監獄
今晩は徹夜になりそう。何ヶ月振りだろうと考え始めていたが、この間終電に間に合わなくて一晩中駅の前で本を読んで朝になると帰った事を思い出して止めた。最近も俺の睡眠パターンがずれてます。それは、またコーヒーを飲み始めたからです。全ては勉強の為、と言いながらもパソコンでふざけてる俺。
今日部屋から一歩も踏まないと決めた。それは、俺の日常とは殆ど変わりがない。朝起きて(実は今日の場合は午後2時だったけど零細な供述を省きましょう)、簡単な運動をして、歯を磨いて顔を洗う。外の世界から遮断されていても、衛生に努めなくてはいけない。髭を剃り、身体を保つのだ。確か、カート・ヴォネガット・ジュニアの「スローターハウス5」という小説で登場した、捕虜収容所に収監された英軍の人達にはそういう台詞があった。その先例に倣って窮屈なアパートで暮らす俺は、元気で勉強に取り組む。いや、この頃、監獄に放り込まれても悪くないな、とも思っている。嫌なの唯他の奴らがいて危険だってこと。でもそれ以外、何年間監獄にいて、好きなだけ本をきちんと読むことができたらなあって溜息が出る。基礎から始まって、歴史、物理学、経済、政治学、法律、外国語、そして勿論世界中の文学を勉強する。時に獄庭で運動させてもらえたら上等だ。
ちなみに、「スローターハウス5」の背景となったドレスデン町が爆撃されて、工場で働いていた女性が何千人も亡くなった。昨日戦争の話をしたんだけど、それは本当にどんなに恐ろしいものなのか、平和で暮らしている人間には理解できないだろう。
remember hiroshima
原爆が地面に衝撃した瞬間、激しい爆風が約1キロメートルの範囲の物音を掻き消してしまった。熱線や爆風により、10秒の間に12万人の命が奪われた。そして爆発後に残された奇妙な沈黙が数秒灰と共に空気を漂った。すると瓦礫の山から人々の泣き叫ぶ声、唸り、叫喚がだんだんた高まってくる。重傷を負った人が絶え間なく病院の前に集まると、生き延びた看護婦達が使い切れた包帯の代わりに新聞で傷を巻く。血に塗れた新聞が後で剥がされると、くっ付いた皮膚も身体から落ちた。放射や原子爆弾被爆に伴って生じる病症に因り、死亡者は一週間後2倍以上増えた。原爆投下からその一週間の間に、放射線病に罹った患者に吐血、禿頭病、失明等の症状が見え、長い苦痛の末亡くなった人は殆どだった。
真珠湾を忘れるな等と言う、自分の罪を無視しようとするアメリカ人、あの人達だけは許せない。抜き打ちに攻撃された真珠湾で米軍2403人と民間人68人が命を落としたことは正に悲惨なことだと思う。でも真珠湾での悲劇は、広島で起こった殺戮と比較にならない。警戒警報が解除された8月6日の朝、広島で死亡した135000人の半分以上は女性、子供や老人、罪なき民間人だった。そして9日にまた、長崎で64000人が亡くなった。放射線病で死亡した人を含めると、死亡者が米軍の死傷者の100倍を上回る。
今になると、原爆投下は戦争を終わらせる為に必要なかったことが瞭然である。それは、世界史の授業で出された期末論文を書くべく情報収集をしていた高校生の僕にも明らかだった。ミッドウェー海戦での逆転、硫黄島上陸作戦で日本軍が殆ど全滅されたし、戦闘力は戦争を長く続けるには過小だった。しかし、天皇陛下を仰視していた日本国の軍事顧問はどうしてもポツダム宣言が求めていた無条件降伏に服従することができなかった。更にそれがトルーマン大統領もよく分かっていた。でも米国の威勢を示す為には、無条件降伏をさせなくてはいけなかった。結局、原爆投下のもっとも大きな理由となったことは、アメリカ側に新しく発明された核兵器の恐るべき力をソ連に見せる政略だった。その為に、20万人を殺さなくてはならなかったというのだ。
とはいえ、原爆投下に賛成するアメリカ人が驚く程多い。尚更賛成派の殆どがキリスト教の人だ。入学するまでずっとキリスト教系の私立学校に通ってきた僕にどうしても理解できないのは、キリスト教の人の無慈悲さだ。キリストは人を殺してはいけないと説教した筈だが、何故かヨーロッパ史や宗教の授業のクラスメートが20万人の死で平気だった。
