私の体験したスピリチュアル講座の怖い話その8~視える・聞こえる・感じるをありがたがらない~ | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

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25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私のスピリチュアル講座の体験記。
かなり長く続いた、その1からその7までを読んで下さった方は、きっと

「スピリチュアルなことが好き」

な方なのだと思います。

そして、こんな怖い体験をした今でも、私はやはりスピリチュアルなことが大好きです。

でも、その【
好き】のスタンスはかなり変わったように思います。

私はスピリチュアルなものを

「視える・聞こえる・感じる」

人を、スゴイ人だと思っていました。
そんなつもりは無かったのですが、心のどこかで

「自分より上の人」

だと思っていたのだと思います。

私はエゴに振り回されるけど、スピリチュアルなものを知覚できる人は人格も出来ている、そんな思い込みがどこかにあったのだと思います。

だから、視えないものが視えるという講師の言葉をありがたがり、言われるがままに大好きな両親を残虐に殺すイメージングを実行してしまった。

本当の本当は、そんなことしたくなかったのに。両親の悪口を言われて、声を上げて泣き続けるくらい、悲しかったのに。

こんな経験をした今。
スピリチュアルなものを「視える・聞こえる・感じる」ことが一つの才能だということが分ります。

あなたがピアノを弾けるように、私が絵を描けるように、スピリチュアルなものを知覚できるのは才能の一つなのだ、と分ります。

そこに、人格の優劣などありません。心が綺麗だから「視えたり・聞こえたり・感じたり」するのではありません。

だから、どんなにそれが有名な霊能者の言葉だったとしても。もしかしたら神のお告げだと言われたとしても。

自分の心に聞いてみて、自分が嫌だと感じるのなら、その心を尊重すること。

それがとても大事なのだと分ります。

実は、同じメッセージはずっと届けられていたのに、私はこんな痛い思いをするまで本当には分っていませんでした。

私の大好きな霊能者さんが言った言葉。

「生まれてきている皆が体を持った神さま。神さまの世界から、全てを忘れて生まれてきた私たちは、それだけで勇気のある存在だから、ずっとそばで見守ってくれている存在達がいるの。だからまず、何かあったら自分を守ってくれている存在達に聞いてみて。全ては外ではなく内にあるのよ」

ありがたがるなら「視える・聞こえる・感じる」人ではなくて。
生まれた時から私を守ってくれている存在達。

確かに子供の頃に感じていた、その存在達との絆をもう一度取り戻そうと参加したスピリチュアル講座だったからこそ。

自分に対する暴言を受け入れてはいけなかったことが分ります。

これからは、在りたい自分で在るために。
スピリチュアルなことが好きな自分を尊重するやり方で。
スピリチュアルなことに接していこう、と思います。

これで、私の体験したスピリチュアル講座の怖い話は終わります。
長々とお付き合いいただいて、ありがとうございました。<(_ _)>