remember hiroshima
原爆が地面に衝撃した瞬間、激しい爆風が約1キロメートルの範囲の物音を掻き消してしまった。熱線や爆風により、10秒の間に12万人の命が奪われた。そして爆発後に残された奇妙な沈黙が数秒灰と共に空気を漂った。すると瓦礫の山から人々の泣き叫ぶ声、唸り、叫喚がだんだんた高まってくる。重傷を負った人が絶え間なく病院の前に集まると、生き延びた看護婦達が使い切れた包帯の代わりに新聞で傷を巻く。血に塗れた新聞が後で剥がされると、くっ付いた皮膚も身体から落ちた。放射や原子爆弾被爆に伴って生じる病症に因り、死亡者は一週間後2倍以上増えた。原爆投下からその一週間の間に、放射線病に罹った患者に吐血、禿頭病、失明等の症状が見え、長い苦痛の末亡くなった人は殆どだった。
真珠湾を忘れるな等と言う、自分の罪を無視しようとするアメリカ人、あの人達だけは許せない。抜き打ちに攻撃された真珠湾で米軍2403人と民間人68人が命を落としたことは正に悲惨なことだと思う。でも真珠湾での悲劇は、広島で起こった殺戮と比較にならない。警戒警報が解除された8月6日の朝、広島で死亡した135000人の半分以上は女性、子供や老人、罪なき民間人だった。そして9日にまた、長崎で64000人が亡くなった。放射線病で死亡した人を含めると、死亡者が米軍の死傷者の100倍を上回る。
今になると、原爆投下は戦争を終わらせる為に必要なかったことが瞭然である。それは、世界史の授業で出された期末論文を書くべく情報収集をしていた高校生の僕にも明らかだった。ミッドウェー海戦での逆転、硫黄島上陸作戦で日本軍が殆ど全滅されたし、戦闘力は戦争を長く続けるには過小だった。しかし、天皇陛下を仰視していた日本国の軍事顧問はどうしてもポツダム宣言が求めていた無条件降伏に服従することができなかった。更にそれがトルーマン大統領もよく分かっていた。でも米国の威勢を示す為には、無条件降伏をさせなくてはいけなかった。結局、原爆投下のもっとも大きな理由となったことは、アメリカ側に新しく発明された核兵器の恐るべき力をソ連に見せる政略だった。その為に、20万人を殺さなくてはならなかったというのだ。
とはいえ、原爆投下に賛成するアメリカ人が驚く程多い。尚更賛成派の殆どがキリスト教の人だ。入学するまでずっとキリスト教系の私立学校に通ってきた僕にどうしても理解できないのは、キリスト教の人の無慈悲さだ。キリストは人を殺してはいけないと説教した筈だが、何故かヨーロッパ史や宗教の授業のクラスメートが20万人の死で平気だった。
僕はあの頃、大抵クラスで話し合ったことに一切無関心だった。だからヒトラーの侵略に抵抗したポーランド軍の騎士が馬鹿にされていた時も口を挟まなかった。どうせクラスでの話しが高校生の児戯に過ぎなかった。でも原爆投下の話題が打ち出された時、その矛盾に呆れて、無口な僕が手を上げた。何故か知らないけど、その人達だけがどうしても許せない。20万人一人一人の辛い物語を聴くと、何故か心に抑えられない哀情が湧いてくる。
被爆者に会ったら、僕は何と言えばいいのだろう?確かに僕はポーランド系の人だ。僕、または僕の祖先はその悲劇と一切無関係である。でも僕はアメリカで育ててきた。原爆を落としたのは僕の国で、その殺戮を弁明しようとする人達が僕のクラスメートである。そんなことをどうやって説明するのだろう?被害者達がアメリカ人である僕を恨んでいるのだろう・・・恨んで当然だ。僕だったら決して許せはしない。
明日の為に色んな食料を用意しておいた。勿論勉強の為にもなるけど、何となく外に出かけたくない。