*胃無のぜんじろう*百歳を目指して*

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*一期一会*ご縁を大切に*人生を楽しみましょう*

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時節の流れは急流だ。79歳に為り年々流れが早まり、竿挿して止めたい気分になる。しかしこればかりは、不可能だ。

だから、より、充実な生き方、暮らしを心がけねばと強く願うのだが?日々の優先順位を決めねばなるまい。老年はゆったりとした過ごし方が理想と想っていたが、自分には出来ない様だ。ライフワークの朗読がしたい。今年は公演、佐倉惣五郎(地蔵堂夜話物語)~船橋湊温泉のみで終わったが来年は源平物を追加し大いに羽ばたこうと意気込んでいる。だから健康管理がすべてに優先だ。~以上

文部省が国際派を広める施策と称し小学校から英語教育に走り始めたが、現在の子供達は正しい会話で話す事も出来ず、手紙や作文もしかり。日本語すら危ういのに外来語教育とは?政府や教育者達は何を考えているのか気が知れない?義務教育の中で正しい日本語をマスターの後で、遅くない筈だ。此の儘では虻蜂取らずになってしまい、美しい日本語を綺麗に話せず、何とも恥ずかしい日本人になってしまうと大変危惧するのだが。それに、国語教師が正しい日本語の発音、発声等、教える機会も無い現状は嘆かわしい限りだ。国語担当者が文章の朗読も勉強していない、興味すら無いようだ。こんな有様では教養有る日本人が生まれる筈はない。今や活字離れ時代と云う世の中なのに、美しい日本語よ、どこえ行く?

*2011年。3月11日*14;3~40分に起きた東日本大震災。関東地方でも大きく揺れた。其の日、東京駅に映し出されたTVを見て驚いた、東北地方の各海岸(太平洋側)を大津波が家や車や建物を次々に襲っていたのだ。そして、後日に福島原発が水素爆発した。半径30キロ圏内の市、町村に、セシューム等の放射能が散り、地域の人々や環境が未曾有の被害に見舞われたのは、記憶に新しい事だ。以来8年後の今も、避難者たちは地元へも帰れずに、又其の汚染水や土壌等の処理策すら出来ないのだ。国を挙げての復興中と云うが何をどう復興しても、被害の何%が可能なのか?誰も解らないのだ。国も東電も想定外の災害と表明だが?原 発は絶対安全を詠って、誘致した事実から、これは、正しく人災であるのだ。旧ソ連のチェルノブイリ事故、を教訓ともせず、繰り返した責任は誰がどう、取れると云うのか?広島、長崎の被爆者達も未だ毎年、死去者が出ている現実を見よ。(75年後でも)だから、原発問題は100年~?00年、人智では制御、が不可能なのだ。にも関わらず全国各地に多数の原発が稼働している現実。近代化生活や金儲けの犠牲(前代未聞の大公害)である。人間が起承転結、不可能なのに、この国は、危険極まりない事が福島で証明されたにも関わらず、無責任、無謀にも原発を全廃しないのだ。速やかに全廃して、無公害な、自然エネルギーに切り替えて安全、安心生活を獲得しよう。廃炉や、処分費用を不足電力予算に組み込めば可能と思う。そして、近道の筈だ。全国の友よ、今からでも、遅くない。。。*人類の、~いや、地球の破滅すら脅かされる、最も悪魔の公害(、原子核の廃止、廃絶を)訴えよう、唯一の被爆国民として。。日本人が立ち上がらず誰がやる。。。。?取り返しの、つかない事が起きない中に*、

 

