自分で考えなければいけないこと、
決断しなければいけないことに、
絶えず遭遇します。
今日、ある問題を、
部下から相談された時に。
「あれ?私はそんなこと自分で考えて自分で決めていたけどな?」
って思ったのですが、
口には出しませんでした。
そして、その問題の解決案を考えて、
自分の考えを部下に説明したところ、
あまり要領を得なかったため、
私が問題の解決方法を上司に説明にいったのですが、
上司にはまず問題が見えていなかったため、
問題を理解してもらうのに、
とても時間をかけて説明しなければなりませんでした。
その時も私は、
「毎月みている書類なのに、なぜ分からないかな」
と思ったのですが、
「分かっている人間が相手に考える暇を与えず、
一方的にまくし立てたら相手の理解がもっと遅くなる」
と考えて、
上司のペースに合わせて、
何度もゆっくりと時間をかけて説明しました。
以前の私なら、
自分で考えれば分かることを考えず、
人に丸投げで相談してきたり、
いつも見ている書類に関する業務の問題を、
相手が理解出来ずに自分の考えが伝わらなかったりしたら、
かなり苛ついた態度をとっていたのですが、
今日の私は相手のペースに合わすことを意識していたため、
とても穏やかに接することが出来ました。
それは以前、
私が自分を発達障害ではないかと疑って、
検査を担当した臨床心理士から言われた言葉が、
いつも脳裏に引っかかっていたからでした。
「ご自分を発達障害ではないかと疑って、
知能検査を受けられましたが、
下位検査と呼ばれる検査も全て、
検査結果が平均値を上回っていたため、
知能的に問題はありません。
むしろ自分の知能がかなり高いために、
言わなくても相手が理解すると考えて、
コミュニケーションが上手くとれていない可能性があります」
私はこの臨床心理士の言葉に、
思い当たる節がいくつかありました。
知能が高いためなのか、
ASD(自閉症スペクトラム障害)による、
相手への共感性の無さからくるものなのかはわかりませんが、
私は自分の中で当然の帰結と感じることに対しては、
相手が理解出来ないことが理解出来なくて、
人と揉めてしまうことが時々起こっていました。
私は臨床心理士から先ほどの言葉を言われるまで、
自分が人と会話をする時に、
そのような態度を取っていることに全く気が付いておらず、
何で人と揉めてしまうのだろうと、
いつも悩んでいたのでした。
以前、職場の上司に仕事の相談をした時に、
「あなたの相談は相談に聞こえないんだ!!」
と怒られた時も、
法律改正による業務の対応の変化の相談だったため、
まず法律改正をよく理解していなかった上司は、
法律改正を理解していて当然のように話す私に対し、
苛ついたのだろうと、
臨床心理士からのこの言葉を思い出して、
腑に落ちたのでした。
小学生の頃に同級生に対して、
とお願いしてしまうほど、
皆んなと同じ行動が出来ない自分を、
人より劣っているダメな人間だと感じ、
強烈な自己否定の環境で育ってきた私は、
WAIS- IIIの検査を受けるまで、
人より劣っている自分が分かることは当然、
相手も分かるものだと思っていました。
けれど、知能検査を受けたおかげで私は、
その自分の認知が間違っていることに、
気付くことが出来ました。
自分が当然分かるだろうと思って話していることが、
相手には分かっていないこともある。
こんな当たり前のことに、
自己否定の塊だった私は、
臨床心理士から指摘されるまで、
気が付くことが出来なかったのでした。
きっと機能不全家族の中で育ち、
マルトリートメント受けていた私には、
他にも間違った認知があるのだと思います。
そんな認知の歪みを1つずつ自覚して、
自分の取扱説明書を増やしていくことで。
以前相談を持ちかけて怒られた上司と、
時間はかかったけれど、
今日は円満に意思の疎通が図れたように。
もっと社会で生きやすくなるための、
コミュニケーションスキルを得ることが、
出来るのではないかな、
と思ったのでした(〃ω〃)