますよね(笑)

 

ただ、妻妾同衾のような生活を平然と行い、2人の女を追い詰めていくミシェルという横暴な男こそ“悪魔”的であるようにも思えます。それと、クルーゾー監督夫人のヴェラが、監督の女性問題によって神経衰弱に陥り、46歳で亡くなっていること。それがホテルの浴室での心臓発作による急死だったという伝聞で残ることに、偶然とは思えない“運命的”なものを感じます。パー

 

悪魔のような女

 


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