伊藤は文明法則史学を9年間学んで来ました。
文明法則史学とは人類の文明史すべてを研究対象とし、古今東西の歴史が示す盛衰パターンの共通性を明らかにしようとする歴史学です。
夜が明ければ朝が来る、月が満ち欠けを繰り返す、春夏秋冬の季節が巡る・・・というように、人類の文明史にも東西の文明の循環が見て取れます。
それはあたかもDNAの二重螺旋のように800年という周期で東西が互いに盛衰を繰り返しています。
言わば天地自然、宇宙の法則に従っているような文明サイクルの波に乗っかるような形で、ある程度人為的に起きる社会秩序の山もあります。
過去の歴史を文明法則史学から紐解くことが出来ますし、文明法則史学を使って将来予測を立てることも可能です。
9年前から文明法則史学の教えを受けている師匠の林英臣先生が9年前に予測されたことは、ほとんど狂いなく現実となってきました。
普段は日本や世界の歴史や動向を文明法則史学を活用し、観ているのですが、我がまち小平の歴史を文明法則史学から観てみます。
江戸幕府成立の少し前に小平を通り、青梅と江戸を繋ぐ青梅街道が整備されました。
1654年には水不足解消のために玉川上水が完成、更に翌年には玉川上水から分水した野火止用水が完成します。
1657年から小川村の開拓が始まり、小川用水も整備され、新田開発が行われたのが、現在の小平市に繋がっているとされています。
先人が希望を持って荒地に鍬を入れたこの時代は文明法則史学で観ると日本は織田信長から江戸時代に興った社会秩序の上り坂の時期にあたり、青年型の社会心理に覆われています。
勿論、開拓には大変な苦労があったことでしょうが、それを支える雄々しく活力溢れる社会心理の時代であったことは、大きな後押しとなったことと想像出来ます。
さて、現在、日本には社会秩序が興っておらず、戦後長い過渡期の時期にあります。
世界を見渡しても現存する唯一の社会秩序がある米国もその終焉を迎えようとしています。
また、現在が800年周期の文明転換期にあたることから、これから世界的な大混乱期に入っていきます。
小平市がこれから大混乱期を乗り越えていくには小平草創期以上の開拓者精神を持たなくてはなりません。
伊藤から言わせれば、小平市議会は保守と言われる勢力も、革新と呼ばれる勢力も皆、保守のように感じます。
それは大切なもの、失ってはならないものを守るという意味の保守ではなく、旧弊や体制を守ろうとする保守です。
伊藤はかつて荒地に最初の鍬を入れた人のように開拓者精神と勇氣をもって市政に取り組んで参ります。