僕は斉藤和義さんの曲「歩いて帰ろう」が好きです。

多分、多くの音楽好きと同じ様に

僕もこの曲で初めて斉藤さんの存在を知りました。

そのメロディーや歌声も、勿論、好きなのですが、

斉藤さんが歌う世界観に僕は魅力を感じます。

なんとも、のどかで、平和で、

時間がゆっくり流れていて・・・
斉藤さんの風貌も、いい味だしてますよね?

いかにも「人畜無害」って感じで(´∀`)

勝手な妄想ですが、
斉藤さんが車で信号待ちしてる時に

オカマほられても(後ろから衝突されても)
「あれ?なんか、ぶつかったな・・・」
みたいに、のんきな事、言ってそうで(´∀`)

とにかく、僕はそんな理由で

斉藤和義さんの曲「歩いて帰ろう」が好きです。


僕は斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」が好きです。

何が好きって、やっぱり、その歌詞が好き。

『ずっと言えなかった言葉がある 

短いから聞いておくれ 「あいしてる」』


スゴイですね!天才的ですね!
目一杯、盛り上げておいて「あいしてる」とだけいうのは

ある意味ズルイとも感じます。

ちなみに、僕はこんな経験をした事があります。
短いから聞いてください(^∀^)

ある日、僕は私用があって駅の近くを歩いていました。
その駅は大した駅ではありませんが、
時々、ストリートミュージシャンが

歌を歌っている事がありました。
その日も大学生ぐらいの男の子がギターを弾きながら

歌を歌っていました。

そのタイトルは「歌うたいのバラッド

僕は大好きな曲が歌われるのを聞いて、
自分も「鼻歌程度」に歌いながら歩いていました。
そして、僕がある角を曲がった時に

曲はクライマックスを迎えました。

その角の先には若い女の子が

こっちに向かって歩いていました。
そして、お互いに目が合いました。
この時、面白い偶然が僕と彼女の間に起きました。


僕は先に書いたように鼻歌を歌っていたのですが、
どうやら目が合った彼女も、

僕と同じ様に曲を口ずさんでいたようです。


そして、互いに目が合った瞬間に口にした歌詞は、
あいしてる

「だから、何?」って訊かれたら別に何もありません。
でも、この偶然は、もう随分と昔に起きた事ですが、
「ちょっぴり楽しかった出来事」として、僕の心に残っています。

いままで、「言葉」を色んなモノに例えてきましたが、
今回は「地図」に例えて

話を進めていきたいと思います。

「言葉」は「地図」に似ています。

「地図」は、初めての場所へ訪れるときや、
自分がどっちに向かって進めばいいのか

分からなくなった時に役立ちます。

「言葉」も同じです。

自分が初めて何かをする時、人生に迷ってしまった時、

やはり「言葉」は便利です。

しかし、「地図」は必ずしも正しくありません。
まして、「古い地図」などあてになりません。

「古い地図」を見ながら例えば「コンビニ」を探しても、
以前あった場所には

もう「コンビニ」は無いかもしれませんし、
以前なかった場所に新しい「コンビニ」が出来てるかも

しれません。

「地図」を鵜呑みにする人は

自分の目で「コンビニ」らしき建物を遠目に見つけても、
「地図に載っていないから、あれは違う」といって
「自分の目」を信じないかもしれません。

「言葉」を鵜呑みにする人も同じです。
直感的に「何か、おかしい」そう感じているのに
「言葉」の方を信用してしまい「自分の心」を疑ってしまう。
冷静に考えれば滅茶苦茶な話です。
(勿論、自分の「直感」を信用できるモノにするには

ある程度、人生の過ごし方に「工夫」が必要ですが、
それについては、また別の記事に書こうと思います)

「地図」も「言葉」も信用しすぎてはいけません。
まず、現実がどうなのか
それを「自分の目」で見て「自分の耳」で聞き

「自分の心」で感じる事の方が、ずっと大切です。

そして、ここからは少し踏み込んだ話になります。
不快に思う人も、いるかもしれません。

世の中は「古い言葉」だらけです。
時代と共に「地図」が変わるように、

「言葉」も変わるべきだと僕は思います。

例えば「過去の偉大な人物の言葉」を

現代においても「そのままの形で信じる人」が多くいますが、
僕は少し違う気がします。
(勿論、今でも「そのままの形で通用する偉大な言葉」は

数多く存在しますが)

仮に、その「偉大な人物」が現代に蘇れば

こう言う気がします。

「いやいや、違いますよ、皆さん!!
僕は、その当時の人間に合わせて、この言葉を残したんです。
現代においてなら、もっと違う言葉を残しますよ!!
そんな古い言葉、いつまでも