所得税、を初め、相続税、固定資産税、酒税、たばこ税、自動車税、ガソリン税、消費税、(10月10%に)=人間の生命の根源を支える、源~食材に迄、一割の税を掛ける国

、日本?其処までやらねば、やって行けないのか?此の分では、其のうち、医療現場や葬儀場まで、(生、死)関係に迄、其の食指を伸ばすのではないかと、甚だ恐ろしくなるのだが?その他、あらゆる物品税、数えたら、限度無しだ。全部合計では所得の何%になっているのか?何方か全容を調べて下さい。アメリカや西欧諸国等は国会議員数は200人位と我が国の半分だと云うのに、全く、改革無しだ。どの国よりも真面目に、勤勉な日本人が懸命に働いた汗の結晶から、有無を言わさずに、優先的に税金が取り上げられた挙句、老後生活に、年金不足で2000万円以上持たないと、高齢生活不可と云う。年寄りに、もっと稼げと云う。吾等が若くから働き、定年退職まで、払った税金が国を支えてきたが、その合計額?を計算すればとてつもない金額の筈だ。吾等は税金の為に生まれたのか、まるで、打ち出の木つ”ち、なのか?、この様な国に生まれて来る子供達は、幸せな人生が送れるのか甚だ不安だ。少子化時代と言われて久しいが、若者の結婚離れの一因では?と。。。。勤労者の賃金も上がらず、経済成長も見込めない今日(国の負債も増えるばかり)、日本国の救世主(真の政治家)が求められる時である。昔から日本人は、永いものには巻かれろ的な思想が有り、お上の方針には声を挙げない民族のようだ、従って政府諸子には、御し易く、多寡をくくられていると思うのだが、?皆様は?。。。。。?最初の5%時でも社会保障費や医療費、が不足するので、との理由付け、そして8%も同じ理屈で又又、それの繰り返しで一割にすると云う。国民は忘れたのか?忘れて居ない筈だが?軽減税率、等ややこしい、政策で国民を翻弄するのも程がある、皆、仕方なく黙認の体だ。反対意見は無いのか、全く、不思議である。国民は何時になっても困窮や心配、不安から逃れられないのだ。

昭和16年12月8日、日本が真珠湾先制攻撃により、太平洋戦争に突入。時代は将に富国強兵、軍国主義が国民を巻き込んで対欧米の全面戦争となり、衣、食、住、の欠乏が始まる。陸、海、空、各軍の将兵達は中国を初め東南アジアの多方面、前線へと配属され、激戦を繰り広げたが全てに措いて物量欠如、科学兵器、情報不足、の大差も加わり日々戦況の悪化は火を見るより明らかが実情で、大本営(作戦本部)発表は国民に正反対で各戦況は最悪状態。食糧、武器もなく情報も無い、ジャングル内を転戦命令のもと敵を求めて、悲惨な戦いを強いられた将兵達。無防備な地元民を略奪、強姦、銃を向け、生きる為にへび、ねずみ、草類、食べられる物は手当たり次第に。遂には飢え死にという末路、~海軍、空軍共、18年~19年過ぎには戦況の悪化で学童疎開が始まりそれぞれ、最寄りの田舎へ一時避難、を余儀なくされたのだ。全ての戦場で連戦連敗、の日本軍は船も飛行機も数えるのみ又、兵員不足で大学生(学徒動員)で若者達が皆、戦地に送られた。一方銃後の国内では東京初め主要都市の殆どがB29の爆撃でやられ死傷者何百万人、尚、東京大空襲の姿は、(東京が燃えた日ー戦争を語り継ぐ~早乙女勝元氏著書)参照して下さい。そして沖縄への唯一上陸戦となり、、対して、片道特攻作戦(牛島中将)命令下、20歳前の若者たちが散っていった。それでも、まだ、本土決戦一億総玉砕、徹底抗戦の構えに、遂に20年8:6日。9日、の原子爆弾投下に繋がってしまった。~*8:15日(終戦)一週間前、ソ連参戦(不可侵条約違反)で千島、樺太に侵入し結果4島取り上げ、大陸でも日本統治の満州に攻め込み軍人、開拓日本人達を捕虜にし殆どをシベリア送りにしたのだ。、卑怯の極極まりで許せない暴挙である。一方、全て焼き尽くされた焦土に生き残った人達は死すも地獄、生きるも地獄の底を這いずっりながら食糧を求めて一日一日が飢えとの戦い、やっと生き延びた吾等世代。戦後、新制教育に変わり旧教科書使用は不都合部分に墨で塗りつぶし、通学時のカバンも無く、雨、雪でも靴、傘、無し、着物も継接ぎだらけ、給食無く麦飯に梅干し一つ、入れば良い方だ。農家以外の友達は薩摩芋一個も持てない人も多く居たのだ。(S23~24年)頃、ノートも無く石板にチョークで裏表に書き取り、風呂敷や頭陀袋に入れて帰ると文字は半分消えていた。風邪、腹痛、怪我(赤チン、トンプク、等)しか無かった。70有余年の今は記憶の片隅しか伝えられず残念だ。兎に角、地獄を見ながらも運良く生き残った吾等は、多くの戦争犠牲者の御霊に対して心より御冥福を祈り、又、体を痛め産みの苦しみ、御苦労して育てた戦争遺児達の、お母様方の心情は、察するに余りあり、お慰めの言葉すら見つかりません。多くの彼等、皆様の無念な御意志を、常に慮り、御蔭で取り戻しせた平和に感謝し、決して無駄にせぬよう、堅く誓おう。、

