突然のことで、初めて知らせを聞いた時には、
「えっ??」
と、自分でも驚くくらいの″すっとんきょう″な声を上げてしまいました。
突然のことだったため、父の死に目に立ち会うことは出来ず、
それどころかその日は大雪で、高速道路も通れなくて、電車も超低速での運行で、
私の住んでいる大分から鹿児島の実家にたどり着けたのは、
知らせを受けてから6時間以上経ってからでした。
実家の仏壇の前で、布団に寝かせられた小さくなった父の顔を見ていたら、
悲しいなんて感情を感じる前に、ただただ涙が流れていました。
でも、そんな状態にお構いなく、初めて立った喪主側はやることが本当に多くて、
通夜だ葬儀だと慌ただしく毎日が過ぎていき、
故人を偲んでいる心の余裕などありませんでした。
葬儀が終わったら高齢の母に変わって様々な手続きに走り回ったため、
会社からもらった1週間の忌引きはあっとゆうまに終わり、
出勤したらしたで長期間の休みで仕事が溜まっていて、
毎日遅くまで残業する日々が続いていました。
ようやく昨日、仕事の方も落ち着いて、
ほっと息をついたときに、
「葬儀って生きてる人のためにするものなのかもしれないなぁ」
って思いました。
私は、父のことを考えると自然と涙は出てくるのに、
もう会えないことを寂しくは思うのに、
父が亡くなったことを悲しいとは感じないのです。
これは通夜に葬儀に手続きにと忙しくしていて、
大勢の親戚の人達と久しぶりに会って、父について色々な話も出来て、
「自分の好きなとおりに生きた人だったから満足だっただろう」
って皆んなでワイワイ楽しく話せたことが、とても大きいように思うのです。
父が亡くなったタイミングも本当に見事で、
その日より前だったら、私の仕事の関係上、父の葬儀に参加するのがとても困難で、
その日のその時間よりもう少し後だったら、
12月に結婚式をあげた私の子は新婚旅行に海外に行ってしまっており、
連絡さえつかないところでした。
父があの日、あの時間に亡くなったから、家族皆んなが集まることができました。
かなり我がままに生きた父の、家族に集まって欲しい最後の気遣いだったのかな、
なんて思います。
初七日は過ぎたものの、四十九日は私の引っ越しと転勤の日に重なるという、
またゆっくり悲しみを感じる暇もない日程となっています。
子どもの頃から泣き虫で、今、このブログを書きながら涙を流してしまう私が、
悲しむ暇が無いような日を選んでくれたのかな、なんて思っています。
四十九日、初盆などの色んな儀式や行事を経て、
折々で離れて暮らしている家族や親戚が集まって父のことを話すことで、
頭では理解出来ている父の死を、
ゆっくりと心に納得させていくことが、葬儀や法要の意味なのかもしれません。
人生で初めて喪主側に立って、そんなことを思いました。