いきなりヘビーなテーマですが

「僕が幸せになって欲しい人」について。


僕は正直言って

世の中の全ての人に幸せになって欲しい

とは思ってません。


僕が幸せになって欲しいの人は

僕にとって大切な人や僕から見て魅力的な人

だけです。

と言っても、勿論、そうじゃない人に

「地獄へ落ちろ」とは思ってません。


そうじゃない人(大切でも魅力的でもない人)

に対する正直な感情は

「幸せになろうと、不幸せになろうと興味が無い」

といった所です。


「最低ですか?」


「最低です!」


昔、流行った新興宗教

(「最高ですか?」「最高です!」)じゃないけど

僕の事を「最低」と感じた人もいるでしょうね。

でも、最後まで僕の話を聞いてください。



まず、そうは言っていますが、

僕は自分が「アンフェア」だと感じる事は絶対しません。

例えば、僕は「ひいき」をしません。


世の中というのは現実には「ひいき」だらけです。

自分にとって都合がイイ人間に

社会的地位を与えたり、

都合が悪い人間を困らせたりする人は

決して珍しくありません。


僕はそういう事はしません。

僕はどんなに嫌いな人にも

ワザワザその人が困る様な事はしません。

でも、その人を助けたりもしません。


何をもって「アンフェア」「ひいき」とするかは

人それぞれでしょうから

僕が書いてる内容を

「アンフェア」「ひいき」とする人もいるでしょう。

でも、少なくとも僕はそう思ってないし

自分がそう感じる事はしてこなかったし

これからもしません。


僕のこの考え方に対して

何故、「世界中の全ての人が幸せになればいい」と

思えないんだ、と感じる人もいるかもしれません。


でも、僕から見ればその考え方は「机上の空論」です。

現実的だとは全く思えません。

そんな事を本気で思ってる人は

物事をちゃんと考えずにイメージだけで

生きてる人間だと僕は思います。

(その理由については今後キチンと記事にしていくつもりです)


僕は僕自身の事を「最低」だなんて全く思ってません。

ただ、皆さんより「現実的なだけ」だと思ってます。

皆さんより

「物事について真剣に考えてるだけ」だと思ってます。


皆さんは僕のこの考え方どう感じましたか?


やっぱり「最低ですか?」

自分で言うのも何ですが

僕ってチョット変わってるんですよね。


僕から見れば、

僕だけ正常で僕以外の人が変わってるんですけど・・・

ま、とにかく人と考え方が違う。


僕はアメーバでブログを始める前に

yahooでブログをやっていたんですが

そういう部分を一切隠さず書いてた

少しブログが荒れたんですよね。


だから、アメブロでは個性的な部分は

とりあえず控えめにしてました。


でも、そろそろ

書いていこうかな、と思い始めてます。


で、「ガンガンいこうぜ!」


今までは、いわば

攻撃的な呪文(言葉)を一切使わない

「じゅもんつかうな」だったんだけど

「攻め」に転じてみようかな、と。

(ドラクエ知らない人にはチンプンカンプンですね)

自分の持ってる攻撃的な呪文(言葉)を

全て使って、敵(常識?)をぶった切ってやろうかな、と。


で、ですね、yahooの時は

淡々と厳しい事を書いて失敗した感があるので

今回はあえて馬鹿っぽく軽い感じで

書いてみようと思ってます。


とにかく作戦を少し変えてみます。

「じゅもんつかうな」から「ガンガンいこうぜ!」へ。


人間だれしも考える時間、

そして、考える事に対して使えるエネルギーが

限られています。


だから、世間一般的に正しいとされている言葉について

「それが本当に正しいのか?」と

(自分なりの方法論で)確認する作業を

ほとんどしません。


「夢は願えば必ず叶う」という言葉の真偽

について考える暇があれば、

もっと自分にとって身近な事柄(友人や恋人、仕事など)

について考えようとします。


これは仕方の無い事です。

自分に与えられた時間やエネルギーに

限りがあるのですから、優先順位の低い事柄について

いちいち考えないのは当然です。


しかし、確認する作業をしていないのですから

それを鵜呑みにするのは間違ってるはずです。



ようするに僕は言いたいのは、こういう事です。


世の中には沢山の言葉があります。

そして、その言葉の中には気持ちいいだけで

正しくない言葉も実は多く含まれています。

しかし、それらの真偽を全て調べるのは

現実的ではありません。

(といっても、その言葉の真偽が、自分にとって

重要な場合はキチンと真偽について考える必要が

あるとは思います)


