障害をカミングアウト出来る人 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

昨日、精神科を受診して、
愛着障害も発達障害も持っていることは、
ほぼ間違いないという結論になった私。

医師からの、
周囲に理解してくれる人はいるかという質問には、
迷うことなく首を横に振りました。

普通の子のように振る舞えない私に対して母が、

「お前のことは理解出来ないから放っておくことにする」

と言ったのは、私が小学校3年生くらいの頃でした。

そんな母に、今さら私に発達障害と愛着障害があると伝えたところで、
ただ母を悲しませるばかりで、
なんの環境の改善も見込めないことは明らかでした。

母はありのままの私が好きなのではなくて、
今の会社勤めが出来ている、
普通に振る舞っている私が好きなのです。

例え私の心と体が、
そのことで悲鳴をあげていたとしても、
80歳を過ぎて老い先短い母の、
「自分の娘は良い娘」だという夢を、
壊すつもりはありませんでした。

さらに。

私には1歳上の兄がいるのですが、
自殺未遂をした私と、
初めて顔を合わせた時に、
兄が私に1番最初に言った言葉は、

「これで分かったか」

でした。

兄にとって普通の人のように振る舞えない私は、
真っ当な人生を歩める人間ではなく、
自殺未遂をするのも、
私の人間性に問題があるからだと考え、
発した言葉のようでした。

兄に私に障害があると伝えることは、
かえって状況を悪化させるだけだと思いました。

愛着障害を抱えているのだから、
当たり前といえば当たり前なのですが、
私が生まれ育った家族に、
障害をカミングアウト出来る相手は、
存在していませんでした。

そんな中。

私が唯一、自分の精神科通院を伝えようと思ったのは、
自分の娘でした。

私の娘も、私ほどではないけれど、
生きづらさを抱えていて、
私から発達障害という言葉を知った娘は、
自分がADHDではないかと疑っていました。

私は精神科受診の帰りに娘の家に寄り、
医師から愛着障害と発達障害があると言われたことを、
娘に伝えました。

私が以前から発達障害のために、
カウンセリングに通っていたことを知っていた娘は、
特に驚きもしませんでした。

ただ、愛着障害に関しては、
娘はあまり知らなかったらしく、

「ふ〜ん」

といった感じで聞き流していました。

娘の関心は、生育環境で生じる愛着障害よりも、
遺伝的要因がある発達障害に向いていました。

娘は、自分も生きづらさを感じていて、
私が病院のテストをきちんと受けて、
自閉症スペクトラム症に該当したことを伝えると、

「この子は大丈夫かなぁ?」

と、もうすぐ生後4ヶ月になる自分の子供の心配をしていました。

私の目から見たら、
自分よりはるかに生きやすそうな、
人生を送ってきたように見える娘の言葉に、
娘は娘で、自分ほどでは無かったにしても、
やはり学校などで苦労していたことを知りました。

そんな娘を励ましたい気持ちも込めて、
私は自分の考えを伝えました。

「あなたのお祖父ちゃんが100%の発達障害者だとして、
母である私が50%発達障害を受け継いだら、
あなたの代では25%なわけで、
実際、どんどん生きづらさは軽くなっていると思うの。
だからきっと、大丈夫だよ」

世代が降るごとに生きやすくなってきているのは、
お祖父ちゃんや私を見て、娘も感じていたため、
少し、安心してくれたようでした。

「それにお母さんが、発達障害があっても、
幸せに生きられる方法を学んでおくから」

私が自分を幸せにするために、
通信制大学の心理学科で学んでいることを知っている娘は、

「そうだね」

と言って笑ってくれました。

私が受診した精神科のホームページには、

「周囲の信頼出来る人に自分の障害のことを話して、
理解やサポートを得ることも重要」

と書かれていましたが、
愛着障害を抱える家庭環境で、家族の協力は望めず、
愛着障害のために人とコミュニケーションを取るのが難しい発達障害者にとって、
信頼出来る人を得ることが、
何より難しいことではないか、
と感じました。