僕はあの頃、大抵クラスで話し合ったことに一切無関心だった。だからヒトラーの侵略に抵抗したポーランド軍の騎士が馬鹿にされていた時も口を挟まなかった。どうせクラスでの話しが高校生の児戯に過ぎなかった。でも原爆投下の話題が打ち出された時、その矛盾に呆れて、無口な僕が手を上げた。何故か知らないけど、その人達だけがどうしても許せない。20万人一人一人の辛い物語を聴くと、何故か心に抑えられない哀情が湧いてくる。
被爆者に会ったら、僕は何と言えばいいのだろう?確かに僕はポーランド系の人だ。僕、または僕の祖先はその悲劇と一切無関係である。でも僕はアメリカで育ててきた。原爆を落としたのは僕の国で、その殺戮を弁明しようとする人達が僕のクラスメートである。そんなことをどうやって説明するのだろう?被害者達がアメリカ人である僕を恨んでいるのだろう・・・恨んで当然だ。僕だったら決して許せはしない。
明日の為に色んな食料を用意しておいた。勿論勉強の為にもなるけど、何となく外に出かけたくない。
少年でいよう
今日アメリカで出会った日本人の友達Sさんと会いに行ってきた。アメリカで1年間、2学期に渡って彼女と会話練習をやっていて、大部仲良くなってきた。期末から一度も話さなかったけど、俺が上京した夜彼女に連絡した。実はこういう風に、友人一人も居ない東京だと思いつつ、何とその晩3人の知り合いとも話し合った。とはいえども、皆バイトか就職活動に忙しくて、これから会う機会は余りないので、予想した隠遁生活は続くだろう。
久しぶりに会って楽しかった。昼頃喫茶店で待ち合わせして、色々話をしてから予定通り東京タワーに行った。実を言うと俺はそういう観光名所が余り好きじゃないけど、Sさんが勧めたところの中、行ったことのない唯一の場所だったので神谷町へ移動。でもそこに着いたら二人ともお腹が空いていたことに気付いて、小さなお洒落な店に入って昼食を摂った。そこで話し合った必死にバイトをしている彼女と予算を気にしている俺。その末、入場料の高い東京タワーに行かないことにした。
予定変更。上野公園に行って、俺が久しぶりに俺の好きな撮影に耽っていた。今回のサブジェクトは、一年間半の日本訪問で親友が撮った不忍弁天堂。
あの頃から少し大人になった気がする。少なくとも俺に言えるのは、進歩してきた。時の流れと共に俺がちゃんと前へ進み続けてきた。歩んできた道を振り返って見ると人生というのはどんなに長いものか、改めて分かる気がする。立ち止まった日もあったけど、でもその時を越えてきた自分には自信がある。
アパートに戻ったら時計はもう既に6時を回していたので、今日は勉強から一休みをして、次の目的を決めようと思った。漢検の検定日をインターネットで調べて、次に受験できるのは10月23日だと分かった。今2級を対象に勉強しているけど、こんなに時間があったら準1級に挑戦してみようかなと思っている。少年の夢は大胆であるべきだ。18歳の俺には、少年という言葉が適するかどうかは微妙ながら、まだ充分若いから天辺を目指す権利があると思う。今すぐ決めなくてもいいから、今月は漢字の学習を一所懸命やって、もしいけそうだったら準1級を受験しよう。
いずれにせよ、大きな夢を持って先へ進むのだ。
繭
今日やっと入国管理局に電話をして、帰国せずに在留資格を取り替えることは可能だと確認した。東京で勉強を進めて、多くの金を遣わずに済むことで一安心。木曜日実際に入国管理局へ。後は今回のホームステイの支払いを片付けるだけだ。
勉強は予想したより時間がかかっているけど、このままではなんとかなりそうだ。この間J大のオープンキャンパスに行って、ずっと俺の質問に答えて、メールのやり取りをしてくれた先生に会って、直接に話をしてからプレースメントテストは日本語能力試験1級より易しいということが分かった。俺がテストを受けて、その結果を見てからまたその時法学部に入ることについて話をするということになっているらしい。というわけで、やっぱりこの2ヶ月とびっきり勉強するしかない。どうせテストに受かるかどうか、そういう問題じゃないから、安逸に陥るわけにはいかない。
