ノーベル平和賞受賞のマララさんと憲法9条 | 世のため人のため~“メガホン侍” 伊藤央

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代議士秘書10年、山口県防府市議6年。現在は東京都小平市議(2期目)。地方から日本を改新し、世界を救うことを目的に活動中。日々街頭に立ち、思いと政策を訴える“メガホン侍”。


10日、今年のノーベル平和賞が発表されました。

パキスタンの17歳の学生、マララ・ユスフザイさんとインドの60歳の活動家カイラシュ・サティヤルティさん。

特に注目を集めているのが、マララさんですね。

朝日新聞デジタルでは

「1997年、パキスタン北部の山岳地帯で生まれる。2009年から、地域を支配する武装勢力タリバーンが女子教育を弾圧する様子をBBCのウルドゥー語のブログに掲載。大きな反響を呼んだ。12年10月、タリバーンに打たれ意識不明の重体に。だが、利国に搬送され一命をとりとめた。13年7月には国連で演説し、女性と子どもの教育の必要性を訴えた。」

と紹介されています。


一方で日本で密かな(?)盛り上がりがあったのが「憲法9条にノーベル平和賞を」と考え、活動された人たちです。

こちらは、受賞には至りませんでした。


ノーベル平和賞の価値というものが私には計りかねます。

特に「核なき世界」という理想を訴えたが、ちっとも行動が伴わないオバマ大統領を見ていると「ノーベル平和賞」って何?という気持ちにもなります。

そういう「ノーベル平和賞」に対する私の感情はおいといて、マララさんと「憲法9条にノーベル平和賞を」と訴えた人たちの違いは何でしょう。

どこに立って訴えているかの違いは一目瞭然です。

マララさんにとっては現状を打破する先、社会を変えた先が「平和」なのでしょう。

「平和」の前提がはっきりしているし、イメージが具体的です。

これに対し、「憲法9条に・・・」の捉える「平和」はいかにも観念的だと感じます。

「平和」とは「戦争、内乱の無い状態」と言えます。

そして、その状態を作り上げているのは、外交交渉能力であり、軍事力もその中に含まれます。

国内の治安という意味では、警察力など公権力も大きな役割を果たしています。

それらを無視し「9条で平和が守られている」と考えるのは、現実感が感じられません。


平和を希求することは否定しませんし、私もその一人です。

しかし、観念的に捉えていたのでは真の平和の実現は出来ません。



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