保守・運用とその組織に関する考察 | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

長年、保守とか運用というものに携わっているとその業務のやり方とかチーム(体制)とかがころころ変わっていくのを経験したりします。

こういうのって、理想と現実とが乖離し始めて、じゃあまた新しいチームに組みなおそうとか、やっている業務やそれを実行している体制、そしてそこに属するエンジニアのレベルなど複数の要因が絡み、解体と構築が繰り返されているような気がします。



保守・運用チームのあるべき論


昔、言われたこと。


システム運用というのは初め、そのシステムの担当ごとに分かれて仕事をしていく。
Aシステムの運用チームはA、Bシステムの運用チームはBというように。
そのうち、各チームごとに独自の運用方針ができ始め全体として最適化されていない状態になる。

そこで、保守チームや運用チームなど業務の区切りでチームを分け、システム横断で面倒を見ていくようなことをやろうとする。
すると、今度は何が保守なんだ、何が運用なんだという問題や、その領域を超えた仕事ができないことへの不満が高まってくる。
今までは、自分の担当システムというものを自由に触れていたのに、それができなくなり別のチームへエスカレーションしないといけなくなる。

結局上手く回らずに、保守や運用のチームは2年か3年ごとにそのやり方を繰り返し、壊しては作り直すようなことをしている。

実際に、自分自身がそういう経験があったので、「なるほどな」と思ったりした記憶があります。

システムごとにチームを組むと、独自の進化を行うこともありますし、また同じシステムを長期間面倒を見ることで要員のモチベーションに影響したり、身に着けるスキルに限界が出てきたりもします。


一方で、業務ごとにチームを作ると、明確化された業務領域によって「それはこっちの仕事ではない」というような押し付け合いになったり、業務領域がグレー部分になると「どっちの仕事なんだ」というような自体にもなったりします。

そもそも、保守と運用という業務自体の定義がかなりあいまいなのに、それを無理やり分けたがろうとするところに失敗があるのではと思ったり。


さらに最近では、情報システム部門のようなコストセンターに置ける業務は、よりコストを抑えるためにその一部をアウトソースするような動きも取り出したりしています。

保守や運用をコントロールする機能はもちろん必要にはなりますが、その実際の業務というのは自社でやらずに、他の要員がやるようになるわけです。

ただ、そのような体制を作った際に、場合によっては丸投げしているような状態になり、自社のシステムのことをほとんど理解していなかったり、業者の言いなりにしか対応できないようなリスクもあったりします。



合理的な組織


ITILのような合理化した業務とその役割を担う組織を作っていく、という動きもあったりします。

保守と運用というあいまいな業務ではなく、もう少し踏み込んだ領域を定義して、各々決められた業務プロセスに従って進めるというように。


ただ、ITILとかは合理的(悪く言えばマニュアル化された)組織を作る雰囲気があって、スペシャリストの集団が集まればそれも上手く回るのでしょうけど、知識を持たない新人社員とかを配置するに当たっては、教育も含めて業務をしていく必要があり、その合理的な体制の中でどこまでその役割を担うチームが機能していくか、またはその個々がスキルを磨いていけるかというところは問題があるような気がします。


ひどくマニュアル化してしまうと、マニュアル以外のことを対応できないようなエンジニアが育ってしまいますし、専門特化させるといえば聞こえは良いですが、専門以外はわかりませんというような人材になったり、全体として最適化することに特化させすぎて、歯車のような扱いになってしまう弊害もあるような気がしています。


合理的な組織というのは、あくまでその組織側から見た視点であって、働き手側から見てるわけではないわけですよね。

もちろん、働き手側から見たときに「あれがやりたい」「こんな仕事嫌だ」なんてことを全て聞いていると機能しなくなる場合もあります。


しかし、優秀なエンジニアになれば業務領域を問わずに対応できる人もいるわけで、少数精鋭でできるのであればコストも抑えられ、わざわざ組織として合理化する動きも必要なかったりもします。

なんとなく合理的な組織作りばかりに注力しようとするのは、人を育て上げるのではなく、プログラム化されたエンジニアを作り出そうとしているだけのような印象を持ったりもするわけです。

(いい意味の表現にすれば組織力でカバーしよう見たいなことになるんでしょうけど)


人を育てるのは膨大なコストがかかるのはわかりますし、俗人的になる恐れもあり、その人が抜けたら回らなくなる可能性もあったりします。

しかし、多くはその人を育てるというのは早期に諦め、組織を合理化することばかりに考えが向かっている気がします。

何を合理的にしようかと考えたときに、組織そのものではなくそこで働く人というものを見てみるというのも選択肢の一つなのではと思ったりするわけです。


そのバランスが崩れて一方的な考えが蔓延しているところが、組織作りのあり方として疑問に感じたりしているところです。