だから、正しくない言葉が含まれている事を分かった上で

言葉をうまく利用するべきだと僕は思います。


例えば、漫才を観て人は笑います。

感動的なドラマを観て人は泣きます。

しかし、これらは言うまでも無く

人の心を動かす為に創られたフィクションです。

つまり嘘です。

皆、それを分かった上で楽しんでいます。


世の中にある言葉も同じ様なモノだと理解すべきだと

僕は思います。


ある言葉(特に歌詞やセリフなど)に感動したからといって

その言葉の真偽を確認せずに

ただ鵜呑みにするのは

現実とフィクションの区別がつかない人間と

言われても仕方が無いように僕は思います。



僕が今回書いた事を「何、当たり前の事を書いてんだよ」と

感じる人もいるかもしれません。

でも、現実的には多くの人が

これらの区別を正しく出来ていないように僕は思います。


人と言葉の正しい関係性について

今回は書いてみました。






最近、自分の中で疑問に思うようになった事を

少し書いてみようと思います。



日本人の「良い人像」、「良い社会像」って

今のままで良いのでしょうか?


と言うのは古くからある日本人の美徳として

「自己主張をしない」とか「他人の事を批判しない」等

がありますが、

もう、この考え方じゃ社会が成立しなく

なってきてないでしょうか?


昔の日本は本音と建前の二重構造で複雑でしたが

それでも多分ほとんどの日本人が同じ価値観を

共有出来ていたと思います。


だから、特に自己主張をしなくても問題無かったし、

むしろ、そうしない方がスムーズに事がすすんだ。


でも、今はどうなのでしょうか?

その日本人の美徳をもったまま

社会を正常に保ち続ける事が本当に可能なのでしょうか?


例えば、モンスターペアレントやクレーマー、

ひいては、学級崩壊や引きこもりでさえも、

日本人の美徳とされた「自己主張をしない」

「他人の事を批判しない」社会構造から

生まれている気がするのですが・・・。


だから、今の僕は


「良識ある大人」と自覚する者ならば、

キチンと自己主張すべき、他人の事を批判すべき


と思うようになりました。


勿論、そんな事をしなくても

昔のように皆が同じ価値観を共有できているのなら

その方が良いと思っていますが、

現実は、文字通り「十人十色」で

人として、最低限、共有できていなければいけない部分すら、

持っていない人が沢山いるように感じます。


「考え方は人それぞれだから」

「どんな価値観も否定されるべきではない」

と、もっともらしい言葉を並べる人達は

逃げてるだけじゃないでしょうか?


本当に社会全体の事を思うのなら

少々損をしても「自分が何を正しいと思うか」を

自己主張すべきだと思うし、

それが大人としての責任じゃないでしょうか?


皆さんはどう思われますか?





僕は色んな事柄について

言葉を使って分析するのが好きです。

そして、それを繰り返す事によって

自分の頭の中が整理されていく事に大きな喜びを感じます。


でも、一方で

僕は「言葉」をあまり信用してません。

以前にも書いた様に

「言葉」はあくまで「よく出来たニセモノ」だと思っています。

所詮、「エンターテインメント」だとも思っています。


だから、何かに迷った時、

僕は必ず自分の直感を頼りに判断します。


「さんざん理屈をこねて、最終的に直感で判断するの?」

と僕のやり方に疑問を持つ人もいるのかもしれません


「最終的に直感で判断するのなら、物事を分析する事

(ようするに、このブログに書いてる様な事)は

何の意味も無いんじゃないの?」

と思う人もいるのかもしれません。


でも、そうじゃありません。



人の直感がどの程度アテになるかは

かなりの個人差があります。

そして、その個人差は

その人が持っている情報の質やバランスによって

生まれるのだと僕は思っています。


つまり、自分の直感をアテにしたければ

質の高い情報をバランスよく持つ必要がある

と僕は思ってます。


そういう意味で、僕が色んな事柄について分析する事は

最終的に判断する直感を

よりアテに出来るモノにする上で

非常に大きな役割を果たしています。

(より具体的な話は、またの機会に書こうと思います)


最後に少しだけまとめます。


僕は何かに迷った時、自分の直感を頼りに判断するのですが、

その直感をよりアテになるモノにする為に、

(より質の高い情報をバランスよく持つ為に)

色んな事柄について分析しています。


今回は直感に対する僕の考え方について

少しだけ書いてみました。