 

 

 

筆者(作者)が書いた文章(物語)を作者が何を表現し、何を伝えたいかを読み手が把握し、イメージし、読み手の個性を通して素直にお客様へお伝えする。巧くゆけば三位一体となれて共感が出来、喜びも楽しさも倍加となる。お客様の聴覚が集中され意識とも語りの中に吸い込まれてゆくのだ。静寂な空気が張り詰めて異次元の世界となれる。語り手の声だけが響き、息使いのリズムも客と調合されてくるのだ。朗読席の理想である。しかし都会の中、会場の環境が整わず騒音で、なかなか難しい事だ、~私が山寺の会場(群馬県水上町〰泰寧寺)で、夏の夕方、本堂に300余人のお客様が、まるで水を打ったような静けさの中で羅生門(芥川龍之介)を聞いて頂きました。又視覚障害学校(文京区〰筑波大学、特別支援学校)先生3名と生徒達15,6名にトロッコ(芥川)サンショウウオ(井伏鱒二)でも針が落ちた音でも分かるほどの張り詰めた静けさの教室で、最後まで耳を傾けて頂きました。どちらの会場も騒音無の環境が幸いし、理想郷の実現出来た事が思い出され懐かしく忘れられない、素敵な記憶である・~後日,生徒さん達各人から感想文、お礼の御手紙(点字文~翻訳付)を頂き宝物になりました。又、朗読のお客様は、期待を寄せて下さっているので、その姿勢が素晴らしく大変に有難いのだ。演題の作品を一緒に味わい、一緒に創る協力者でもあり、最高に楽しく幸せの瞬間である。*文字、言葉、文章、物語(短歌=和歌、俳句、詩、含む)音=(声)~読む、= 語る、。*想像する面白さ=作者の人となり(語り手も含め)~作品内容の筋書き、~人物の生い立ちや、性各その他諸々~御客様各人のイメージで楽しんで下さい。~自分での目読は時間等の都合で文章の筋書きを追いかける事に終わりがちで、中々味わう処までは行けない。他人の読む(語り)は冷静に客観視出来るメリットがある。又、同じ演題でも読み手が変われば味も変わるのも、面白く、楽しい事だ。

 

二葉百合子~美空ひばり~三波春夫~吉幾三~佐田まさし~中島みゆき~取敢えず、このくらいかな?

さあ、此の人たちの素晴らしい歌の感想をしてみよう。~二葉さんの歌は感情が揺さぶられ心に浸透して何時までも残る。ひばりちゃんの歌も同様、三波さんもそうだ。三人は日本人の心に時代を超えて残る事だろう。後の三人は皆シンガソングライターで人間性が滲み出て天才アーチストだ。彼等は未だ若く将来が大いに期待できて楽しみである。がんばれ~奄美大島の民謡歌手?弾き語りをラジオで聞いた。牧岡奈美さんだ。初めて聞いたが、眼から、鱗の大感動、楽器の音色、歌の情感は心が痺れた。奄美へ行きたい。~9月一日~三日のおわら風の盆の胡弓音色、と錆のきいた、歌声、そして男女の踊りは、日本の古き時代からの情感が滲み出ていて、魂が揺さぶられ、心が溶け込んでしまうのだ。我が国文化の宝で有り、大変喜ばしい事だ。八尾市の現地に行き生を味わいたいが、なかなか行けないので残念だ。*作者~山本周五郎~長谷川伸~司馬遼太郎~池波正太郎~藤沢周平~芥川龍之介~井伏鱒二~シェークスピア~ゴーリキー~チェーホフ*等*(詩人。和歌。俳句を含む)宮沢賢治~高村光太郎~島崎藤村~金子みすず~万葉集~西行法師~鴨長明~良寛~一休。若山牧水~松尾芭蕉~山頭火~小林一茶等。崇拝者~弘法大師空海~佐倉惣五郎~杉木茂左衛門~田中正造~杉原千畝.等~*画家~北斎*東山魁夷*ゴッホ*モネ*等~素晴らしい先人たちよ、~良きご指針を下さり、本当に有難う御座います。此等の真のアーチスト達からは生きる元気、勇気と希望が頂けて本当に感謝している。。。。。。。~