ありがたがらないで下さい!!」って。

そして、その人物が本当に偉大であるのなら
「自らの古い言葉」を訂正し「より時代に合った新しい言葉」を

提案してくれる様に僕は思います。
(もう一度あえて書きますが、「古い言葉」が

全て「時代遅れの言葉」と言っているのではありません)

僕は「言葉」は「地図」に似ていると思います。

人は「何が事実か」よりも

「どうやって自分自身を納得させるか」を優先する。


これは以前やっていたブログに書いた

記事の中の一文ですが

今回、これについて少し掘り下げたいと思います。
(ようするに、前回の続きです)

人が生きる上で守るべきモノは沢山あります。
その全てを守れるなら、それが理想なのですが

実際はそうもいきません。
だとしたら、人はまず何を守ろうとするでしょう?

何が一番かを言い切ってしまうのは

問題があるのかもしれませんが、
普通の人にとって(勿論、僕にとっても)

まず、守るべきモノは「自分の心」でしょう。

誰しも傷つきたくないはずです。

誰しも人生に絶望したくはありません。
だから、「夢は願えば必ず叶う」と思うのでしょう。
「神様は乗り越えられない障害を、

その人に与えたりしない」と思うのでしょう。

でも、僕はそれらを嘘だと思います。
「自分の心」を守る為、「自分自身を納得させる」為、

「何が真実か」を見ようとしてない様に思います。
そんな事を言う僕は「人でなし」でしょうか?

僕なら「夢を追いかけている人」に、こう言います。
「夢は叶うかどうか、が大切なんじゃない。

夢に向かって努力する事自体が大切なんだ」と、
「そうなれる、と信じる気持ちが

自分の力を最大限に引き出してくれるんだ」と、
「何かに向かって一生懸命努力した事は

後の人生を豊かにしてくれる」と。

嘘っぽいですか?
屁理屈に聞こえますか?
でも、僕は本気でそう思っています。

僕にとって世の中は、

あまりにも単純な言葉で表現されすぎです。
「夢は願えば必ず叶う」という言葉は

気持ちいいですが正しくないと感じます。
分かりやすいですが現実離れしてると感じます。

人にとって一番大切なモノが「自分の心」であるなら、
それを守る為に「言葉」を使う事は、

良い事だと思います。
しかし、

「分かりやすいが現実離れしてる言葉」で心を守れば

いつか、その矛盾に気付き傷付きます。
色んなトラブルを起こす可能性もあります。
だから、もっと、ちゃんとした「言葉」で

「自分の心」を守るべきだと思います。
なぜなら、
「本当に正しい言葉は人を絶望させたりしない」と、

僕は思うからです。


以前にも書きましたが、僕にとって言葉は「フィクション」です。
それは、少し表現を代えれば

「エンターテインメント」とも言えます。

つまり、「言葉」は人を笑わせたり泣かせたり喜ばせたり

怒らせたりする「手段」としての一面を持っています。
だから、人は言葉に魅了されます。
だから、その内容を深く吟味せず、

ただ「気持ちいい言葉」を

受け入れてしまう傾向があります。

「夢は願えば必ず叶う」
どう考えても嘘です。
仮に、それが本当なら、

日本は医者やスポーツ選手や芸能人だらけです。
「叶わないのは、願う気持ちが足りないからだ」
これも嘘です。

人間は生まれ持った才能に大きな差があります。
例えば、170cmしか身長が無い男が

NBAでセンター(通常2m以上の選手がするポジション)に
なれる事は絶対にありません。
(身長に限らず生まれ持った

才能の差は実は小さくありません)

この辺りは冷静な大人なら鵜呑みにはしませんが、
こういう「気持ちいいが現実離れした言葉」は

世の中にいくらでもあります。

それが色んな判断を狂わせます。

「神様は乗り越えられない障害を

その人に与えたりしない」

「あなたを必要としている人は必ずいる」

これらの言葉は本当でしょうか?

一つだけ、言い切れる事があります。
「それについて真剣に考えた事が無ければ、

答える事は出来ない」という事です。

自分自身にとって都合のいい言葉、気持ちいい言葉を
ただ受け入れる事は本当は危険な事です。
(とはいえ、何事も自分で考えた上で

決める事など不可能ですが)

もう一度、言います。
「言葉」は「エンターテインメント」としての一面を持っています。
だから、人は言葉に魅了されます。
だから、その内容を深く吟味せず、ただ

「気持ちいい言葉」を受け入れてしまう傾向があります。

でも、「気持ちいい言葉」が「正しい言葉」とは限りません。
「正しい言葉」は、むしろ、あなたにとって

「不快な言葉」かもしれません。

今回は言葉の危険性について書いてみました。