溢れた幸せ | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

先週の日曜日、私は自分を癒すために申し込んでいた講座をお休みしました。

 
少し前まで私は、「癒し」というものが自分の人生を劇的に変える特効薬のようなものだと思っていました。
 
自分を癒せば、嫌な感情を味わうことも、嫌な出来事が起こることもない、と思っていました。
 
ものすごく、幸せで充実した人生が送れるようになる、と思っていました。
 
だから一生懸命、自分を癒すために頑張っていました。
 
でも、自分を癒そうと頑張れば頑張るほど、私は自分に自信がなくなり、心身ともに弱っていきました。
 
「癒しは進んでいるはずなのに、どうして私の気持ちはどんどん暗く悲しくなっていくのだろう?」
 
そんな風に考えるようになって初めて、
 
「私には癒しが必要だ」
 
と思うことが、取りも直さず
 
「癒されていない今の自分はダメだ」
 
という、自己否定に繋がっていることに気づきました。
 
そして私は、人から否定され続けてきた自分のことが、とっても大好きだったことに気づきました。
 
どんな私でも、私は私が好きだ!
 
癒されていなくても、チグハグでも、人から違和感を感じられても、
心の真ん中にある、
 
「これが私」
 
と感じられるもの。
 
いつでもどんな時の私でも、必ずこの私はいつも私の中にありました。
 
だから、苦しい。だから、悲しい。
 
人の目を気にして、この私と違う人間になろうとするから。
 
苦しかったり悲しかったりする本当の原因は、癒されていないからではなく、
 
「違う自分になろうとするから」
 
だからなのではないか、と思うようになりました。
 
そのことを皆んなに話した時、とても力が湧いてきて、私は自分を取り戻すことが出来ました。
 
それからずっと、嫌だったり、苦しかったり、悲しかったりすることは相変わらずあるけれど、それは
 
「癒されていないから」
 
ではなく、
 
「生きているから」
 
だと感じるようになりました。
 
そうしたら、前と何も違わない毎日なのに、
ポジティブと言われる感情だけでなく、ネガティヴだと言われる感情を感じた時も、
 
「あぁ、私、生きてるなぁ」
 
と、充実感を感じるようになりました。
 
そうしたら、目の前で悩み苦しんでいる自分の子供の姿が目に入るようになりました。
 
別々に暮らしている社会人の私の子供は、今、不満いっぱいに働いています。
 
「私はこんなに頑張っているのに、あの人達はちゃんとしてくれない!!」
 
そう訴える我が子をみて、そんなモノの見方をしていたら苦しいだろうな、と思いながら話を聞きます。
 
私は色んなことを学んできて自分のモノの見方を変えることが出来るようになりましたが、
子供のモノの見方を変えることは出来ません。
 
だから、彼女の話を聞いて、自分はどう感じるのか、彼女とは違う視点を伝えます。
 
そんなことを繰り返しているうちに、あんなに反抗していた子供が、
 
「お母さんがいなくなるの寂しい」
 
と言ってくれるようになりました。
(4月に転勤で今より遠くに引っ越すことを伝えてあります)
 
そんな子供と会える日と、自分を癒すための講座が重なった時、
私は子供と会うことを優先しました。
 
私は講座に参加しなくても幸せでいられるから。
 
そんな風に、自然に思っていました。
 
そんな自分に気付いて、
 
「おっ!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ」
 
と思って、
 
「あぁ、これがコップから溢れるってことかなぁ」
 
って思いました。
 
人を幸せにするには、先ず自分のコップを幸せで満たさなければいけない。
 
自分が幸せでいっぱいになったら、溢れた幸せは自然に周囲の人に流れるから。
 
今まで自分のことで精一杯で、周囲に目を向けることが出来なかったけれど。
 
自分が幸せを感じられるようになったから。
 
もっと軽く生きられるモノの見方があるよ。
 
そんなことを体現して生きていきたいな、なんて思ったのでした(*^^*)