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吾等が今日生きている事が奇跡である。太古から生き抜いたDNAが、永い歴史の荒波を乗り越えて、吾等の命の元になっているのだからだ。もし途中で一度でも戦いの犠牲や災害等に遭遇したならば、今日此処に存在していないのだ。一度でも~歴史の中へ飲みこまれていたら今、吾等は、この世に、有りえないのだ。人類は太古より、戦いの繰り返しのなかで淘汰され、幸運な人間だけが今日を生き延びている。

それは世界中のあらゆる人種に措いても同様だ。近くでは、先の戦争の犠牲者、何百万人は世界各地に遺骨を残して、祖国え帰れない。今や遺族たちは墓参すら出来ない有様だ。やってはいけない戦争の為に、希望ある命が、夢のある人生が、断たれた人達の無念さを思うと、何とも言い難い、気の毒な、やるせなさに、胸が痛む。銃後の吾等も、あらゆる困難に逢いながらも、辛うじて生き延びて来たが、その吾等、、国民も戦争犠牲者である。家族や縁者達を亡くして、衣、食、住、を奪われ皆、一日、一日を生きるのに、精一杯、まるで、生き地獄の生活が3~4年つつ”いた。この思いは、体験者のみが味わった苦い、悪夢である。2019年、74回目の終戦記念日が来たが、戦争の後始末はまだまだだ。吾等生き伸びた者の(奇跡の命)を大切に、恒久平和を願い、核兵器廃絶を世界中に訴えねばならない。地球上、唯一の被爆国なのだから、この日本がやらねば誰がやる。?。。。犠牲者、(慰霊の御霊)に安らかにお眠り戴く為に。。。。。。。*

 

                 

 

 

