愛着障害も発達障害も持っていることは、
ほぼ間違いないという結論になった私。
医師からの、
周囲に理解してくれる人はいるかという質問には、
迷うことなく首を横に振りました。
普通の子のように振る舞えない私に対して母が、
「お前のことは理解出来ないから放っておくことにする」
と言ったのは、私が小学校3年生くらいの頃でした。
そんな母に、今さら私に発達障害と愛着障害があると伝えたところで、
ただ母を悲しませるばかりで、
なんの環境の改善も見込めないことは明らかでした。
母はありのままの私が好きなのではなくて、
今の会社勤めが出来ている、
普通に振る舞っている私が好きなのです。
例え私の心と体が、
そのことで悲鳴をあげていたとしても、
80歳を過ぎて老い先短い母の、
「自分の娘は良い娘」だという夢を、
壊すつもりはありませんでした。
さらに。
私には1歳上の兄がいるのですが、
自殺未遂をした私と、
初めて顔を合わせた時に、
兄が私に1番最初に言った言葉は、
「これで分かったか」
でした。
兄にとって普通の人のように振る舞えない私は、
真っ当な人生を歩める人間ではなく、
自殺未遂をするのも、
私の人間性に問題があるからだと考え、
発した言葉のようでした。
兄に私に障害があると伝えることは、
かえって状況を悪化させるだけだと思いました。
愛着障害を抱えているのだから、
当たり前といえば当たり前なのですが、
私が生まれ育った家族に、
障害をカミングアウト出来る相手は、
存在していませんでした。
そんな中。
私が唯一、自分の精神科通院を伝えようと思ったのは、
自分の娘でした。
私の娘も、私ほどではないけれど、
生きづらさを抱えていて、
私から発達障害という言葉を知った娘は、
自分がADHDではないかと疑っていました。
私は精神科受診の帰りに娘の家に寄り、
医師から愛着障害と発達障害があると言われたことを、
娘に伝えました。
私が以前から発達障害のために、
カウンセリングに通っていたことを知っていた娘は、
特に驚きもしませんでした。
ただ、愛着障害に関しては、
娘はあまり知らなかったらしく、
「ふ〜ん」
といった感じで聞き流していました。
娘の関心は、生育環境で生じる愛着障害よりも、
遺伝的要因がある発達障害に向いていました。
娘は、自分も生きづらさを感じていて、
私が病院のテストをきちんと受けて、
自閉症スペクトラム症に該当したことを伝えると、
「この子は大丈夫かなぁ?」
と、もうすぐ生後4ヶ月になる自分の子供の心配をしていました。
私の目から見たら、
自分よりはるかに生きやすそうな、
人生を送ってきたように見える娘の言葉に、
娘は娘で、自分ほどでは無かったにしても、
やはり学校などで苦労していたことを知りました。
そんな娘を励ましたい気持ちも込めて、
私は自分の考えを伝えました。
「あなたのお祖父ちゃんが100%の発達障害者だとして、
母である私が50%発達障害を受け継いだら、
あなたの代では25%なわけで、
実際、どんどん生きづらさは軽くなっていると思うの。
だからきっと、大丈夫だよ」
世代が降るごとに生きやすくなってきているのは、
お祖父ちゃんや私を見て、娘も感じていたため、
少し、安心してくれたようでした。
「それにお母さんが、発達障害があっても、
幸せに生きられる方法を学んでおくから」
私が自分を幸せにするために、
通信制大学の心理学科で学んでいることを知っている娘は、
「そうだね」
と言って笑ってくれました。
私が受診した精神科のホームページには、
「周囲の信頼出来る人に自分の障害のことを話して、
理解やサポートを得ることも重要」
と書かれていましたが、
愛着障害を抱える家庭環境で、家族の協力は望めず、
愛着障害のために人とコミュニケーションを取るのが難しい発達障害者にとって、
信頼出来る人を得ることが、
何より難しいことではないか、
と感じました。