昨日12日は『母の日』だったんですね。
思い出すのは小学校時代、学校でどういういきさつで配られたのか分からないけれど、先生が教室に沢山の赤いカーネーションのブローチ(?)を運び込み、全員に1個ずつ配ってくれたのです... 毎年配られた記憶はない(*_*;
でも、私の隣のS君には赤ではなく白いカーネーションでした。
なぜ色が違うのか、皆が気にしてガヤガヤしていると先生が「S君のお母さんは亡くなってしまったからなのよ。そういうお母さんには、赤ではなく白いカーネーションをあげるの」と説明した。
その間 いつもお喋りなS君は下を向いて黙っていました。
私は、入学後すぐに病気で亡くなり葬儀があったことを知っていたが、クラスの多くの子は知らなかったようで「S君 お母さんいないんだ」と大きな声で口々に言いあっていた。
その後こういうことがあった記憶はないのだが、「母の日」と言うと白いカーネーションとS君のことを思い出す。
今から思えば、なんとS君を傷つけた行為であっただろうか。
また、当時は珍しい「離婚」をした家庭があり、クラスは違うけれどKちゃんの家庭は父子家庭だった。
Kちゃんには何色のカーネーションが配られたかは知らないし、担任がどんな説明をしたのかも知らないが、70年ほど前の小学校の教室ではこのようなことが行われていた。
もちろん、お母さんに感謝の気持ちを持とうという表現に「善意」で行われたことだとは思うが、いない子への配慮が、色を分けて皆に知らしめる形は残酷だったなと70年経っても強烈な思い出として残っている。