*生きながら、地獄を観た*(忘れては、いけない戦争の惨禍) | *胃無のぜんじろう*百歳を目指して*

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昭和16年12月8日、日本が真珠湾先制攻撃により、太平洋戦争に突入。時代は将に富国強兵、軍国主義が国民を巻き込んで対欧米の全面戦争となり、衣、食、住、の欠乏が始まる。陸、海、空、各軍の将兵達は中国を初め東南アジアの多方面、前線へと配属され、激戦を繰り広げたが全てに措いて物量欠如、科学兵器、情報不足、の大差も加わり日々戦況の悪化は火を見るより明らかが実情で、大本営(作戦本部)発表は国民に正反対で各戦況は最悪状態。食糧、武器もなく情報も無い、ジャングル内を転戦命令のもと敵を求めて、悲惨な戦いを強いられた将兵達。無防備な地元民を略奪、強姦、銃を向け、生きる為にへび、ねずみ、草類、食べられる物は手当たり次第に。遂には飢え死にという末路、~海軍、空軍共、18年~19年過ぎには戦況の悪化で学童疎開が始まりそれぞれ、最寄りの田舎へ一時避難、を余儀なくされたのだ。全ての戦場で連戦連敗、の日本軍は船も飛行機も数えるのみ又、兵員不足で大学生(学徒動員)で若者達が皆、戦地に送られた。一方銃後の国内では東京初め主要都市の殆どがB29の爆撃でやられ死傷者何百万人、尚、東京大空襲の姿は、(東京が燃えた日ー戦争を語り継ぐ~早乙女勝元氏著書)参照して下さい。そして沖縄への唯一上陸戦となり、、対して、片道特攻作戦(牛島中将)命令下、20歳前の若者たちが散っていった。それでも、まだ、本土決戦一億総玉砕、徹底抗戦の構えに、遂に20年8:6日。9日、の原子爆弾投下に繋がってしまった。~*8:15日(終戦)一週間前、ソ連参戦(不可侵条約違反)で千島、樺太に侵入し結果4島取り上げ、大陸でも日本統治の満州に攻め込み軍人、開拓日本人達を捕虜にし殆どをシベリア送りにしたのだ。、卑怯の極極まりで許せない暴挙である。一方、全て焼き尽くされた焦土に生き残った人達は死すも地獄、生きるも地獄の底を這いずっりながら食糧を求めて一日一日が飢えとの戦い、やっと生き延びた吾等世代。戦後、新制教育に変わり旧教科書使用は不都合部分に墨で塗りつぶし、通学時のカバンも無く、雨、雪でも靴、傘、無し、着物も継接ぎだらけ、給食無く麦飯に梅干し一つ、入れば良い方だ。農家以外の友達は薩摩芋一個も持てない人も多く居たのだ。(S23~24年)頃、ノートも無く石板にチョークで裏表に書き取り、風呂敷や頭陀袋に入れて帰ると文字は半分消えていた。風邪、腹痛、怪我(赤チン、トンプク、等)しか無かった。70有余年の今は記憶の片隅しか伝えられず残念だ。兎に角、地獄を見ながらも運良く生き残った吾等は、多くの戦争犠牲者の御霊に対して心より御冥福を祈り、又、体を痛め産みの苦しみ、御苦労して育てた戦争遺児達の、お母様方の心情は、察するに余りあり、お慰めの言葉すら見つかりません。多くの彼等、皆様の無念な御意志を、常に慮り、御蔭で取り戻しせた平和に感謝し、決して無駄にせぬよう、堅く誓おう。、