私には故郷が三か所も有るのだ。故郷を離れ幾年月、齢を重ねるごとに、懐かしさが増す,あのときの風景、S21年6、2歳時に母逝去す。4歳の妹とお通夜に御棺の前で恐る恐る寝たり、葬式の一切を昨日の如く、母の死は強烈な記憶だ。そして小1の春、遊びの帰りクラスの女子の母子が用水池で溺れ、祖父に急報して助けた事等が走馬灯のようだ。時代は終戦直後、まだ戦前教育の影を強く引きずって(男尊女卑)男の子がガキ大将で大威張りが許されていた。食糧もアメリカさんから、援助されたり日々の生活が出来る様になっていた。1952~3年(小5年生)で関東耶馬渓と言われた吾妻渓谷へ秋の展覧会用の写生に父と行き、日本一短いトンネル(5~6m)を中心に紅葉盛りを描いてきた。其処はシーズン中、渓谷美の観光客で毎年人気の場所であった。その頃その渓谷にダム建設の話が伝わった。以来50年余後、遂に渓谷が破壊され、付近の川原湯温泉もJR吾妻線も対岸に移転を強いられ、八ツ場ダムが完成されたのだ。その間の永い時間、地元民の抵抗運動も何の効力無く,国の力で押し切られてしまったのだ。戦後の民主主義時代に考えられない暴挙と,昔を知る吾ら地元民としては、変わり果てた現風景は何とも言い難い残念な、取り返しの付かない情けなさに襲われるのだ。故郷は遠くに有て思うもの、(誰だったか)時代の流れは、吾ら心の故郷まで破壊したのだ。全国的でも各地、同様な問題、特に沖縄新基地埋め立問題、しかり、強大な政治力には民の声は抗うことが出来ないのか?本来の民主主義とは?真剣に考える時ではないのか。*民主主義とは~(三省堂国語辞典)~人間が主権を持ち人民の意志を基にして政治を行う主義(デモクラシー)~どんな事でも一人ひとりの意見を平等に尊重しながら、皆で相談して決め誰もが納得する様にする様子。~父の49日の天気の良い日に、私は田舎の畑に綺麗な、苔を見つけて東京の家に持ち帰った。14年を経た今も緑が美しく輝いて、観る度に故郷のシンボルになって呉れている。とても安らげる一時だ、大事に育てよう。榛名町は榛名山の南面麓の、綺麗な烏川の流れ(中流)にある、古くは鷹留城(武田信玄方に落とされた箕輪城の親城)城下町、又、対岸の里見町は(八犬伝の里見氏発祥の地)であり信州街道が川の両岸を貫き、高崎市へ通じている。私は、その町で4年間世話になったのだ。老舗の呉服店で丁稚小僧として、夜間高校(定時制)に通わせて頂き、昼は呉服の行商、でやっとの思いで卒業出来た。そこで彼女も出来それが今、妻になってくれ、早、55年過ぎた。苦学のお陰である。~18歳の春、希望を抱いて愈々、憧れの生まれ故郷、東京へでも2歳で父の実家へ疎開したので、生地の記憶は無い。~叔父の伝手で旧丸ビル内の商社へ入社が決まり、毬栗頭の新入社員になれた。しかし日々の勤務に飽き足らず、三年余で辞め、演劇に興味をもち(標準語を、マスターの目的も有り)昼はアルバイト夜は劇団での修業の波乱の人生が始まった。~25歳結婚(演劇中止)家庭生活に入る。~標準語に自信が出来たので種々の職業に挑戦~浮き、沈みの末、二人の子供も何とか独り立ちの日が来た。50歳、念願の劇団の立ち上げ10年が経過~朗読会に変更し10年そして現在に至ったのだ。~又、後日に~。。。。

 

 

 

誕生以来79年~今日まで良く生きてこれたと思う。幼少期~何度か水におぼれ、助けられ、トラックに弾かれそうにもなりながらも運が良く、56歳時胃癌で全摘手術、幸運に恵まれて以来第二の人生を楽しめているのだ。現代医学の進歩に感謝の限りだ。しかし

70歳を超えた頃より筋肉の衰えに加えて白内障、上下の入れ歯、腰痛、や物忘れ、等々によって、全身老化が目立ってきた。といっても

日々を無事過ごせるだけで有り難く思っているのだが。しかし現状の体で一日の目的行動することが大変に困難でもある。

7,8種類の薬と腰痛の痛止、の世話にならないと、そして外出時に杖使用でやっと行動出来る始末である。

現在までこの状態で情けなくも頑張って来た。人生50年は半世紀以前の事。医療、薬品の目覚ましい進化で人類今や100歳時代を迎えて天寿全う迄健康を保つことが最大の課題である。母を六歳時亡くし(母32歳)母の分まで長生きしたいのだ。困難な人生の後半を自己管理を工夫して楽しい日々を多く送れるよう努力したいと強く願っている。月一でリハビリ(腰痛)に通い二年、忍の一字。

肉体は坂道を下る一方、精神は老い知らず、その各差は広がるばかりの変な感じだ。目的に向かう気力も、若年時よりも集中力が増して充実(自由の身の為か)していると感じる~私だけか、?この調子ならば肉体が滅びても精神力(魂)は生き長らえるのか?まさか、?と思が?~人は何か目的を果たすために、生まれ、努力し辛苦を乗り越えて、愛多き人生に生き、周囲の人に喜ばれる人間と為って天寿を迎える事が、幸福な生涯と云う。~釈迦~弘法大師空海~杉原千畝~佐倉宗五郎~杉木茂左エ門~田中正造~(聖人、義人)。。。方々は、小生が崇める代表者だが、吾ら凡人も一寸でも、近す”きたいものだ。精神力を鍛えて。。。。。。